循環気質と躁鬱と私
まず循環気質とはこういう性格のことだ。
以下コピペ。
循環気質は、社交的で人づきあいがよく、気立てもよくて親切。 気さくでもあり、ほがらかで、ユーモアにも富んでいるところがあり、情の深い、陽気な面を持っているのが特徴。 その反面、情動的で熱しやすく気分に浮き沈みがある。 →躁うつ病にかかりやすいタイプといわれている。
私は自分が躁鬱なのかただの鬱なのかわからなくなる時がある。
でも循環気質とは何かを調べれば調べるほど
あぁ、やっぱり私は躁鬱なんだな
と思うようになる。
私はこのコピペそのままのような性格をしている。
自分で言うのも何だが私は社交的で明るくて人と話すのが好きだ。
気さくな方だと思うしユーモアも大好き。
だから私は友達作りで困ったことは幸運なことに今までない。
周囲の人には恵まれていると思う。
しかしコピペにもあるように気分の浮き沈みが激しいのだ。
家に帰れば1人で閉じこもってずっとYouTubeを見ているし、
休みの日は外出するのが億劫すぎてどんなにお腹が空いても徒歩10分のコンビニにすら行かない。
明るい映画やアニメは好きではない。
暗い救いのない作品の方が好きだ。
本来の私は落ち込みやすく、暗く、卑屈な性格をしている。
しかし人前ではスイッチが切り替わったかのように饒舌になり、ユーモアを交えて楽しい会話をする。
本当の私は一体どちらなのだろうか。
きっとどちらも私なのだろう。
明るい面も暗い面も含めて私。
しかし友人達は暗い私など知らない。
私はそんな私なんて誰からも求められていないのがわかっているのから。
みんなが好きなのは明るくて面白い私で、
暗くて鬱々とした私なんて求められていない。
本当の私など需要がないことはわかっている。
友人も家族も社会も、みんなみんな求めているのは明るい私。
だから私は今日も人前では明るく楽しく努めるし
みんなを楽しませるように気を使う。
本当の自分は隠して。
これは癖みたいなもので自分の意思でどうこうなる問題ではない。
もっと気を抜けよ、暗い面もたまには見せて良いじゃないか、という意見はごもっともだと思う。
でもそれが出来ないのだ。
出来てたら躁鬱になんてなってないって。
物心ついた頃から私はこれでやってきた。
周囲の大人が期待する私を作り上げてきた。
弱いとこなんて見せちゃダメダメ
それこそ本物の愛
っていうもんね。
本当にこれが私の愛なのだろうか。