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イライラにはごちそうを

想いを込めればきっと。
がんばって続ければきっと。

いまどき流行らないと言われそうだけれど、私はそういうものを信じて生きている。プライベートな部分に限って言えば、行動の軸にある思いは大抵の場合このふたつ。だから自分がやってきたことに対して多くの人に満点をつけてもらえるとは思っていない。

作り出すものに関しても同じ。自分が素敵だと思えば、いやもっと言えば、目的から外れず、確かな意思がそこにあれば、見た目の美しさだけにこだわったりしない。

例えばそう、

小さな子がにぎったような微妙な形のおにぎりでも、あまったおかずが混ぜ込まれた不自然なおにぎりでも、カラフルなふりかけで雰囲気だけ華やかにしたおにぎりでも、気の利いた具がなくて困った末の塩むすびでも、ぜんぶ合格。

そこには、想いがこもっているから。

それだけで素敵なはずだから。


多分…


きっと…




なんて、言い訳はこのくらいにして。



10月5日から11月5日まで、おにぎりアクションに参加していた。

おにぎりの写真を撮ってコメント付きでアップすると、1投稿につき5食の給食が世界の子供に届けられるという企画。2015年から続いているらしいけれど、私は今年、フォローしている方の記事で初めて知った。

期間中、おにぎりを食べたらやってみよう、くらいの軽い気持ちだったのに、一度投稿したら穴を開けられなくなってしまった。自分でも持て余すのはこういう面倒な性質。でも今回はそのおかげで、なんとか32日間続投することができた。

おにぎりを撮影すればいいだけ。おまけに買ったものでもいいというルール。こんなにハードルを下げてくれているのに、それを飛び越えるのは思いのほか大変だった。


考えてみれば、テレワークになってからというもの、私の食生活は徐々に乱れていった。何かを作るのも誰かと食事をするのも好きだったはずなのに、視界に入る景色が狭まった途端、食事の優先順位がガクンと下がってしまった。

家事も仕事も、一つずつならそう大変ではない。でもなぜか、合わさるとすごいことになってしまう。小さなブロックを夢中で組み合わせていたら、手に負えないサイズの恐竜ができあがってしまったような、いつ何が現れるかわからないという恐怖が私のイライラを増やしていった。

それでも仕事のやり方を変えられなかったのは収入の問題だけではなくて。恐竜をやっつけた時に味わえる爽快感や充実感を手放せないという理由の方が実は大きかった。満足を得る代わりに犠牲にしたものがある、というのはよく聞く話だけれど、その一つが私にとっては自分用の朝食と昼食だったのだ。


コーヒーだけの朝がデフォルト。それにトーストかシリアル、フルーツが付く時はいい方で、数枚のビスケットをかじるだけの日も度々あった。家での作業が一日中続けば、昼は菓子パンだったり、カップラーメンだったり、残りごはんに卵をかけたり。栄養は、心にゆとりがある時か、家族の食事を用意する夕食で補えば大丈夫、とにかく早く終わらせなくちゃ、終われば自分の時間なんだから。忙しかったここ数ヶ月はそんな焦りに支配されていたように思う。日中、自分のためにキッチンに立とうとはどうしても考えられなかった。

それが今回、日に一度おにぎりを作ることになって、生活が激変した。炊飯回数が増え、当たり前だけれどお米をよく食べた。毎日同じ海苔のおにぎりじゃ恥ずかしいな、と考えるようになって、玉子焼きくらいは作るようになった。汁物を写り込ませると感じがいいかもとか、残っているおかずを一緒に並べて撮ってみようとか、少しずつ食事にかける時間を確保するようになった。

作業環境から離れてきちんとテーブルで食べる食事は、あたたかい食べものの味がした。

そしてわかったのだ。

あんなにイライラしていたのは、お腹が空いていたからだったんだ、と。


ーーー


“おにぎりの投稿を終え、食事の大切さを再確認しました“

そうやって締めくくれるほどキレイ事ではないかも知れない。今でもコーヒーだけの朝食やビスケットだけの昼食もあって、イライラだってしてしまう。それでも、前より食べるようになったら、心が静かにしてくれる時間が増えた。

きれいに撮れないとか、いつも同じ具だとか、海苔の巻き方が下手すぎとか、おかずが貧弱とか。見た目にこだわりたい気持ちは捨てたくないけれど、時には目をつぶったっていい。

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おにぎりアクションに力をもらったのは私の方だったのかもしれない。

世界中においしい給食が届けられますように。


***



この文章を投稿しようとnoteを開いたら、エールを送り続けたいと思っている方の記事が目に飛び込んできました。日付けは昨日。
更新されたばかりの近況には “食べることを頑張っている“という強い思いが綴られていて、胸が熱くなりました。

少しずつでも、食べられるものを、食べられる時に。口に運んだその食べものが、どうか彼女の大きな力となりますように。

suzuco



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