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彼の、ほの温かい手のひら

こんばんは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。
本日も、前回と同じく少し軽めのお話。私が若い頃に経験した、少し不思議な出来事について書きたいと思います。

よろしければどうぞお付き合い下さい。




結婚する少し前の、秋の日のことだ。
私は体調を崩して熱を出し、昼過ぎに会社を早退した。

当時、私は彼(現在の夫)と半同棲をしていた。
二人で暮らす1DKは小さな木賃アパートの2階の角部屋で、北、南、西に窓があり、とても明るかった。

フラフラしながら帰宅した私は、そのままベッドに横になり、寝入るでもなく、うつらうつらとし続けていた。

レースカーテン越しに西日が差し込み始めた頃。
玄関付近に人の気配がして、彼が帰宅したのだとわかった。私は「おかえり」と言う元気もなく、布団の中で目をつむったまま、じっとしていた。

彼がダイニングテーブルに荷物を下ろし、ベッドに近づいて来るのが気配でわかった。そして少しかがんで、私の額にそっと手のひらを当てた。さらさらと乾いて、肉厚で、ほの温かくて、心地のよい手のひらだった。

「少し熱があるな。こういう時には、はちみつがあるといいんだけど」

彼はそう言うと、キッチンの方へと去って行った。そしてしばらくの間、冷蔵庫や棚の中を漁り、はちみつを探している気配が続いた。

どうやら、はちみつはなかったようだ。
探すのを諦めた彼は、再び私のそばにやってきた。そして、私を見下ろしながら、「どうしたものかなあ」とでも言いたげに深く長くため息をついた。

彼の温かな気持ちが伝わってきて、私もまた、なんとも言えない温かな気持ちになった。


……ああ、彼は私のことを、心から心配してくれているんだな。私のことを大切に思ってくれる人がいるなんて、本当に幸せなことだな……


私はしみじみと、彼の愛情に感謝した。
そして、そこで、はた、と気がついた。


……あれ?なんで、彼はこんな早い時間に、部屋にいるんだろう。まだ終業時間ではないはず。


私はパッと目を開き、彼の方を見た。
途端、彼の気配が掻き消えた。
静まり返った室内に私以外の人影はなく、ただただ西日がほの明るく差し込み、あたりを柔らかく照らしているだけだった。


それからしばらくのち。
霊感が強いという友人が遊びに来た。私がこの不思議な出来事の一部始終を話すと、彼女は言った。

「なるほどね。確かにこの部屋の、ほら、その端っこが、どこかのお宮さんへの通り道になっているよ。今もたくさんの人が通り過ぎてる。きっとその男の人は、ベッドで寝ている碧を見かけて、心配で放っておけなかったんじゃないかな」


……そんな世話好きでお人好しな霊が、この部屋の片隅を通り過ぎていようとは。(しかも、霊にもお宮参りをする習慣があろうとは。)


彼女の話の信憑性は定かではないが、あの時の彼の手のひらには、確かに温かな愛情が宿っていた。

もしかしたら生前の彼には、当時の私と同じ年頃の、妹か恋人がいたのかもしれない。




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