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【舞台は小樽】2月は呪いの季節〜パティスリーシノノメの事件録〜第7話

第7話 本当に怖いのは

 外に出ると、ようやく雪が止んでいた。

 スコップで雪を掘ったり、除雪機のたてる低い音が、あちこちでしている。

 そのような夜道を、弥生は土門と連れ立って歩いていた。

 車道にも雪が十センチは積もっているので、ちょうど左右に一本ずつ伸びている、タイヤの跡に沿って歩くしかない。

 うっすら横目で観察するが、やはり映画から出て来たようなイケメンだ。

 まだ緊張はするが、少しずつこの男にも慣れてきた気がする。

「そういえば、ひな人形は見つかったんだろ?どこから出てきたんだ?」

 急にこちらを見られたので、弥生は言葉に詰まった。

「えっと…土門さんの言っていた通り、昨日私が触りもしなかった場所にありました。人形が本当に歩いたんじゃないかって、変な空気になっちゃいましたよ」

 土門は何か考え込んでいるようだ。

「土門さんは、優子と何を話したんですか?」
「御手洗さんを親友だと思っているのか、と聞いただけだ。優子は何と言っていた?」

 優子の涙を思い出すが、やはりこの男と優子の話が繋がらない。

 そのような違和感を覚えながら、弥生はその時の状況を説明した。

「はぁ?そう言われたと聞いただけで、店に押しかけてきたのか?優子は今朝初めて会ったのに、施設にいた事なんか、分かるわけないだろ」

 思い込み激しいにも程があるだろ、と呆れ顔の土門。

 やっぱり、この人があんな事言うわけがない、と弥生は確信した。

 それに、土門の指摘する通りだ。
 何故あそこまで鵜呑みにしてしまったのだろう。

「という事は、御手洗さんも施設出身なのか?」
「…はい。優子とはずっと同じ施設で育ちました。学校もずっと一緒で」

 施設、という単語を口にするのは今でも緊張する。

 目の前の相手から、偏見や、自分より劣った境遇の人間に対するマウントが透けて見えて、がっかりした事も一度や二度ではない。

「じゃあ、あのオタモイの家には退所してから?」
「…そうです」

「確か、十八歳になったら出ないといけないんだったか?」
「はい。面倒を見てくれた弁護士の人がいい人で、退所したら慣れ親しんだ家で暮らせるようにって、色々動いてくれて」

 土門が聞いてくるままに、弥生は施設の事を話していた。

 変な同情などはなく、学生時代はどうしていたのか?と聞いてくるような温度感だ。

 また少し、緊張感が薄れていくのが、弥生には嬉しかった。

「仕事柄、そういう背景の人間と会った事はあるが、詳しく聞いた事はなかったな」
「そうなんですね」
「俺には想像つかないぐらい、色々大変だったんだろうな」
「まぁそれなりには…でも、優子がいてくれましたから」

 土門が突然立ち止まる。
 先ほどまであれほど饒舌だったのに、何か言いにくそうな表情だ。

「御手洗さんにとっては厳しい話になるかもしれないが、聞いてくれるか?」

 胸の内側から、苦い何かがじわりと広がる。

「今朝の人形の一件、俺は優子がやったと思っている」
「……」

 先ほどのように頭に血は上らないが、友達を悪く言われて、やはりいい気はしない。

「何でそう思うんですか?」
「じゃあ逆に聞くが、どうして雛人形は昨日と全く違う箱に入っていたと思う?」
「それは…きっと私が入れ間違えちゃったんですよ」

 どうにか笑って取り繕おうとするが、続く土門の言葉には、全く容赦がなかった。

「同じ一群の違う箱に入れてしまう事はあっても、昨日自分が触りもしなかった場所から出てくるのは、おかしくないか?本当に、人形が勝手に歩いたとでも?」

 至極真っ当な考えだが、先程まで呪いやら呪詛返しやら言っていたのに、随分と現実的だ。

「何でも霊のせいにするのは短絡的だ。そこを疑う前に、考えるべき事があるだろ」

 言いたい事は分かる。
 死者の霊より、生きた人間を疑え、という話だ。

「気に食わない同僚のデスクやロッカーを開けて、大事なものを抜き取る。次の日、パニックになって探す姿を一通り眺めて満足してから、さもこの瞬間に発見しました、と言わんばかりに出すだけでいい」

「そんな事する人、いるんですか?」

「この世には、人が困っている姿を見て、内心愉しんでいる人間っていうのがいるんだよ」

 この男がそう言うのだ。きっとそうなのだろう。

 だが弥生は、そこと優子を繋げられない。

 土門が他人の境遇を笑う人間ではないように、優子だってそんな人間ではないのだ。

「優子がやったって証拠はあるんですか?」
「ないだろうな。本人の自白がないと成立しない。だから優子の家に行こうと誘ったんだ」

 タイミングを計ったように、目的地が見えて来た。

 優子の家は、築三十年は経っていそうな、安普請のアパートだ。吹き曝しの通路に、各部屋のドアが並んでいる外観である。オートロックもエレベーターもない。

 女性の一人暮らしには不用心だが、家賃が安いからと、優子はずっとここで暮らしている。

「俺はここで待っている」
「え?私一人で行くんですか?」
「俺がいたら、話がややこしくなるだけだろ」

 確かにその通りなのだが。

「…一人だと、怖いです。何て切り出したらいいか…」
「手始めに、俺に本当は何を言われたのか聞いてみろ。そこだけは、優子が嘘をついたのは確実だからな」
「なるほど…そうしてみます」

 意を決して少し進んだところで、名前を呼ばれ、振り返る。

「俺は、自分がそうしたいから助けた。もう目的は達したから、あとは御手洗さん次第だ」
「…どういう事ですか?」

 土門は答えなかった。

 代わりに、進むよう促すジェスチャーが返ってくる。
 何だか先生みたいだ、と思いながら、弥生はエントランスをくぐった。

 コンクリート打ちっぱなしの階段を上がり、二階へ行く。奥から二番目の部屋だ。

 何度も訪れた、優子の部屋のドアが目の前にある。

 前回来た時と、何の変化もない。
 どうして今日は、重く冷たく見えてしまうのだろうか。

 振り返ると、土門は少し場所を変えて、ここからは見えにくい位置にいた。

 この時期は立ち止まっているだけで足元が冷えてくる。風邪を引かせてしまっては申し訳ない。早く終わらせなければ。

―大丈夫…聞きたい事を聞くだけだ。

 無機質なチャイムに続いて、パタパタと足音が近づいてくる。

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