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心の適温

やさしそうな人が嫌いだ。

違う…

やさしそうな人、という言葉が嫌いだ。


パーマをかける必要のないウェーブ、日差しで簡単に黄色味を増すブラウン、枕が擦れただけで傷む細い毛先、湿気に弱いコシのない髪質。その髪に囲まれた顔には、父譲りのタレ目、祖父譲りの厚い唇、家族でたった1人授かった低い鼻がついている。

小さいバッグで外出するのは不安、高い棚の荷物をジャンプで取ろうとする、メニューをなかなか決められない、戸締まりを何度も確認する、モノが捨てられない、すぐ涙が出る、社交辞令がよくわからない。


書き出すほどに痛感する。私はクールとは対極にいる。





「やさしそうな人だねって、友達が言ってたよ」

キレイ、オシャレ、スマート…どれにも当てはまらない私は、うわさ話の中で「やさしそうな人」と呼ばれているらしい。それはきっと褒め言葉。

「ふふふ。ありがとう」

だからいつも笑って答えることにしている。



同僚と初めてランチに行ったお店でスタッフに話しかけられるのは大抵私だ。打ち合わせで世間話をふられるのも、塾の説明会で相槌を求められるのも私。友達の子は走って抱きつきにきてくれるし、スーパーのお菓子コーナーでは見知らぬおばあちゃんにお煎餅の相談をされることもある。

みんなが声をかけてくれる。みんなが笑ってくれる。
得をしている、そう思っていた。

私は「やさしそうな私」が好きだった。



知らなかったのだ。
やさしそうな人がみんな「やさしい人」に昇格できるわけではないということを。






1番近くにあったぬくもりが突然消える。そんなことが今まで何度あっただろう。離される瞬間まで、その手をつかんでいたのが自分だけだったことに気づけない。

目の前に見えていた美しい景色が一瞬で土色に変わる。そうなってやっと、またやってしまったのだと思う。せっかくキレイな花が咲いたのに。せっかくやさしい風が吹いたのに。せっかく見晴らしのいい場所まで登れたと思ったのに。


今度は何を失敗してしまったんだろう。


あぁそうか、
あの日 上手に笑えなかったからだ。

あぁそうだ、
あの夜 寂しいと泣いてしまったからだ。


私はあの人の思う「やさしい人」にはなれなかったんだ。



ーーー

1年前、どうにも噛み砕けない思いを抱えたままnoteの街にたどり着いた。遠くから眺めていた眩しい光の集まる場所。思い切って中に入ると、光はずっとずっと上にあって、足元には暗闇が広がっていた。

引き返すか残るか。不思議と逃げ出す気にはなれなかった。その場にしゃがみこんで目をこらした。静かな空気をふるわせて声が聞こえてくる。その正体は私の内側からあふれ出した言葉たちだった。

ずっと誰にも話せなかった本当の思い。
やさしくなれなかったあの日の心。


散らばった言葉を拾い集め、ゆっくり繋いでひとつのnoteを書いた。


不安が襲ってきたのはそれを暗闇にそっと押し出した後のことだった。当初、自分の写真をアイコンにしていた私は、姿も文章もあまりに自分すぎることが急に恐ろしくなった。それでも結局、記事を消せなかったのは、今思えば本当の私を誰かに知って欲しかったからなのだろう。

そして聞いてみたかったのだと思う。
「やさしくない私はダメですか」と。


数日後、初めてのスキがついた。震えるほど感激したのには理由がある。そのスキが届けてくれたのは喜びだけではなかったから。そのままの自分を認めてくれた人がいる。そのことに私は安堵した。

アイコンを無機質なものに変え、本当の私を書き続けた。月3本程度の投稿で精一杯、それでも毎回訪ねてくださる人もいて、少しずつ居場所ができていくような気がした。届く声はやさしく、差し出される手はあたたかい。心がほぐれはじめた頃、私も動いてみようと思った。

訪ねた先で思い切ってコメントを残したら思いがけず喜んでもらえた。noteを読み続けていたら、ふとした瞬間に思い出す人たちができた。企画に参加するたびに言葉を交わせる人が増えた。 Twitterで初めての帯に挑戦したら夢のようなご褒美をもらえた。記事を読んでくれた人が好きだと言ってくれた。リレー企画のバトンを手渡してもらえた。


辛いことを嬉しいことが吹き飛ばしてくれたような1年だった。すべてを消し去ってくれたわけではない。けれどここまでこれた。あとは自分で飲み込める。飲み込まなくてはならないし、消化しなくてはならない。そう決意する勇気を私はもらった。



noteの街での時間をなかったことにするのなら、彼の心を取り戻してあげる。

今もし恋の女神にそう囁かれたとしても、この街で出会った人たちとの繋がりを手放すことはできない。顔も知らない私の手をつかんでくれた人たち。過去に縛られた私も、夢ばかり見る私も、優等生でない私も、やさしくない私も、全部見せても離れずにいてくれた人たち。ここまで引き上げてくれたあたたかな心を、私はずっと忘れない。


note2年目、足元には道が見えている。
どこに続いているのかはまだわからないけれど、あの日ずっとずっと上にあった光に、ほんの少し近づけたのかもしれない。




彼を失ってよかった。
そう言える強さをありがとう。


私を見つけてくれたすべての人に感謝を込めて。





***

2019年の暮れ、この街に来ました。
ここから自分の心がどう変わっていくのかわからない…そう綴った不安だらけのあの日からまだ1年だなんてとても不思議な気分です。心がたくさん動いた濃い時間でした。

始める時、プロフィール欄に「心の温度が同じ方たちと繋がれたらいいなと思う」と書きました。出会った瞬間に繋がりたいと思う方、手を伸ばすまでに時間がかかってしまう方、私にはどちらの場合もあるのですが、それは多分、見えない姿の代わりに心の温度に反応しているからなのだと思います。

感情で動く私は、心の温度が不安定です。だから心地よさを感じるタイミングもその時々で変わってしまう。適温だと感じるのが出会った時だったり、時間が経って少し冷めてからだったりするのです。でもどちらだとしても、この街で過ごす限られた時間の中で出会えたのだからきっと運命みたいなものなんだ…などと思ってしまうのはさすがにセンチメンタルが過ぎるでしょうか。

タイムラインにアイコンを見つけるたびにホッとする方がいます。勇気を出してご挨拶してみたい方もいます。その中には、グズグズしている間に手を繋ぎそびれてしまった方もいて、後悔したことも一度や二度ではありません。でもきっと、ご縁のある方とは今ではないいつかまた出会えるはず。そう勝手に信じていようと思います。

そっとスキを押してくださる方、あたたかい言葉をかけてくださる方、いつも本当にありがとうございます。この1年でいただいたやさしさは、ささくれだっていた心をゆっくり癒してくれました。

noteには魅力的な書き手さんがたくさんいます。とても読みきれる量ではないけれど、少しでも多くの素敵に触れながら、心の温度が同じ方を探し続けられたらいいなと思っています。

これからもゆっくり書き続けます。
自分を守るための文章からいつか卒業することを目標に。


suzuco



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