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湖畔の風景

十和田湖を訪れる人には読んでほしい記事です。ちなみに全国的に暑いようですが、十和田湖は30度前後、朝晩は長袖が必要なくらいまで気温が落ちます。標高は400mあり、周囲も豊かな自然に囲まれているからかもしれません。青森県内のまちはしっかり暑いようなので、十和田湖は避暑地なんだと思います。

夏休みに入り、連日のように多くの人が訪れる十和田湖ですが、天気が良い日は上のような夕日を見ることが出来るのに、観光客のみなさんが殆ど見ていないという不思議な状態に直面しています。

観光地と言いつつ、写真を撮って、さ〜っと移動するのではなく、もう少しゆっくり立ちどまるように、十和田湖の「あずましい」(南部弁で居心地が良い、気持ちが良い)時間を過ごしてもらいたいと考えています。

この文章は十和田湖畔のお店yamajuの立ち上げにあたり、地域の人と話を通してまとめた湖畔の学びのはじまりであり、クラウドファンディングで支援してくださった方たちに冊子にして配布したものです。

お話を伺った人(五十音順、所属)
・太田 英子(喫茶憩い)
・太田 勝男(一般社団法人十和田湖国立公園協会)
・太田 泰博(Towadako Guidehouse櫂)
・川村 藤一郎,京子(十和田湖バックパッカーズ)
・木村 章悦(神田川)
・木村 省三(ひめます商店)
・木村 節子(木村売店 ねぶた)
・木村 満(とちの茶屋)
・佐藤 晃一(一般社団法人十和田湖国立公園協会)
・高瀬 明彦(こけしの高瀬)
・高瀬 宗明(たかさご屋)
・森田 健, 一成(おみやげとお食事の店 森田)
・山下 清吉(一般財団法人自然公園財団十和田支部)
・吉崎 明子(十和田湖自然ガイドクラブ)
| 企画・文章・写真:風景屋 小林 徹平
| 制作協力:安藤巖乙、小林 恵里、中野和香奈

yamajuのHP

改修中の写真

| 目次 |
湖畔の風景 〜 地域の人に教わった16のまなざし 〜
00 はじまり /  01 なんでもある/ 02 風は表現者/ 03 千変万化 / 04 変化を感じる / 05 見えてくる / 06 想像する / 07 理解する/ 08 うたがう/ 09 本質はどこに / 10 日常に在るもの / 11 自然のつながり/ 12 美味しい空気 /13 身を浸す / 14 集落の遺伝子 / 15 わかること / 16 わからなくてよいこと

00 はじまり | “「ここには何もない」と言われる”

『地域の人たちに教わった16のまなざし』は、十和田湖の人たちに一人ひとり話を聞いていくなかで、ふと出て来た“言葉”を取り上げたものです。本質を捉えた言葉をタイトルとして抽出し、その背景にある物語を書きとめました。
 まなざし01から16は、どこからでも読んでもかまいません。言葉を受け取ってから一年、その半分を十和田湖で過ごしてきました。言葉の解釈は人によってさまざまですが、こんなふうにも受け取れるんだなと温かい目で読んでもらえると幸いです。よく「ここには何もない」と言われるみたいですが、この物語をまとめる中で、そんなことはないとより一層強く感じています。16の物語が湖畔の風景を味わうきっかけになれば嬉しいです。

01 なんでもある | “どこでも遊べたし、何もなくても遊べた”

「子どもの頃は乙女の像の奥だったりが、遊び場で、魚釣りをしていた。特に、岩場にエビがたくさんいて、仕掛け網でとったりもしてた。」「岩場にはオニヤンマのヤゴなどもいて……」「山ブドウのつるで濡れないようにテントをつくって……」

十和田湖畔は子どもにとっては観光地というより、遊び場だったようです。自然との自由なやりとりと、創造性を感じます。現在、他の地域では柔らかい地面が減り、自然の多様性が失われてきているようですが、湖畔には変わらない自然が残っています。

自籠岩、占場は今でも大切な信仰の場所でありながら、遊び場でもあるのです。あるものをどう捉えるか、遊び心をもって目の前にあるものと向き合っていくと面白い日々が送れそうです。

02 風は表現者 | “やっぱり凪の日はいつみても綺麗だと思う”

 日々の暮らしのなかでも多くの人から「今日は凪でよいね」と聞きます。写真のような景色に出合えないと、外から来る人は「本当に見られるんですか」と言う人もいます。それくらい貴重なのでしょう。早朝は空気の状態が安定しているからか、凪の景色が見られる確率が高いです。また、風のある日でも半島に点在する入江や、風上であれば外輪山に守られているので凪のような景色を見ることが出来ます。そして、忘れてはいけないのが、周囲の自然の多様性を支えているのが凪だけではなく風だといということです。 

 波は風を映しているんですね。目の前の景色を受け入れて、今日はどの方角から、風速はどれくらいかなと、風の表情を楽しむのも、湖畔でのひとつの遊び方かもしれません。

03 千変万化 | “山野草、樹木……沢山の表情に自分がウキウキする”

 十和田湖の風景が大好きな人に「太陽のライトアップ」と「千変万化」というふたつの言葉をいただきました。二度と同じ瞬間は訪れないという、当たり前の事実を如実に表していると思います。撮りたいと思った時に限ってカメラを持っておらず、取りに戻るとその景色は消え去っている。
 再現性のない自然・光の変化は、だからこそ「有難い」と感じます。地元の人も、実はお客さんの相手をしていたりしていて、なかなか写真に収めることはできていないのです。まして、観光で訪れる人がそんな景色に出合える確率は低いのでしょうか。そんなことはありません。毎日が太陽と雲、水の饗宴です。眼前に広がるどの風景も、千変万化の景色のひとつです。

04 変化を感じる | “あの葉の色づきと風景を毎年写真で撮るんです”

 地域の人は自然の機微をよく知っています。ひとつ紅葉をとってみても、「恵比寿大黒島の前のデッキにトンネルのように……(左写真)」「〜のブナ林に光が差し込むと三六〇度黄色に囲まれて……」などと、自分が好きな場所や画角を教えてくれます。十和田湖畔は紅葉する樹木もありますが、黄葉、褐葉、白葉するものなど、さまざまな色を見ることが出来ます。特に、赤い色素のアントシアニンが生成される木が少ないのか、黄葉をよく目にします。江戸時代後期に訪れた旅行家で博物学者の菅江真澄も、カツラの黄葉が溢れる絵を残しています。

 春には、「春もみじ」と呼ばれ、葉が芽吹く前の仄かな淡い色づきの景色を見ることも出来ます。どれも、変化を知らせてくれる大切な景色です。

見えてくる | “湖のなかにいる魚も水面を動かすんです”

 春先、湖面が見えるお店の中でお話していました。その日は凪に近い風。「湖をいっつも見てる。たまに湖面の下にいるお魚、その動きが見えるのよ」「あ、今日も見える。ほらほら」「えっ、えっ」「ほら、ほら」その瞬間、確かに水面がさ〜っと動いた気がしました。カメラとともに店を飛び出し、その機会を待っていると、ささ〜っ、ピョンッ、ささ〜っ。お魚のお腹が銀白色に煌きました。この光景は風のない水温が高い日に、ヒメマスが水面近くまで来ることで見えるようです。冬はヒメマスも寒いので、温かい場所を求めて深いところまで潜ってしまい、なかなか見ることが叶いません。ちなみに、秋の夕暮れ時にはトンボが、冬は渡り鳥が湖面でぷかぷかしています。みんな気持ちよさそうです。

06 想像する| “十和田湖は山手線と同じ大きさです”

 東京を環状に走る山手線の面積は約65㎢と言われています。ニューヨークのあるマンハッタン島は約59㎢。面積でみると、一つの大都市が入る大きさが約60㎢と言えます。十和田湖の大きさは……、約61㎢!!

 十和田湖は古くから湖を東湖、中湖、西湖、北湖と四つに分けて呼ばれています。例えば、ホテルが集まる休屋・休平地区から見える湖は西湖であり、そこから見えるのは全体の20%程度です。見えているようで、全然見えていないのですね。

 周長でいうと山手線は約20㎞、十和田湖は約46㎞、倍以上の長さがあります。深さは日本3位の三二七m。湖には、14種の魚類が棲んでいます。十和田湖という広大で深い湖に、何匹のお魚さんが住んでいるんでしょうね。

07 理解する| 是非展望台へ行ってほしいなぁ”

 「たまに奥入瀬渓流を抜けて子ノ口で見てきた湖の範囲と、休屋のそれを同じだと思っている人がたまにいる」意識していないと、見慣れない地形に起因して誤解が生まれているのかもしれません。自分がどこにいて、どこを眺めているのか、地図アプリを開きつつ、歩いてみると面白そうです。

 十和田湖は一八〇〇年代後半までは、人里離れた信仰の聖地でした。古くからあったように見える奥入瀬渓流沿いの道も、一九一〇年以降の整備です。それ以前は峠越えの道で、これが神域に入る結界でした。現在は観光客にとっての結界であり、地域の人には故郷に帰って来たと感じる結界にもなっています。是非、峠や展望台に行って、湖の大きさを感じ、水際に降り立ち……、結界の内外から十和田湖を味わってみてほしいです。

08 うたがう|“海だと4km先は水平線ですよ”

 休屋地区の遊覧船乗り場の桟橋からまっすぐ対岸まで、約4㎞です。これは海だと、子どもが水平線と感じはじめる距離にあたります。左の写真は海ですが、半島の先まで約4㎞です。半島の先が水平線につながっているように見えますね。湖の前で目を閉じて、水平線を想像するのも面白そうです。

 湖畔で佇んでいると、どこか安心する風景が広がっている気がします。人は木の下や壁沿いなど、背後に何かある方が安心するといわれています。湖畔では外輪山がいつも背後にあり、私たちを包んでくれていることが影響しているのかもしれません。今、見えているものを少し違う角度から何かと照らし合わせてみると、新しい発見がありそうです。

09 本質はどこに| “冬は見えなかったものが見えてくる”

 春先のよく晴れた穏やかな日、ある人が語ってくれました。「対岸の山に線が見えると地層みたいな線が見えて、すごく面白いのよね。葉が落ちて、雪が降ると一層見えてくるの。冬ならではの景色で好きなの」数万年前に起きた噴火により現在の原型が生まれたといわれている十和田湖。何度かの噴火の際に、元々あった山が崩れた結果として、断層のような線が見えていることが理由らしいですが、地学的には、未だわかっていないそうです。万年単位の風景です。

 葉や種が落ちはじめると、冬のはじまりです。この時期、木々は来年の新芽の準備を既にはじめていて、枝からその様子を知ることが出来ます。循環の準備です。冬は、もしかすると、本質が見える季節といえそうです。 

10 日常に在るもの | “山野草はサンカヨウが好きだなぁ”

 「馴染みのある植物はありますか」と話をしていると、数名の方から、この植物の名前があがりました。それ以外にも、ヤマボウシ、ウメバチソウ、トリカブトの紫色の花など、聞いたこともないさまざまな名前が列挙され、驚きました。

 秋になると、その様子の一端を伺い知ることができました。「あそこは〜が採れるのよ」「どこどこのキノコが出てきた」など、みなさん地面の動きに敏感なんです。

 春、雪解けが進むと、山菜採りがはじまるのかなとわくわくします。残念ながら、国立公園内で植物を採取することは区域によって禁止されています。地域の人にの秘密の場所に連れて行ってもらい、採らずに撮るのは面白そうです。

11. 自然のつながり | “命のゆりかご”

七月五日甲子。卯時。日无レ暉。其貌似レ月。時人奇レ之。
十三日。出羽國言上雨レ灰高二寸諸郷農桑枯損之由一。
扶桑略記 九一五年  著:阿舎利皇円

 九一五年、十和田湖で起きた噴火は過去二〇〇〇年間の間に国内でもっとも大きく、その灰は比叡山延暦寺まで届いたようです。
 上の日記は、その時の記述です。この噴火で、尾根・谷などにより差はありますが、おおよそ周囲20㎞圏は焼き尽くされたといわれています。溶岩・岩の上では植物は成長できません。では、なぜ目の前に豊かな自然林があるのか。命のはじまりは、岩に苔・地衣類が付くところからはじまります。保水性と抗菌性のある苔がつき、実生が育ち、枯れて土となり……その生命の循環により、一一〇〇年の時を経て眼前に広がっています。

12. 美味しい空気 | “クーラーのない時代からこの場所は涼しいんです”

 十和田湖に来て間もない頃、よく面倒を見てくれて、声をかけてくれる人との何気ない会話のはじまりにいわれた言葉。「涼しいでしょ。昔から避暑地なんだよ」
 都市から十和田湖へ訪れるたびに、その気候の差に驚きます。冬はもっと驚く寒さですが……。いつ来ても、足を踏み入れると別世界に来たような感覚になリます。気温もさることながら、湿度も違い、空気の質そのものが違うように感じます。そして、空気が綺麗を超えて美味しいです。

 十和田湖へ来た際は、体内の空気を全部入れ替えたら面白いかもしれません。冬はこれに加えて深深と静まる空気の森と湖の空気、さらに奥深い雪の世界が待っています。

13. 身を浸す | “昔は女人禁制の場所でした”

 霊山十和田。そのはじまりは平安末期といわれています。湖に住む龍女と修行僧の結縁から湖の主が誕生し、開山されます。それから明治以前までは神仏習合の寺院であり、山林・山岳修行の地であり、民衆の難行苦行の末にたどりつく聖地として存在しました。
 参詣者は、主に青森の八戸、秋田の毛馬内付近の神社、滝などを起点とし、外輪山の峠を超えて、湖畔へたどりつき、解除川(現神田川)、十和田御堂(現、十和田神社)、そしてお供えやお祈りをする占場まで来ていました。江戸時代以前は、女性は外輪山の峠から遥拝をしていました。

 身を浸すように滞在しながら、自然の叡智に、外輪山の内側の領域に、往時の人の想いに、思いを寄せてみるのも面白いかもしれません。

14. 集落の遺伝子 | “んまぁ、ひっつみだよね。んぁ、でもね……”

 一八七六年に人の定住がはじまって以来、一九三六年に十和田国立公園に制定され、近くの鉱山開発もあり多くの人が住みはじめました。一九五〇年の記録で戸数五二、人口三二〇人、二〇一八年は約二百人のため、現在よりも多くの人が住んでいたようです。
 元々は南部藩の開拓から始まりましたが、時を待たずして明治政府となり、戦争を経て、豊かな自然を誇る観光地として集落が形成されていきます。家庭の味を探していくと、山菜料理、煮合いっこ、けの汁、きりたんぽ……といわゆる津軽、南部、秋田の郷土料理が並びます。主に三つの地域から湖畔の文化が育まれてきたことがよくわかります。観光地として、人を迎え入れ、混ざり合うのは、集落の遺伝子といえそうです。

15 わかること | “夕焼けに照らされる半島の赤松をよく見に行ったなぁ”

「夕暮れ時にボートに乗って中山半島の赤松をよく見に行ってた。西側からの太陽が綺麗に赤松照らすんだよ」
 そんな話を聞いていたところ、一九三三年に発行された『十和田湖案内』という当時のパンフレットに、「ユーグレ松」という記載を見つけて驚きました。その人は無意識だったのかもしれませんが、親か、そのまた親が見せに行っていたのでしょうか。半島にびっしり描かれている名称は、サキ(崎)、イワ(岩)など長い時間が経過しても残るものですが、マツ(松)は、唯一植物の記載です。昔の人も、今の人も紹介したいと感じる気持ちは同じなのかもしれません。カヌーやボートに乗って静かに湖に漕ぎ出し、「ユーグレ松」を見に行きたいものです。

16 わからなくてよいこと | “沈んでいく夕日綺麗よ”

 対岸に沈む夕暮れの光。じっと見ていると、赤色からはじまり、橙色を帯びはじめ、黄色くなり、山の向こうへ沈むと、青紫、赤紫色へ変化してくことが多い気がします。人の目は、周囲の景色が吸収しない光線を受け取るらしいですが……。小難しいことは、自然の美しさの前では説明不要ですね。 

 わからなくてよいこともあってよいでしょう。夕日、綺麗よ。

………………………

これらの話は住民の方との会話の中で、以下の質問を混ぜ合せつつ、行なっていました。

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