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日本人にとっての不満含みの退職、中国人から見れば恵まれている?

要約

日本は地上波だけでなくインターネットも含めて悲観的なニュースで溢れています。停滞する経済、広がる格差、貧困問題、ハラスメントなどキリがありません。一方で、隣の中国から見ると、日本はとても安心感があり恵まれている国として映ることが少なくありません。その良さを日本人自らが失おうとしているのではないかということを「外の眼」を通して考えてみましょう。

追い詰められての退職?

先日探検隊メンバーがかつての金融機関時代の同僚の送別会に参加しました。元同僚がその金融機関を退職するというわけです。年齢は50歳過ぎ。金融機関のピラミッド型組織の中で、決して花形とは言えないポジションを10年間ほど渡り歩き、いよいよポジションがなくなったというのが本人による理由です。今後は金融機関から実家近くのメーカーの中で役のつかないポジションに出向すということです。

幸せな退路?

メンバーはWeChatのMoments(タイムライン)の中で上記の話を(匿名)で取りあげました。すると、中国人からのコメントが結構つきました。退職する元同僚はかつて中国事業の立ち上げに関わり、現地で仕事をしたこともありました。中国時代の元同僚はコメントでこう書きました。「中国人は自分の行き先を自分で探します。あなたは護られていて良いですね。これは日本の皆さんに声を大にして伝えたいことです」、と。自分のことを自分で護らなければならない中国の社会システムから見れば、転職先が自然に用意されているこのケースについては恵まれていると映ったのではないでしょうか。

日本における役職、ポジションとは何か

この話を聞いた別のメンバーは、違う切り口から話題を持ち出しました。日本の大企業やメーカーに属していた経験から、このような企業の中では「能力=役職」となっていないケースが多々あるとのことです。言葉を選ばずに言えば、能力がないにも関わらず役職にいる年配者が多い、ということが本意でした。こういった人たちは、上司の言われたことを聞いて、上司のために尽くすことにより役職を得ることができた。尽くす行為の中には仕事ではなく飲み会などの場も含まれる、ということのようです。

「能力=役職」となることが多い現代中国から見れば不条理なことです。しかも、こういった人々はお往々にしてハラスメントの元凶であったりするので、直接的な害が降りかかる可能性もあります。

幸せな退職こそ日本社会システムの本質

この2つの話題、あえて屁理屈でまとめてみると面白い仮説が立てられるのではないでしょうか。日本社会では能力と役職が見合わない年配者を自然に引き取っていく地場コミュニティが存在していて、(言い方は悪いですが)老人は若者たちに道を譲ることがシステム的に成り立っていたのではないか、というものです。最初に取り上げた元同僚の話がまさにそれです。本人としては不平・不満も口にはするものの、最終的には地元に用意されている収まるところに収まる。武家社会などもそのようなイメージではないでしょうか。お殿様でも家来でも先代は若手に道を譲り隠居をし、地元でゆっくりと暮らしていく。必要がある時は若手の方から重要なアドバイスをもらいにいく。こういったイメージです。

例えとしての武家社会の崩壊

ところが、現代の日本社会では退路があまりありません。地域コミュニティも家族間コミュニティも薄れてしまったがゆえに、収まるところがないのです。結果としていつまでも役職にしがみつくことになるのです。本人もそのことを自覚しているので、その複雑な気持ちがハラスメントという形にあらわれているのかもしれません(到底認められるものではないという前提で)。

持ち得る能力が現代社会が必要とするものと合致しており、かつ強い個人は花道としての退路を必要としません。しかし、そのような人ばかりではありません。そういった人々の受け皿を喪失しつつあるのが日本社会なのかもしれません。社会システムが個人を護らないがゆえに家族の結束が強く、そこを最後の砦としている中国人からの指摘は極めて的確な示唆を含んでいるのではないでしょうか。

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