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取り繕っているものを捨てた先にあるもの

気温が上がると、自然と着ているものを脱ぎます。
重ね着から薄着に。厚い服から薄い服へ。

『北風と太陽』の話のように環境がそうなれば、
自然とそれに沿う行動をします。

自分のまわりの環境。自分という環境。
身体という環境。記憶という環境。

私たちはいろんな環境のもとに成り立っています。

一枚一枚ベールを剥いでいくように、
身につけているものを脱いでいきましょう。

今までと同じ格好や環境でいたら、
新しい風景は見えてきません。

人に認められたい、評価されたいと思ってすることは、
本当にあなたがしたいことではありません。

エゴの自分を癒すためにすることは、あなたを迷わせます。
エゴは満足しますが、魂部分では違和感を感じます。

本当にやりたいことは、
人のことを考えていては見つかりません。

自分が心からやりたいことにたどり着けば、
自ずとそれは人のためにもなります。

最初に「人の役に立ちたい」と考えてしまうなら、
まずそう思ってしまう心を見つめましょう。

あなたは人に良くすることを大事にしますが、
自分が後回しになっていませんか?

なぜ人の役に立ちたいのか?

あなたの中にあるもろもろの思い。

その思いがなくなったプレーンな心に、
ふつふつと湧き上がってくるもの。

脱いで脱いで脱ぎ捨てた先、
取り繕っているものを捨てた先にあるもの。

それは純粋なあなたのカタチ。

あなたが世界に合わせるのではなく、
あなたが世界になっていくことができるのは、
そこが発現してからです。

(H.S様へのメッセージ 200510)


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