肯定ありき、否定ありき、主義主張、どの議論も嘘臭い。まともな議論が成立したのを見たことがない理由
どちらも嘘臭さが臭う。
なぜ、まともな議論を見たことがないのか。
結論を決めていて譲る気が無いものは議論ではなく意見として一方的に表明すればいい。
そして意見なら、ブログにでも書けばよく、対話である必要もない。
討論番組で語られる議論は意見のぶつけ合いばかりである。
そういった番組が残り続けるのは視聴率がいいからだ。
視聴率がいいのは、私たちの日常もまた、そうだからである。
議論をするなら、最低限、次のような前提が共有される必要がある。
・場の目的・趣旨に沿うこと。
・相手の意見に対して応答する場合は的確または正直であること
・相手に影響されることを拒否しないこと
・権力・立場・発言力を場に持ち込まず、影響されない雰囲気であること
・議論で勝った負けたをしないこと。
・全員が生産的な結論を欲していること
これらが揃わない議論には、全く意味がない。
そして、世のほとんどの議論は上と真逆で次のとおりである。
・場の目的や趣旨から外れても構わず言いたい放題を思いつきや主義主張でいう。
・相手の意見に対して、虚勢や反射や癖で応答し、的外れで嘘つきである。
・ハナから相手に影響される気が無い。
・権力・立場・発言力を場に持ち込み、優位性や勝利感を示そうとする。
・議論で勝った負けたをする。
・生産的な結論など欲しておらず、自分に都合の良い結論になるかだけ興味がある。
一言で言えば、幼稚な親子関係や兄弟関係や友達関係で育ってきたものを、そのまま、多少言葉や態度の表面をご立派にしてやっているだけであり、
それはそのまま社会におけるコミュニケーションの写し鏡
というだけのことだ。
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