わたしが好きな街々~クロアチア スプリト~
ヨーロッパには沢山古代ローマの街がありますが、本当に古代ローマが今も息づいているのは・・・
ヨーロッパを旅すれば、古代ローマを発祥とする街が結構あり、いずれも円形劇場や水道橋や凱旋門など遺跡が残り、街のシンボルとなっています。
目ぼしいところだけでも、フランスではアルル、ニーム、オータン、スペインではメリダ、セゴビア、タラゴナ、ドイツはトリア、イギリスはバースと、いずれもローマ時代の遺跡がよく残り、「古代ローマ」の街として名高く、遺跡は整備されよく保存され、現在の街とは独立した存在として残されているが、今日紹介するスプリトはそれとはかなり違っていて、古代と現代が混在しているというのが正確でしょうか。
街が古代ローマの城壁の中に築かれ、それが現在に至っており、家壁や石畳にも古代ローマ時代のものがそのまま使われ、その中に人々は普通に暮らしています。
初めてスプリトを訪れた時にそのことを聞き、その後、数度訪れましたが、回を重ねるごとに興味は増すばかりで、私が最もお勧めする隠れたクロアチア一と言ってもいいほど、大好きな町です。
クロアチアのアドリア海沿岸にあるスプリトは、中世から重要な港町で交通の要所であり、今も観光地として知られていますが、更に南にあるクロアチア一の観光地ドブロブニクに主役を奪われ、影の存在のまま、今に至っているように思います。
しかし、この街ほど、深みがあって知れば知るほど感心する街はありません。これから紹介します。
スプリトの歴史を紐解くと、そして城壁内の旧市街を歩けば
その歴史は4世紀に遡り、軍人出身の強いローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が隠居するための宮殿として建てられました。
四方を城壁(一辺200m)で囲み、要塞のような作りでしたが、その後、一時廃墟となり、7世紀になって異民族に追われた人々が宮殿内に流れ込み、住み着くようになりました。
そして人々は城壁の中に建物を造り、人口も増えていき、狭い中に道が引かれ、いろいろな時代の建物が積み重って、迷路なような町が出来上がり、現在のスプリトの旧市街となっています。
その中心にあったディオクレティアヌスの霊廟のところに、中世になって高い鐘楼が付いた大聖堂が建造されました。
この小さな旧市街を歩けば、古代ローマ時代のジュピター神殿の一部や浴場跡などが残っており、2000年に渡って累々と引き継がれてきた街を実感することができます。
従ってこの中に住むということは、古代からの遺産を残しながら、親から子へと引き継がれてきた訳で、家を修復するのには、とても厳しい規定があり、沢連でも古い中に身を置きたいという願望とでもいうスプリット(ちょっと洒落です)がスプリトを今に残しているという訳です。
楽しいスプリト 朝は市場からスタート、旧市街歩き、そして夕方は港前で人間ウォッチング
朝は、まずに港から出発して地元の人たちで賑わう市場へ。
テントが連なる下には、今朝取れたアドリア海の幸や近郊の農家から運ばれた新鮮な野菜や果物、そして自家製のチーズやはちみつが、所狭しと並べられています。
山ずみになったサクランボやトマトやキュウリそして、日本ではあまり見かけないお魚などを眺め、自家製のオリーブの漬物を味見しながら歩くのも楽しいものです。
そしてそこからちょっと先に城門があって、旧市街に入ります。
細い路地には建物がぎっしり並び、ここが宮殿の跡という感じがしません。こ洒落たカフェで、一杯のコーヒーをすすりながら、奥の壁は実は城壁の壁という話を聞いて、普通に2000年前の壁を自分の家に取り込んでいるの知って、何か、特別なパワーをもらったようなポジティブな気分になってカフェを出ました。
さらに中心部に向かって進むと、12本のコリント式の石柱が建つ列柱広場に出ました。
ここは、かつてディオクレティアヌスの廟であったところに中世になって大聖堂が築かれました。
礼拝堂はルネサンス様式、鐘楼は13世紀もので、長い年月が共存して、何ら違和感のない不思議な景観を造っています。
さらにそこから門をくぐって地下へ降りていくと、古代ローマの遺跡が保存状態の良い状態で残っています。
自分でも一体どうなっているのかがわからなくなってくるほど不思議な空間となっています。
かつて、こうした経験はローマで味わったことがありますが、ローマから遠く離れたこの地で、同じような体験をするとは思いもしませんでした。
さて、迷路のような旧市街を出て、海沿いのプロムナードに出ました。ゆったりの湾曲した道沿いには椰子の並木が生い茂り、白い長椅子がいくつも置かれていて、ちょっとくたびれたこともあり、一休み。
アイスクリームを頬張りながら行き交う人々を眺めるのもまた、楽しいものです。
ヴェネチアの香りがする建造物と丘からの絶景のパノラマ
スプリトの街は古代ローマ一辺倒という訳でもなく、この町を歩けば、ヴェネチアの足跡をよく見かけることです。
中世になると約400年にわたってスプリトはヴェネチアの支配下となり、東方交易な重要な港町として繁栄しました。街を歩くとヴェネチア風の窓やバルコニー、時にはヴェネチアのシンボルであるライオンの紋章をよく見かけます。
19世紀ではありますが、サン・マルコ広場を模倣した共和国広場が造られ、ヴェネチアの圧倒的な影響下にあったことをよく物語っています。
また、この街全体を俯瞰したければ、町はずれにあるマリヤンの丘がお勧めです。見晴らしがよく、アドリア海とスプリトの街を一望でき、市民の憩いの場所でもあります。
おすすめ日帰り旅行 アドリア海に浮かぶフヴァール島とアドリア海の海賊の町オミッシュへ
スプリトを基点に日帰りで、お勧めが2か所あります。
ひとつは、スプリトの沖合にあり、数あるアドリア海の島の中でもその景観の美しさと歴史的文化遺産を多く残すフヴァール島への旅です。
クロアチアにはアドリア海に浮かぶ大小1000以上の島がありますが、豊かな緑や海食崖など島らしい景観とそこに佇む歴史ある街々が、のどかで不思議な魅力を放っています。
スプリトからは高速船で75分、手軽にアドリア海の島旅が味わえます。
フヴァール島に着いたら、まず城塞に登ってパノラマを。
眼下にはオレンジ屋根の街並とアドリア海に浮かぶ小島が何とも言えない絶景を眺めることができます。また、自然も素晴らしく、ラヴェンダー栽培でも有名な島です。
もうひとつは、スプリトから海岸線を下ること30分。
石灰岩の岩山がそそり立った、ちょっと何かが潜んでいるようなオミッシュの町があります。
ここは一言で言うと「海賊の町」で、沖合を航行する船から財宝を略奪する海賊の住みかがあったところで、彼らは非常に恐れられました。
今も町のシンボルとして残るミラベラ要塞に登れば、オミッシュの海賊がこの要塞を海の見晴らしと隠れ家として使用していたことがうなずける筈です。
鹿野真澄