受動的からの卒業
バイトが休み、大学が休み、友達との・彼氏との(今はいない)・家族と会う予定も電話をする予定もない
だから
美味しいのを食べに行く、本読む、ジムへ行く…
ひとりの時間を謳歌しようとすればするほど、その時間は「自分は充実しているよ」という「安心材料」をつくるための時間になる。ひとり時間は、他人にも自分にも「私は毎日を充実しているのだ」というアピール材料をつくるために消費されていく。
そうでなければ、見たいとも思っていない映画やyoutubeを見て(芸人さんのyoutubeは除く)なんとなく時間をつぶす。
充実した日々を送っているのに何かが足りない。ずっと引っ掛かっていた。けど、分からない。
そんなわだかまりを抱えた私に小さい事件が起きた。
元カレに振られた。
もちろん悲しかったが、それ以上に「この人の彼女にはなることができない」というアイデンティティの喪失に大きな絶望感を抱いた。私はこれからどうすればよいのか。本気でそう思った。出口の分からない問いからもう目を放すことなんてできず、二度絶望した。
しかし、その突破口は案外すぐに見つかった。
実家へ帰省し、家でダラダラしながら、「自分を満たしてくれるものが本か食べ物しかない」と母に嘆いたとき、母は
「受動的であると、心はいつまでも満たされない」
といった。
あぁ、謎は全て解けた。
私はいつも受け身であったと。充実した日々を送りたいがために、人や物に
「私は充実した人生を送りたい。だから何とかして」
と幸せの手綱を渡していたのだ。
元カレは本当に魅力的な男性である。だからこそ、彼とまた付き合ったら私の生活も魅力的になるだろうと思っていた。だから、彼に幸せの手綱を渡そうとしていた。
彼を幸せにしたい。笑った顔が見たいなんて一ミリも思っていなかった。ごめん。
この食べ物を食べたら私の心は満足する、この本が・映画が私を変えてくれる、あの服を着れば私は毎日ワクワクすることができる、あの人に会えば私は楽しい時間を過ごせる…
自分の幸せは、物・人で決めようとしていた。利用していた。
自己中な世界はなんて彩がなく、悲しいものなのだろう。
このことに気づくきっかけをくれた元カレさんと母には感謝しかない。
この場を借りて、ありがとうございます。
今日から私は受動的な自分から能動的な私へシフトさせていきたい。
充実させたいからというゴールを決めて何かをするのではなく、
「~したいからやる」、「やってみよう」
という気持ちを大切にする。
ベクトルを周りから自分ではなく、自分から周りへに変えていく。
この決断が吉と出るか凶と出るかは分からないけれど、今変わらないともう一生自己中な人生を送ることになる。と直感だが思っている。
だから、人へ物へ興味を持って、この人の物の魅力とは。相手を幸せにするにはどうしたらよいのだろうという気持ちを大切にしていきたい。
この投稿が誰かのためになれば、私は能動的人間への道を一歩踏み出せたのかもしれない。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました✨