夫と父親
サブ(父親)とハニワ(夫)の介護を通して、、、何かが違っていて、決して同じではないなぁって思うんです。
この数日間、精神カキ乱れて疲労感がひどかったですが、ほんとここで皆さんに聞いてもらえたことで、どれだけ救われたか、、って思うのです。
感謝感謝です。
おかげさまで、なんとか気持ちを立て直すことができ、再び変わらない日常が淡々と流れております。
ハニワを障害者病棟に入院させようとして見事に玉砕しましたが、私の根底はとにかく『入所』ではなく『入院』を望んでいたわけで、決して施設入所に持っていく気ではなかったのです。
入院ならばまた家に帰ってくる。それでいいと。ただ しばらく介護から解放されたいがばかりに余計な?行動を起こしてしまったのかなぁとも思ったり。
ハニワのことを家から追い出したいわけではなく、家に戻ってくることを望んでいました。
しかし、、、医者から『家ではもうムリじゃないか』なんて宣告されたら、ハニワも聞いていてどう感じただろうか。
無反応だったからなんも聞いてなかったのか?
これは自分が『ウチじゃムリだわ』って思っているのと、他人(コッシー)から言われるのではダメージが違うんですよね。
さすがに宣告されるとガッカリがデカかったし。
こんなにもハニワから離れたいと思いながらも、家に帰ってくる前提じゃないといかん!
なぜこのままサヨナラにはできないのか。
サブをグループホームに入れる時はもう、寂しさを想像するよりは、これからの平和な暮らしを想像していたし、いざ入所決定となった時は、少し躊躇もしたけどすぐに流れに乗った。
勢いあったんですよ。
もうダメだ!って思って見学行ったり面談したり。
行動起こさないと始まらないってすごく勢いがあってトントンと流れていったんですよ。
ボケちゃんなサブが入所の日に
『どこにいくんだ?』
と聞いてきた。焦ったよねぇ、イヤだってごねるんじゃないかとヒヤヒヤした。
サブのときはこんなに入所させたくなったのに、ハニワはなぜそうならないのだろうか?
なにが違うのだろうか?
まず、、サブは父親で認知症がひどくなって昼夜逆転、異食、便失禁などでイヤんなった。ほんとにイヤんなった。ハニワと違ってああ言えばこう言う。
憎らしさもあった。
こんなに大人になってるのに、今になって大声はりあげてケンカしたり、私も相当荒れた。
迷わず入所へとスムーズに持ち込んだ。
もちろんすんごく説明、説得で労力を使ったけど。
サブに『おめぇは施設スキだねぇ』とイヤミを言われた。
それくらい施設、施設と毎日のように言ってたかも。
こんなに入所させたかったサブと
入所はさせたくないハニワ。
介護内容はふたりとも違う。
サブは昼夜逆転と異食。夜中2時に『いつまで寝てるんだ。全然起きてこねぇから先に食ったぞ』
とストーブでウィンナーを焼いて手づかみで食ってた。
生の豚肉をビニール袋から、まるでお菓子でもつまむように口に入れて
『なんだこれは、さっぱりうまくないな、コチコチして噛み切れねぇ』とホザいていたときのショック。
もう、泣いたね、このときは。
そうだ、サブは肉体的な介護ではなく精神がガッツリヤラレる介護だった。
ハニワは肉体的な介護。支えるとか、転倒しそうになるのを座らせたり、手を引いたり。
精神はゆっくりと蝕まれる感じ。
ゆっくりだから蓄積されたら定期的に津波となる。
今回みたいに。
また日常が始まれば普通に会話もするし、笑うし、車椅子押して買い物にも一緒にいく。
いなくなったら全部一人。
一人になりたいけど、なりたくない。
ほんとの一人にはなりたくない。
入所は私にとって、最後の最後の最期の手段でいいと思っている。
入所はある意味、夫婦としての別れだと感じるのです。
うちらに子供がいたら、また違う展開にもなるのかもしれない。
しかし、うちら、ほんとに二人だけの生活。
ひどい認知症になって精神崩壊が続いてくるようになれば、私もサブの時みたいに別れも覚悟するかもしれない。
そうだ、夫婦だからだ。
二人だけだからだ。
だから帰ってこないとイカンのです。
そんなふうにまた津波が去って、
ハニワももっとトシ食って、パーキンソン病だけじゃない病を発病したりして、いやでも入院、そして障害者病棟のあるコッシーのいない病院に転院し、そこで一生を終えるかもしれないし。
私は再び、介護の大海原へと漕ぎ出すのでした。
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