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言語は世界の見方を決める

 言葉とは私たちが世界を理解するための概念であって,「言葉が違えば世界も違って見える」ことを,ことばと文化の関わりからわかりやすく解説する1冊です。

ことばと文化
鈴木孝夫著
岩波新書

ことばが違うと世界は違って見えている

 私が博士課程の院生だった頃,研究室にロシア人のポスドク(Post Doctor)がいました。かれは日本語の勉強がてら川端康成の小説を読んでいたのですが,ある日,こんな質問をされました。

「玄関のガラス戸越しに差し込んだ夕日に照らされて,靴箱の上の鍵が赤トンボのように見えた」と書いてあるんだけど,なんで赤トンボに見えるの?

 私には情景がありありと浮かんだのですが,言葉でいくら説明しても,かれは理解できないようで首をひねるばかりです。なぜわからないんだろう。たまたま本書を読んだとき,この長年の疑問が氷解しました。ことばは文化的な背景を含んでいて,ことばが違うと世界の表現は異なるのです。

英語学習で陥りがちな問題

 ことばの構造が異なるということは,自然な推理応用能力が活用できないことを意味しています。これが外国語学習につきまとう「わからない」原因です。
 例文:窓ガラスを割ったのは誰ですか?
 Who broke the window?
 こうした例文で学習した生徒は「スイカをふたつに割る」ときに"I broke a big watermelon in two with a knife...."と書くと,先生にcutを使うように指示されます。次のときに電気を「切る」のがブレーカーだと聞いて,服を引っ掛けて「切って」しまったときに"I broke my coat..."と書くと,今度はtearだと直されてしまいます。自然な推理応用能力が活かせないため,頭の良い生徒ほど「英語の言葉遣いはメチャクチャですね!」と怒り出してしまうというものです。
 しかし,これこそが,先のロシア人の質問につながるのです。わからないのは,ことばのもつ文化的背景が理解できていないからなのです。豊富な実例を使って,ことばがもつ文化的な背景から,ことばと文化の構造を明らかにします。

「パパ,遅いわね」は日本語特有の表現

 私が一番印象に残ったのは,日本語における親族名称の表現方法です。母親が子どもに「パパ,遅いわね。どうしたのかしら?」という言葉は,他国語の文化圏では異常に感じられるそうです。

パパ,遅いわね。どうしたのかしら?

 なぜなら,母親にとっての「パパ」は子どもにとっての「祖父」であり,子どもの「パパ」は母親にとって配偶者だからです。この子どもを中心にした親族名称の利用は他の国では見られないそうです。もっと極端な例として,老婦人が座席に座り「ママ,ここに座りなさい」と隣を指すと,赤ん坊を抱いた若い娘が現れたという話が挙げられています。日本人には,異常さは感じられませんが,母親が自分の娘を「ママ」と呼称するのは日本語という言語に特有の現象なのです。

日本語特有の言語構造が英語

 日本語は相手に依存して自分の定義を変える言語です。一方,英語は相手に依存せず自分を定義する言語です。日本人が「外国人」と話しにくいと感じるのは,相手が「自分たちの社会」の外にいるため,相手に依存して自分を定義できないからなのです。また,相手に依存する言語である以上,私たちは利害が対立する二者以上の相手と同時に交渉することを苦手とします。

”日本人が外国語が不得手で,国際会議でも,学会でも実力の割におくれを取るのは,語学力そのものの点よりも,むしろ問題は,自分を言葉で十分表現する意志の弱さ,それも相手の主張や気持ちとは一応独立して,自分は少なくともこう考えるという自己主張の弱さに原因の大半があるように思えてならない。”

 本書は1973年に第1刷が発行されています。50年近くが経過した現在,日本の状況はあまり変わっていないようにも思えます。グローバル化が進む現在,もう一度,ことばと文化について考える時期が来ているように思います。


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