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ダンジョンから徒歩帰還するRPGが絶滅してるんじゃないかと危惧している件。

                       失われたゲーム性。


みなさん、RPG遊ばれます?
ポケモンでもドラクエでもFFでも。
あんまり元気ないかな?
ポケモンくらいか。

で、RPG遊ばれる人ならご存知かとおもいます。

ダンジョンですよ。

森とか洞窟とか地下迷宮とか城とか山とか遺跡とか。

古典からRPGには、冒険ってイメージがありますよね。

そうなると、戦闘ばかりでなく探索要素が求められます。

知らない場所や迷路を攻略するというデザイン。
ストーリー重視の作品では何度も同じダンジョンに挑戦することは稀です。(隠し、ラストダンジョンは例外)
はやく話を進めたいからでしょう。
そういった意味ではダンジョンの性質も変わってきます。

以前記事にもしましたが、古典的なRPGのWizardryシリーズや世界樹の迷宮シリーズなどがダンジョンRPGといわれ、何度もダンジョンに潜り挑戦することがメインのゲームです。
不思議のダンジョンシリーズに代表されるローグライクと言われるタイプもダンジョン攻略がメインです。

ストーリー重視の作品では、一回の挑戦でダンジョンをクリアしてしまうことも珍しくありません。

初見でクリアできるダンジョンてなんやねん。

改めて考えてみると妙な話です。
ですが、望まれた(?)カタチとしての流れとしてこうなったのなら必然でもあったのかもしれません。
めんどくさいもんね。
はやくイベント進めたいよね。

もはやダンジョンにストーリーの通過地点、イベント背景としての役割しかないことがうかがえます。

だとすれば、何度もダンジョンと拠点を行き来するのがめんどくさいというのも理解できます。
実際僕もそうでした。

求められてない(あるいは求められた)結果なのだから、これで良いのかもしれません。
商業に限らずフリーゲームにおいてもダンジョンメインのものは稀です。


○ワープか歩きか、それが問題だ。

これらダンジョン攻略がゲームプレイのメインとなっているゲームですが、その帰還方法は歩いて戻ることではありません。
たいてい、ダンジョン奥まで行くとクリアとなり、強制的に拠点に戻るかワープポイントや魔法、アイテムによる瞬間的な帰還(特に攻略中)となっています。

まあ、おそらくもう終わったんだからはやく戻ってイベント進めたいとか次に行きたいとかプレイヤー心情を汲んだ結果でしょう。
僕も遊んでいてクリアしたらイベントで一気に帰りたいなーとおもっていました。

以前、ダンジョンとは登山であるの記事でも書きましたが、進むことだけ考えることと、帰りのことまで考えることは判断において大きな違いがあります。家に帰るまでがダンジョンだって、わたし言ったよね?

そしてそれは、帰還においてもリスクが存在するからこそ判断が難しくなるのです。

魔法やアイテム、ワープ装置やイベントでノーリスクで帰還するのと、歩いてエンカウントや罠のリスクがある中で帰還するのとでは、撤退の判断は全く異なります。

「帰りの体力やMP、アイテムは足りるだろうか?    そろそろ引き返さないとあぶないんじゃないだろうか?」 

『引き際という判断』

これは、担保された脱出や前に進むしかないデザインのゲームからは生まれない体験であり、古典からして見かけることが稀な失われたあそびです。
※脱出スキルを習得するまでの序盤ではその判断がある作品もある。

進み過ぎたがゆえに体力もアイテムも尽きて帰れなくなってしまった。
ゲームオーバー。
失われる獲得物。
くやしいー!
しかしそれは、プレイヤーの判断ミスによるものです。

「ギリギリまで進んで、やばくなったら脱出スキル(アイテム)使えばいーよな!」

というデザイン(プレイング)からは決して生まれない体験。

進むか、引くか。

それは、文字通り駆け引きという、ダンジョン攻略における戦略的な判断としてのあそびなのです。


○エンカウント方式によるリスクの変質

以前、エンカウント方式について記事を書きましたが、それがこのダンジョンのリソース管理というあそびに重大な影響を与えています。

RPGにおける敵との遭遇システムに『ランダムエンカウント』と『シンボルエンカウント』があります。

ランダムエンカウントとは、歩いていると見えない敵に確率で戦闘に入るもの。

シンボルエンカウントとは、マップ中に表示されて動いている敵グラフィックに触れると戦闘に入るもの。

ランダムエンカウントだと、歩けば歩くほど敵に遭遇しやすくなります。
すなわち、迷うとリスクが高まります。
(自動生成でなければ何度も挑戦して道を覚えることで最短ルートがわかり、リスクが減るという攻略デザイン)
距離に応じて危険度が増すので、歩き帰還において意義が生まれます。
確率という目に見えないリスクなので、計算が難しく引き返す判断に悩みます。

対してシンボルエンカウントとは、見えているリスクであり、プレイヤーのアクションスキルに依りますが、その気になれば全部回避することも可能です。
こうなると、もうダンジョンにザコ敵というリスクはほぼ消滅します。
これは、ストーリー重視の作品と相性が良く、ザコを避けて早く進みたいプレイヤーの意思が反映されます。
昨今は、ほぼこの形式の印象です。


○被ダメージと回復コストのバランス

これまで徒歩で帰るとか、確率的なリスクなどが撤退の判断に必要と書きました。
が。
実は、それ以前に前提としての大事な条件があります。
それは、被ダメージ量(敵や罠の攻撃力)と、それを回復する効果のコストバランスです。

ここが崩れていると、いくら歩いて帰ろうが、読めない遭遇があろうが、リスクがリスクとして成立しません。

たとえば、ダンジョンクリアまでに余るほどの回復アイテムやMPなどは分かりやすい代表例です。

遭遇する敵を全部倒して、たいてい途中にある回復兼セーブポイントまでたどり着けるようになっており、そこからボス前の回復兼セーブポイントまで行って、倒せなければ回復しつつレベリング、というデザイン。
よほどのことがなければ、アイテムやMPが枯渇して引き返すなんてことがなくなりました。

これはプレイヤーの戦力が敵(障害)に対して過剰であると起きるので、性能が高過ぎたり、レベル差があり過ぎるとそうなったりします。

プレイヤーの戦略、戦術次第なところもあるので難しいですが、テストプレイを重ねてデータを取ることがバランスを取ることに繋がるのかな、と素人考えですがおもいます。

これは、カタチだけあってもいけません。
実際のプレイで均衡が取れていることが大事です。

例はすくないですが、脱出呪文を覚えるまでのドラクエや一部のフリーゲームなどにその感覚がありました。


Rainbow tear’s4
毒消しの相場が序盤の戦闘一回の収入以上。
この価値設定はRPGでは稀有。

フリーゲームRainbow tear’s4では、特に最初のダンジョンでセーブ回復ポイントがなく、アイテムもMPも枯渇し、引き返さざるを得ません。
ザコも倒すこと事態は難しくないですが、程よくこちらのリソースを削ってきます。
MP回復アイテムは買えず、ダンジョンでかなり苦心することになります。
全体的にシンプルですが、ゲームバランスやノリの良いBGM、広いフィールドマップを冒険する感覚など古典的かつ丁寧な作りが光る良作です。
毒消しが貴重とか。


少女剣士の小さな冒険
帰還は徒歩。回復セーブポイントも
ダンジョンの入り口のみ。

フリーゲーム少女剣士の小さな冒険は、コンパクトな作りでダンジョンは二つのみです。
帰還魔法、アイテムともになく、無理をすれば帰る途中で全滅するという今ではレアな体験ができます。
作者いかぽん氏が「宝箱をひとつ手に入れて帰るまでのバランス」を意識して制作されたとブログにて述べられています。
引き際を意識しながら少しずつダンジョンを進み、貯めたお金で装備を少しずつアップグレードしていく。
それは、ダンジョンというものへの姿勢、ひいてはRPGに対する哲学のようなものさえ感じます。
すこし先に宝箱があって、持ち帰れるか心配しながら行くか引くかなんて判断、なかなかない体験です。

○セーブポイント考察

うろ覚えで申し訳ないですが、かつてFF3のセーブポイントが少ないことを集英社のマシリトこと鳥嶋さんが指摘したことにより、FF4からダンジョンにセーブポイントが配置されるようになったとどこかで知った記憶があります。

ドラクエはダンジョンにセーブポイントがある印象はあまりなく、FFと対照的です。
ただ、これは両作品の仕様の違い(特に初期の)も影響しているのかとおもわれます。

ドラクエは全滅しても、取得したアイテム、経験値、ダンジョンの進み具合などはそのままで、町に戻されお金半分、主人公意外戦闘不能。
対してFFは(移植版やリメイク、最近のは別として)全滅すればすべて失っていました。(プレイヤーの知識は残る)

リスクの程度を考えればバランスとして妥当なのかもしれません。

ただ、結局のところセーブポイントとは名を変えた町の機能を持つ拠点のことです。

なので、拠点から拠点までの消耗の程度、リスクバランスが取られているかどうかが大事なのではないかとおもいます。

捕捉として、常時セーブできる作品がありますが、たいていザコ敵がボス並みに強いです。そして、一戦一戦全力なので、コスト管理ではなく戦闘システムとしての勝敗を目的としたデザインになっています。(戦闘後に回復するようなタイプや回復制限がゆるめのタイプなど)

これはこれで好きなのですが、じゃあザコとボスの違いってなんやねん。量でこっちの体力ケズってくんのがザコの役割ちゃうんかい。ボスラッシュと何がちゃうねん。メリハリっちゅーもんがあるんやないかい。とおもうこともあります。

ただ、いろんなタイプの作品がでるのはいいことです。
好きに当たりやすくなります。



○総論

ダンジョンにはリソース管理というあそびがある。

そのためには条件があり、

・徒歩帰還
・ランダムエンカウント
・ダメージと回復コスト

の程度がバランス良くあると、リソース管理のバランスも高まる。

登山にも通じる
『帰り道を考えたダンジョン攻略』
は、今では失われたあそびであり、しかしそれでしか得られない面白さがある。

なるべく奥に進みたいという欲と、途中で尽きるアイテムやMP、無事に帰れるのだろうかという不安と逃げまくる帰り道。

この感覚は昨今のRPGでは、商業、フリー問わず見掛けなくなりました。
ダンジョン重視の作品でさえ、帰還はアイテムや技で可能です。
たしかに、ストーリーのテンポとしては良くないし、目的を達成したダンジョンを自力で帰るのは面倒です。
主流でなく、求められていない結果といえるのかもしれません。
ですが、お手軽帰還では得られない感情、判断の成否によるくやしさやよろこびが、そこにはあるとおもうのです。


◇余談

商業は売れるが正義なので、基本的にマジョリティーな仕様がベターではあるとはおもいます。(ニッチ層を狙ったタイトルを開発するメーカーもあります。が、それでも売れねば続けていくことは難しいとおもわれます)
個人的な偏見というか希望になりますが、そういった縛りのないフリーゲームや(一部同人ゲーム)にこそ、こういった「ウケねえだろうけど、こういうのあってもいいよな。なにより俺が好きだし」的な精神が息づいていてほしいなあとおもうのでした。

商業の批判ではないです。
住み分けというか、そんな感じのお話です。



※2024.7.18
初稿。



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