おばあちゃん

 もう30歳も過ぎると、普通に祖父母が寿命を迎える。90歳とかで大往生する。

 今年の6月某日、おかんからのLINEで、おばあちゃんが亡くなった報告を受けた。
その時俺は、夜から大阪でライブがあったので、仕事は午後休で早々に切り上げ、家路の途中だった。
 おばあちゃんは認知症になってから10年近く経っており、晩年は施設で過ごしていた。
「会いに行こうか?」とおかんに言ってみても、
「いやー、行ってももう誰かも全く分かってへんよ」と、やんわりと「やめとけ」って言われた。
娘であるおかんのことも「どちら様ですか?」と全然認識しなかったそうなので、結構なショックを受けていたのだろう。同じ思いを俺にしてほしくなかったのかもしれない。だから、おばあちゃんは俺が就職したり結婚したことどころか、たぶん自分に30超えた孫がいるというのも知らない状態だった。

 そんな状況で受けた報告。長いこと会っていなかったから、最初はあんまりピンと来ていなかった。だけど、次第におばあちゃんが死んだことをじわじわ認識すると、色んな思い出が頭の中を駆け巡った。幼い頃、おばあちゃんに握ってもらったやたら塩味の強くて(しょっぱい とまではいかない絶妙な塩梅)クソ美味いおにぎりの味とか、小5の夏休みにおかんが手術するからその年の夏休みのほとんどをおじいちゃんおばあちゃんの家で過ごしたこととか、その最中に持って行ったゲームキューブで従姉妹とスマブラしたこととか、大学生になるとサークルとか友達との予定を優先してあまり会いに行けなかったこととか、従姉妹家族とかとおじいちゃんおばあちゃんのところに集まってみんなでロイヤルホストに行ったこととか。

 子供の頃、夏休みはおばあちゃんちに行くのが定番だった。台所のテレビで、孫のために用意してくれてる棒状のアイスを食べながら、昼ぐらいにやってるめちゃイケの再放送を見ていた。The 昔のバラエティな番組なので、めちゃイケのサイコロで出た目に描かれてる出演者に対して、寄ってたかってハリセンでぶっ叩きまくるというコーナーがあった。それを傍目で見ていたおばあちゃんが「こういうのはよくない」と溢していたのをよく覚えている。この話を思い出す時に頭に浮かぶ映像は、外人を模した付け鼻をしてるめちゃイケメンバーと、台所のかわいい花柄が描かれた机(多分昭和に花柄が流行った時代のものだと思う)と、もう誰も使っていない勝手口と、チョコでコーティングされたパリパリ食感系のアイスバー。たぶんその時バツが悪くておばあちゃんの顔をしっかり見れていなかったんだと思う。

 おばあちゃんの家にはスーファミと初代プレステが置いてあった。従姉妹一家がすぐ近くに住んでいたので、おばあちゃんの家に置いていたのだ。当時から生粋のゲームっ子だった俺は、おばあちゃんちに行くのが楽しみだった。パイロットウィングスとか、ポポロクロイスとか、当時持ってなかったゲームが出来るから。おばあちゃんはそんなにゲームすることに対してうるさく言わないタイプで、孫がテレビゲームやりまくってるのを「やりすぎたらいかんよ」優しく言うくらいでとどめていた。たぶん俺がゲームしてる横で、おじいちゃんがひたすらパソコンに最初からインストールされてるソリティアをやりまくっていたのもあると思う。おじいちゃんは暇なときとにかくソリティアをしていた。

 おばあちゃんに関する思い出で、人に話せるほどの強いエピソードなんかは特別思い当たらない。孫に優しい普通のおばあちゃんだった。
 年に数回、長期休みのタイミングで数日間だけ会う人。人生で会った日数を合計しても、365日にすら届かないと思う。おばあちゃんは、意識がはっきりしてる間に、俺から聞いておきたかった話とかなかっただろうか。俺は話したかったことがたくさんある。会わせたかった人もいる。
 晩婚化だったり、結婚しない自由だったり、多様な価値観を認めましょうという形で世の中はアップデートされた。それ自体はとても素晴らしいことなのだと思うけど、一方で、昔は早くに誰もが結婚して子供産んで ってしていたのは、孫の顔を祖父母が元気なうちに見せてあげるというのも、目的の一つとしてあったのかもしれない。会いたい人に会えるうちに、話したいことを話さないといけないなと思った。

 おばあちゃんの家は、晩年、諸事情で別の人の手に渡ったので、思い出の家にはもう行けなくなってしまっている。
 ある日、Googleのストリートビューで、「○年前の時点」といった形で、映し出す道の画像の年月を遡れることを知った。すかさず旧おばあちゃんちの住所を入力して、10年前の日付で表示させてみると、家の表札があの頃のままのおばあちゃんちが見事映し出された。なんか全部走馬灯みたいになって、声にならない声が出てしまって、ちょっと泣いてしまった。


 そういえば、冒頭でも書いたが、おばあちゃんが亡くなった日はライブがあった。普通に最初の出演者からライブを見てると、シンガーソングライターの女の子が、どうやら亡くなったらしいおばあちゃんへの愛を伝える歌を歌いだした。さすがにタイムリーすぎて笑ってしまった。歌はとてもいい歌だった。ちなみに横でいっしょに見ていたベースのオクシンは、俺が泣いてるかもしれないと思って俺の方を見れなかったらしい。



 久々のnote更新だけどなんか、とりとめのない話になってしまった。いつもそうか。

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