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問いをたてる

クリティカルシンキングとデザインについて、色々な人の話を聞くことができたので、建築・土木の計画論として、どういうものか考えてみました。

1.アメリカの教育の1シーン
2.問いをたてる
3.話会うこと
4.ある計画での問い

ー アメリカの教育、FACT or OPINION
面白いことを聞きました。アメリカの小学校3年生の授業で、論理的思考を学ぶ一環で、ある文章に対して、FACT or OPINION の FとOを入れる授業があるそうです。すごいなと思いました。一人一人の語ることに対して、それは「事実なのか、意見なのか」という教育を小学校の時に学んでいるということです。それを聞いて、確かに、大人と話していても、それは一般的な事実なのか、意見なのか、どちらをこちらに伝えようとしているのか混同しているなぁ、と感じることがあります。ちなみに、私の専門分野の建築・土木の計画をつくる時も、ある程度の計画論はFACTベースで説明出来ます。

思考の順序としては、
1. OPINION(イメージ)を持ってつくりあげる計画に対して情報を収集
2. 要項・仕様・予算・規則に対して、FACTを積み上げ
3.FACTにOPINIONを追加し、最終的なイメージをつくりあげる

おそらく、土木の分野の世界はOPINIONが少なく、建築の分野はOPINIONが強すぎて、FACTが見えない、または説明する能力を忘れがちの人もいます。そのため、建築・土木の設計者が話し合おうとすると両者の会話は、言葉を丁寧に紡ぎだすことを忘れがちになり、余計に接点を持ち得ないため、話がかみ合わないことにつながったりします。
一方で、これらの使い分けが出来ない大人は、何がFACTで何がOPINIONなのか、その境界がわからず、デザインという漠然とした言語に引っ張れて、FACTとOPINIONが混在しているような気がします。そうすると施主に対する説明も??になっていて、自分にしかわからない資料になりがちです。
また、計画をたてる場合には、幾つかのFACTが並んだ時に、FACTに対してOPINIONを見据えながら、優先順位をつくる積み上げを行う必要がありますが、OPINIONがないとこの優先順位がつけることが難しくなります。そうすると、要項・仕様には基本的には細かいことを書かれていませんので、OPINIONをうまく構成出来ないと、どこにでもあるような平均的な計画が生まれやすくなります。

ー 問いをたてる
この時に大事になるのは、どういうFACTを積み上げ、OPINIONを築きあげるか、ということになりますが、その対極に存在するのは、「どういう問いをたてるか=どういう仮説をたてるか」が大事になります。
少し、脱線しますが、1の話をある人に話したらさらに面白いことを聞きました。日本の作文は基本的に、結論「〜は正しい」を書いて〜その理由「なぜなら〜」を説明していくというスタイルが取られている(O→F)が、海外では「〜を考えるに当たって」「〜はなぜこうなっているのか」、、、(F→F→F→O)といって、問いを深めながら、結論を探すスタイルで行われているようです。つまり、ある一定の答えがある日本の教育と、問いの再定義から答えを探す海外の教育と言えるのかもしれません。
話を戻すと、OPINIONをたてるには、それに対する、自分なりの「問い」の設定が大切になるということです。逆を言えば、問いを明確に設定出来れば、自ずとある深さのあるOPINIONが設定できるということになるということにつながっていきます。

ー 話合うこと
問いの設定は簡単にできるものではありません。一人一人が持っている知識も限られていますし、得意分野も異なります。こうした時に、話あえる仲間がいれば、様々な主観から発せられる「問い=疑問」に対して、問いを深めていけます。むやみやたらと問いを深めていくと、まとまる話もまとまらなくなりますが、それでも色々な角度から問いを深めていくと、同じ問いに収束することもあるかもしれません。また、まとまらない時は、そこで出てきた問いに対して、ある方向性を導く必要性があると思いますが、そこには、どういう未来が欲しいか、という素直な判断を元に決めていけると良いのではないかと思います。まずは、お互いに問いを深め合うことが大切です。

ー ある計画での問いと答え
宮城県石巻市は2011年3月11日の東日本大震災の際に、甚大な被害を受けました。その中心市街地を流れる旧北上川では、現在両岸約4kmで堤防整備が進んでいます。その計画では、おそらく以下のような問いをたてることが出来たと思います。「堤防はいるのか」「なんのためにつくるのか」「高さはどの程度必要なのか」「土堤なのか」「コンクリートで覆うのか」「変な形につくれるのか」、、、これらの計画の前提を問う質問は、基本的に国主導で策定された会議で決められていきました。
一方で、「つくること」を前提とした場合、高潮・津波対策としての堤防という意味の他に、違う価値を形成するべきだと感じていました。というのも、いままでの2011年間堤防がなかった(近代は江戸時代から船の海運業として栄えてきた名残)という事実が、堤防という空間的な大変革に直面しました。いうなれば、地域としてのアイデンティティを、どのように保全するか、ということでもありました。

「無堤のアイデンティティは何か」→「堤防がないこと」→「川と街のつながりが良いこと」→「つながりが良いとは何か」→「空間的に一体的につながっていること」→「空間的に一体的につながっているように感じること」

「無堤のアイデンティティは何か」→「人と川で様々な活動がある」→「人と川の関係が強い」→「人と川の関係が強い」→「川に対する様々な思い出がある」→「川に対する愛着がある」→「川は大切」→「川が主役」

この二つは言葉は、どこの川にも言えることかもしれませんが、これに具体像を与えていく過程で、この地域らしいものになっていきました。ちなみに、この堤防に関する全体的な流れは復興のなかの復興事業で書いています。
ちなみに、この問いの連続は後付けですが、割とよくできていたのではないかなと、改めて感じています。

風景屋 プロジェクトページ

CREDIT
写真:Teppei Kobayashi
文章:Teppei Kobayashi

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