資本主義の落日に、嗤う三女神(第1話)
あらすじ
高校生の冬柴蓮は、人生など無味乾燥な単純労働に過ぎないと感じ、自殺を考えていた。そこへ現れたのは、未来予知の力をくれる女神、バルタザールだった。過去の契約者の財産を貸す代わりに、契約者の記憶、能力、全財産を死に際に接収するというバルタザールと契約した蓮は、未来予知のスキルと10億円を手にし、大富豪となる。
だが、「換金女神」ことメルキオールを従える世界一の大富豪、ガゼルは、そんな蓮の成り上がりを不審に思い、攻撃を仕掛けてくる。ガゼルの引き起こすハイパーインフレで円もドルも紙屑になるなか、蓮はついに、真に価値あるものに気付き、戦いに身を投じていく。
第1話
冬柴蓮こと俺は、死のうと思っていた。
別に天涯孤独だからだとか、壮絶ないじめに遭っているからだとか、借金取りに追われているからだとか、そんな理由のためではない。
何をしても楽しくないからだ。
俺は学校でもそれなりに上手くやっているが、友達付き合いも、勉強も部活も、単調な労働のようにしか思えない。どうして他の人間は、こんな無味乾燥な日常を笑って過ごせるのだろうか?
友達、恋人がいるから? 嘘だ。無理をして他人に合わせることの何が楽しいのか。
打ち込めるものがあるから? 俺には見つけられなかった。どんな趣味でも、努力に見合う報酬が得られないと納得できない。
あるいは、皆人前では楽しそうなふりをしているだけなのか? だとしたら、世の高校生の演技力の高さには閉口してしまう。
いずれにせよ、こんな単調な毎日が続くようでは、精神に限界が来てしまう。工場で製品にネジを嵌め込む作業を、延々としているかのようだ。
しているかのようだった。
だが今は、愉しくて仕方がない。
精神が高揚している。
血沸き肉躍る。
目の前の女を倒すことだけを考えて、鉄棍を振るっている。
そう。今の俺には大義がある。戦う意味がある。もう余計な悩みなど感じない。ただただ、果たすべき使命を果たすために、目の前の出来事に集中していられる。
俺は、今この時のために生きてきた。
そう感じられた。
◇
2030年4月15日の夜、俺は夢を見た。
それも不吉な夢。
まず、荷車に大量の一万円札を積み込んで、苦しそうに運ぶ乞食の姿が見えた。有り余る金を持っているのに乞食と分かったのは、そのみすぼらしい見た目のせいだろうか。
次いで、街に溢れる大量の一万円札も見えた。街行く人々は、ゴミのようにその存在を無視し、容赦なく踏みつけて歩いていた。
紛うことなき、ハイパーインフレの起きた日本だ。
もしこれが予知夢だとしたら、と夢から醒めた俺は考えた。
ハイパーインフレで、稼ぐ方法はないか?
単純に考えて、日本円が掃いて捨てるほどあるなら、外貨に換えてしまえばいい。ただ、紙屑同然となった円と交換してくれる銀行などあるはずがない。
そう考えたとき、目の前に女が現れた。
「お金のことでお困りですか?」
栗色の髪を肩まで垂らした、長身痩躯の若い女だ。西欧人のようだが、日本語は通じるらしい。
「なら、良い儲け話があるのですが」
「なんだ? ウチはそんな金持ちじゃないぞ」
どこから入ったのかは知らないが、どうせ泥棒か詐欺師だろう。俺は落ち着いて返答し、警察を呼ぶ隙を窺う。
「私が? この私がお金なんか欲しがると、本気で思っているのですか?」
女はニタニタと笑う。
「私が見たいのは乱高下。ジェットコースターのように目まぐるしく人の変化。要するに栄枯盛衰を目にしたいのです。特等席でね」
「大層な悪趣味だ」
「褒め言葉です」
まともに相手するだけバカを見そうだな。
「あなた、今朝予知夢を見たでしょう? あれ、私がやったんです。私はあなたに未来を見せる。その代わりに手数料を頂く。悪くない取引でしょう?」
ちょっと待て。
なぜ俺が見た夢の内容まで知っている? まさかただの人間ではないのか?
ひょっとすると泥棒や詐欺師よりもよっぽど厄介な手合いかもしれない。俺は慎重に発言することにした。
「手数料なんか取ってどうするんだ? お前は乱高下が見られればそれでいいんだろ?」
「手数料といっても、現金だけではありませんよ? あなたの記憶、能力、全財産。その全てを、あなたの寿命が尽きるその時に頂くのです」
割に合わない取引だ。
と、一瞬は思ったが、死ぬ瞬間に全部奪われるのなら、どうせ変わらないじゃないか。死んだら全ては無に帰すのだから。
「天国での生活を無一文で記憶喪失の状態から始めろってわけか」
思わずそんな冗談が口をついて出る。未だにこいつの言葉を信じる気にはなれなかった。
「そうなりますね。もっとも、天国なんてものが存在すれば、の話ですがね」
女は気色の悪い笑みを浮かべる。
「未来を予知できるのはいいが、それによって行動を変えたら、未来は変わってしまうだろう?」
そうなれば、予知の意味はないわけだ。
「私が見せるのは大局的な未来のみです。あなたごときの行動で変わってしまうような未来は見せませんよ」
なら、割りのいい取引なのか?
「さらに、過去に私が接収した故人の資産は、全てあなたに受け継がれます。随時引き出し可能です」
女は驚くべきメリットを提示してきた。今まで何人の人間に憑りついてきたのかにもよるが、莫大な資産が手に入りそうだ。
だが、到底信じることはできない。
「俺には妄言としか思えないな。証拠でもあるのか?」
「ソウショクチャンネル」
女は謎の単語を口にした。
「なんだって?」
「動画配信サイト、@TUBE内のチャンネルです。検索してみてください。大したことない弱小配信者ですが、日本時間の今日。午後五時から始まる生配信で、彼女は一躍ヒーローになります」
未来予知とやらの力をここで示そうと言うのか。警察を呼ぶのはそれを確認してからでも遅くはないだろう。今のところ実害はないしな。
「面白い。本当にそうなるか、見てやろうじゃないか」
俺は早速パソコンでネット検索し、当該チャンネルを開いた。ライブ配信が5分後から始まるとのことだったので、待機しておいた。
やがて定刻になると、動物の仮面を被った金髪の女が現れた。
『はいみなさんこんにちは。ソウショクチャンネルのゼルちゃんでーす!』
驚くべきことに、配信者は英語訛りの強い日本語で話していた。傍らにいる大柄な男が、英語で同時通訳をしている。
普通逆じゃないか? 英語で話して、他言語の通訳もするのが常識的だ。
なぜわざわざ日本語にこだわる?
『今日は、日本にいる愛しいお兄ちゃんのために、世界が変わる瞬間をお見せしたいと思います! うわ、すごい、大きな建物ですねぇ』
映し出されたのは、見たことのない建物だった。
『さてと、』
女は仮面を取った。
『茶番はここまでにしよう。私はかの大財閥、アルファード家の次女、ガゼル・アルファード』
急に女の声色が変わった。ガゼルというらしい少女は、凶悪な笑みを浮かべて宣言を続ける。
『都市銀行、投資銀行、地域銀行……あとは信金に信組か? そんな零細金融機関などどうでもいい。我々の標的は国家の財政を支える中央銀行のみ。今日ここで、FRBこと連邦準備制度理事会を札束の山に換えてやろうじゃないか』
金髪の若い女が、荘厳な建物を前にして宣言する。その建物こそ、世界経済の中枢といっても差し支えない機関の入る建造物だった。
ガゼルの言葉は狂人のうわ言としか思えないが、何か真に迫るものがある。
「何をする気だ?」
俺は思わず呟いてしまう。
「ま、見てのお楽しみってところですかね」
全てを見透かしているらしい謎の女は、愉快そうに動画を眺めている。
パン、とガゼルが手を叩くと、画面いっぱいに灰色の龍が映し出された。それもかなりデカい。紙で作られたハリボテのようだが、生き物のようにリアルに動いている。
『さ、始めましょうか。全ては無価値な現金に換わるのだから』
灰色の龍は、FRBの入る建物に突っ込んでいく。
このハリボテの龍、何かおかしい。俺は動画を全画面表示にして目を凝らしてみた。
「この龍、まさか札束でできているのか?」
「その通り! これこそ全てを現金に換え、その現金を自在に操る女神、メルキオールの御業ですね。あ、ちなみに私はバルタザール。メルキオールの姉に当たる神です」
バルタザールとやらは衝撃的な事実を口にした。
到底信じられないが、FRBの建物は徐々に崩壊し、代わりに紙幣の嵐が吹き荒れていた。全てを現金に換えるというのは本当らしい。
五分間ほど紙幣が舞い散り、やがて近辺に堆積した。
近隣住民やら通行人が押し寄せ、次々と紙幣を掴み取りしていく。
すぐさま駆け付けた警備員、警察官が市民を制止しようとする。
だが。
『邪魔だな。殺せ』
ガゼルが短く呟く。
屋上からと思われる狙撃で、3人いた警備員は撃ち殺された。残った警察官も上を警戒しながら退却していく。
堆く積み上がった紙幣の山に、鮮血が飛び散る。が、市民は気にも留めず現金をかき集めている。
「なんなんだ。こんなテロを起こして、何が目的なんだ?」
「そのうち本人の口から語られますよ」
バルタザールは呑気に見物している。
『FRBの地下には2600億ドル相当の金塊が眠っていると噂だったが、本当にあったようだな。こうして現金として世に解き放たれた以上、ハイパーインフレは避けられないだろう。せいぜい愉しもうじゃないか。資本主義の落日を』
ガゼルは再び仮面を被り、カメラの方に向き直る。
『犠牲の上にしか成り立たない平和。血を流さなければ勝ち取れない自由。命を削らなければ稼げない日銭。おかしいとは思わないか。平和も自由も金も、人間の作り出した虚構だ。観念だ。それなのになぜ、そんなものに代価を払わなければならない? だから私は全てを壊す』
ガゼルの言うことは暴論にも思えて、どこか切実な願いのようにも聞こえた。
『全ては無価値な現金に換わる』
そうとだけ言い残して、配信は終了した。
「なんなんだ? あれをやった奴と、お前は姉妹なのか?」
「そうですね。現在ガゼル・アルファードという人間に憑りつき、換金能力を与えたのは私の妹、メルキオールです」
「そうか……」
俺はしばらく考え込む。こんな危険な人物(というか神?)と繋がりを持ってしまっていいのだろうか。
「どうします? このままいけば、円高ドル安になりますから、為替予約で一発当てられたかもしれませんね。まぁ、今となっては遅いですが」
「何が言いたい?」
「私と契約して、死後全ての財産、記憶、能力を明け渡すと約束してください。そうすればあなたは、未来予知の力で、この資本主義の落日を有利に生き延びることが出来ます」
まぁ、どうせ全てを接収される時には死んでいるんだし、関係ないか。
むしろ、後世のバルタザールとの契約者に遺産を残すことができるのだから、社会貢献にもなる。それに、あのガゼル・アルファードとかいう女の暴虐ぶりを思い返していると、不思議と心躍った。
もしかしたらこの単純労働の連続でしかない人生に、希望を見出せるかもしれない。
そんな気がした。
「分かった。お前と契約する。バルタザール」
「いいでしょう。存分に、あなたの人生の乱高下を堪能させて頂きます!」
こうして、バルタザールとかいう女神は俺の家に居つくことになった。
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