Journey×Journey.2 朝生麻衣子の冒険
裏切った私に対し信夫が送りつけてきた、断罪とも言える長いメールを私は時折、見返すようになった。劣等感にまみれながらも人を見下すかのように嘲り、暗澹としながらもどこか開き直っているかのような、病的に深く重く、絶望的に幼い、その薄気味悪いメールは当初の私には読むに堪えかねるもので、しばらくの間、読み通すことができずにいた。しかし、その一方で私の裏切りが彼に刻んだものは相当に深刻であるという罪の意識は容易に消化できるものではなく、それは翻って、私自身にも刻まれる形となった。だからこそ、そのメールは破棄されないまま、私という郵便箱の中で生き長らえていた。彼が私に与えた傷跡のように、私が私に刻んだ刻印のように。
引き金となった大学のサークルの先輩との恋愛は半年ともたずに、先輩の浮気を機にあっさりと潰えた。浮気の相手は同じサークルに所属する仲のよかった友人で、この手のありがちなことがいざ実際に自分の身にふりかかってみてわかったのは悲しいということよりも、虚しさであったり、自分を情けなく思う気持ちが先行するということだった。私は先輩とその友人に対し、何も追及せず、起こった結果を無抵抗に承認した。何もできなかったし、何もしなかった。おそらく、私は先輩のことをさほど好きではなかったのだろう。と言うより、誰かを心から好きになったことなんて、今まで一度もないのだろう。きっと私は自分が思っている以上にずっと無気力で、気だるい人間なのだ。バンコクから届いた信夫のメールを見返しながら、私はそんなことを思う。
次第にメールを読む頻度は増えていった。ひどいときは一日に二度も読み返してしまう。かと言って、信夫に会いたいという気持ちは全くなく、むしろ、何故私はこんな気味の悪い男と付き合っていたのだろうかと自分を疑った。信夫と私との間にもはや距離という概念はなく、その間に横たわるのは「遠い」でも「近い」でもない決定的な過去であり、そして、このメールだけだった。
「熱源」
と言う言葉を信夫はメールの中で用いていた。
「天使の都とも魔都とも呼ばれる、人間の熱源が剥き出しの街、バンコク」
バンコクという街は信夫を激しく捉え、熱源という言葉は私を静かに捉えた。この言葉が私にもたらした小さなざわめきを私は認めざるを得なかったし、そのざわめきは昂揚や高鳴りを意味するものではなく、日陰の水溜りのように淀む自分自身へのアラームだと認識する。「熱源」と私は呟く。少なくとも、私は私の熱源を見い出したことはない。触れたこともない。
どこか遠くに行きたい、と思った。それもタイのような近場ではなくできるだけ遠いほうがいい。そう思った時、頭の中に思い浮かんだのは南米のボリビアだった。きっと数日前にテレビでボリビアのウユニ塩湖の映像を見たことが影響しているのだけど、選択肢はボリビア以外にないように感じた。
サンフランシスコからメキシコシティへ、メキシコシティからペルーのリマへ、そしてリマで乗り継いで、ボリビアの事実上の首都ラパスに到着した。ラパスは標高3,600mの高地に位置し、地球上で最も高い場所にある首都と言われている。いきなりこのような標高に臨めば当然高山病を見舞うリスクが発生するが、ろくに準備を整えてこなかった私は案の定、ハードな乗り継ぎの疲労も相まって、到着するなりすぐにゲストハウスで三日間寝込むことになった。三日後にようやく持ち直し、街を散策する余裕が出てきた。街を歩いてみて思ったのは異様なまでに日本人旅行者が多いということだった。ウユニ塩湖のハイシーズンと私自身がそうであるように大学生の春休みが重なっていることがその理由だった。雨季になると塩湖に降る雨が湖面に溜まり、空を映し出すという鏡張りの世界をウユニ塩湖は展開する。その絶景は昨今、日本のメディアにも多く取り上げられ、この地を訪れる旅行者が急増しているとのことだった。
私が宿泊するゲストハウスにも何人かの日本人ツーリストがいたが、話題はウユニ塩湖で持ちきりだった。中にはほとんどヒステリックな形相でウユニ塩湖への意気込みを語る者もいた。勿論、私もウユニ塩湖のその絶景を期待していた一人だったが、あまりの日本人の多さと彼らが織りなす狂騒曲に少し億劫な気持ちになっていた。特に新月の日は夜空の星々が湖面に映し出され、まるで宇宙空間にいるかのような奇跡的な錯覚を起こすと言われている。新月は一週間後で、それを見たさに世界中に散らばるバックパッカーたちがこの地に集まってきているというわけだ。私はしばらくの間、静観することにした。ウユニ塩湖を訪れるのはあとでいい、少なくとも新月が過ぎてからでいい。
ラパスはすり鉢のような形状になっていて、「底」の部分の真ん中を街の中心地としている。南米における最貧国の1つに挙げられるボリビアだが、街の中心部は発展途上国とは思えないほどに発達し、スタイリッシュなショッピングセンターや外国資本の高級ホテルが勇ましく建ち並んでいた。そして、街中のカフェが提供するケーキがとても美味しいということにも驚かされた。青山や表参道に出店するカフェと比べても遜色ないカフェのショーケースに陳列されたケーキはどれも洗練されていて、体調回復後はカフェでコーヒーとケーキを嗜むことが日課となってしまった。ミルフィーユに、チーズケーキ、チョコレートブラウニーや、フルーツパンケーキ。日本円で200円にも満たないそれらの誘惑たちは躊躇なく私を襲い、「私はここで何をしているのだろう?」という当然の自問に目をつぶりながら、フォークを握るのだった。
ケーキを昼食代わりに、夜はゲストハウスの近くの食堂でテイクアウトすることが多かった。サルテーニャと呼ばれる牛肉や鶏肉を包んだパイで簡単に済ませることもあったが、気に入ったのはシルパンチョというボリビア料理の代表格で、薄く大きい牛肉をパン粉にまぶして揚げたものに野菜を刻んだサルサをかけるというものだった。ゲストハウスは6階建てになっていて、屋上のテラスでテイクアウトしたシルパンチョを食べるのが好きだった。屋上からは街の中心部とすり鉢の「縁」にあたる斜面の全体が見渡せた。中心部には富裕層が住み、斜面の上に行くにつれて地価は下がり、低所得者が居住する地域となっているらしい。全体が見渡せるだけに夜になると素晴らしい夜景が一面に広がる。この夜景を見ると、本当にここは南米の最貧国なのだろうかと疑ってしまうけれど、この夜景の中において富や豊かさに由来する光は一握りで、きっとこの美しさはもっとささやかなものの集合によってもたらされている。足元の路上で、サルテーニャを販売する露店の裸電球や、シルパンチョを買った食堂の灯りを見ながら、私はそう思った。
そろそろこの街を出ようと決意した。ボリビアに来るまで把握していなかったのだけど、北部に行けばアマゾンに行けるということを旅行代理店のポスターで知った。悪くないアイディアだった。私はケーキフォークを置き、ウユニ塩湖に背を向けて、新月のアマゾンに行くのだ。全然、悪くないアイディアだ。
ラパスからアマゾンの入り口となるルレナバケの街まではバスで20時間かかるということだった。当然、日本でこのような長距離移動をすることはまずないし、そもそも舗装されていない道路の上を走ることすらないのだ。ガードレールもライトもない断崖絶壁の道をバスはひた走った。運転手が少しでも気を抜いたら、乗客全員がまず間違いなく即死すると断言できるような、決定的に致命的な道だった。でも、私がこの時悪路に揺られながら抱いたのは「落ちたら死んじゃうな」という恐怖ではなく、「きっと私はここでは死なない」という確信めいた現実であり、現実めいた確信であり、確信も現実も妙に澄んでいた。崖と車体との距離は本当にわずかしかなく、「死」は馬の鼻先の人参のように目の前にぶら下がっていたが、馬の鼻先にぶら下がる人参のように「死」はただぶら下がっているだけだった。「きっと私はここでは死なない」。
20時間で到着する予定だったバスは途中、強い雨が降ったこともあって結局、丸一日の時間を要した。標高3600mから24時間かけて降りたアマゾンの入り口はそれまでとはまるで別の世界だった。たくましく、溌溂とした森の緑が供給する豊潤な空気を私は大きく吸い込んだ。空気が空気としての存在感を示していた。身体はくたくただったけれど、ぬかるんだ赤土の感触や、初めて体感する熱帯の生々しい湿気を心地よく感じた。ラパスとここが飛行機ではたった一時間の距離だということをうまく飲み込めないまま、泥だらけのバックパックを背負い、適当なゲストハウスにチェックインした。昼過ぎまで仮眠をとったのち、宿の中庭に併設されているレストランで冷たくしてもらったマテ茶を飲み、キノコとチーズが入ったサルテーニャを食べた。中庭にはハンモックも用意されていて、少しドキドキしながら、私は生まれて初めてハンモックに揺れた。いちいち全てが初めてで、いちいち全てに私はドキドキした。けれど、その鼓動もすぐに身をひいて、中庭を吹き抜ける風が再びの眠りを運んできた。手元のグラスの中の氷がカラン、と音を立てて少しだけ溶けた。
翌日、小型のボートに乗り込んで、アマゾンの内部へと向かった。私の他にも数人の欧米人旅行者がいたが、皆、騒ぎ立てる様子はなくのんびりとボートトリップを楽しんでいるようだった。おかげで私も誰に気を遣うことなく、自分のペースで道中を過ごすことができた。ツアーは2泊3日で、夜はアマゾンに浮かぶコテージに宿泊することになる。コテージまではボートで2時間程度ということだったが、中に進むにつれて、川幅が狭くなることが多くなり、生い茂った葉々や突き出た枝が肩にあたった。そうした時、私の後ろでボートを操縦するオカムラは「Sorry」と笑いながら、謝った。オカムラというのは操縦を兼ねたガイドのことで、ナインティナインの岡村に似ていることから私が勝手につけたニックネームだった。
「マイコ」とオカムラは私に声をかけた。振り返ると、オカムラは右前方を指差していた。オカムラが指差す方を見ると、何匹もの小さなサルがこちらを見ていた。カプチーノモンキーと呼ばれる、薄い茶色の毛並にくりっとした目が特徴的なサルで、ボートが近づいても大人しくこちらを静観していた。オカムラはバッグからバナナを取り出し、彼らにそれを手渡した。一連のあまりにスムーズなやりとりに逆に違和感を覚えた。彼らは異世界の我々をどう知覚しているのだろうかと思う。「よくわからないけれど、どういうわけか餌を与えてくれる何か」といった感じなのだろうか。そのような疑念を抱きながら、他にもツメバケイという始祖鳥を彷彿とさせる奇怪な頭部をした鳥や、カラフルな極楽鳥、カピバラ、ピンクドルフィンといったアマゾンの野生の動物たちをゆっくりと鑑賞した。
ボートはアマゾン河に浮かぶように建てられたコテージに到着した。そのいかにもといった様子に心弾んだが、コテージに隣接されたテラスで先客である欧米人やイスラエル人が音楽を大音量で流し、ビールを飲みながらはしゃいでいるのを見て、いささか興ざめした。けれど、ツアーに一緒に参加した欧米人ツーリストがこうでなかっただけで、自分は運が良かったじゃないかとすぐに思い直した。ボートの上でもこんなテンションで来られては、せっかくのアマゾンが台無しになってしまう。私はナチュラルなものに対して、できるだけナチュラルに臨み、ナチュラルに向き合いたいのだ。アマゾンに音楽はいらない。
荷物を自分のベッドに置いたのち、夕食をとり、シャワーを浴びた。シャワーは海の家にあるようなそれよりもさらに簡素な作りになっていて、当然のようにお湯は出ない。おまけに電球には見たこともないような蛾や昆虫が群がっていたが、それほど気にならなかった。日本であれば卒倒してしまうに違いないシチュエーションも受け入れている自分に気付く。シャワーを出て、テラスに行くと、欧米人たちの宴はより一層激しさを増していた。音楽のボリュームはあがり、笑い声はより高らかとなり、ビールの瓶はそこらじゅうに散乱していた。その様子に嫌気が差したが、かと言って、まだ20時を少しまわったところで寝るには早すぎるとして、自分も少しだけお酒を飲むことにした。アルコールはテラスの向かいのログハウスのような小屋の中で売られており、この中であればテラスに響く音も少しは和らぐだろうと思った。本当はアマゾンの空気に触れていたいけれど、騒がしい今はここの方が幾分かはマシなはずだ。
中に入るとバーカウンターにはオカムラが立っていた。昼間はガイドで、夜はバーテンダーになるらしい。ウォッカトニックを注文すると彼はにこにこしながら「Si」と言って、氷の入ったカクテルグラスを器用にステアした。まさかアマゾンの真ん中でこんな美しいステアリングを見ることになるとはね、と私は皮肉を言った。
「どうして笑ってるの?」とオカムラは聞いた。
「オカムラがカクテルを上手に作ってるのを見て、何だかおかしくなっちゃったのよ」と私は正直に言った。
席に腰かけて、一口、ウォッカトニックを飲みながらくつろいでいると、東洋人と思しき女性が入ってきて、オカムラにビールを頼んだ。日本人だと断定できなかったのは女性が抱えていた分厚い洋書のせいでもあったし、全体の雰囲気にしてもどこか日本人離れしているところがあったからだった「あれ?、日本の人?」と話しかけてきたのは雪見さんの方からだった。その時、今日はとても長い夜になりそうだと私は直感し、そして、実際にそのとおりになった。
私と同様、独りでアマゾンツアーに参加していた雪見さんはオーストラリアのメルボルンに大学に通う大学生だった。高校生の頃はベルリンのインターナショナルスクールで過ごし、帰国後、日本の大学に進学したが肌に合わず、メルボルンの大学に再編入したとのことだった。最初の印象でどこか日本人離れしていると感じたのは彼女のそのグローバルな経歴に由来しているのだろう。
「何を読んでるんですか?」
と、雪見さんが持っていた分厚い本を指差して尋ねた。
「ああ、これ、国際関係論の本。今は休みなんだけど、帰ったらレポートを書かなきゃいけなくて」
国際関係論がどういう学問なのか私にはピンと来なかったが、まさに彼女にふさわしい分野であるように思えた。彼女の話はどれもユーモアに溢れ、ウィットに富んでいたが、とりわけ長い海外経験の間に培われたユニークなエピソードに私は声をあげて笑い、異文化への洞察は鋭く、とても刺激的かつ啓発的だった。私がこの短い間に雪見さんに対して並々ならない非凡なものを感じたと同時に、雪見さんは私につまらない凡庸を見い出したことだろう。けれど、雪見さんはそうした気配をけして漂わせず、フェアに私に接してくれた。私は率直に、こういう大人になりたいと思った。年齢は聞かなかったが話からして今25、26歳といったところだろう。あと5、6年後の自分を想像した時、暗い気持ちになった自分を私は認めざるを得なかった。
「麻衣子さん、もう少し私に付き合わない?」と雪見さんは二本目のビールを飲み終えたところで私に尋ねた。
「私ね、あなたと一緒で2泊3日のツアーを申し込んだんだけど、ここが気に入っちゃって、延長してもう一週間も滞在してるの。明日にはもうここを出ようと思ってるんだけど、その前にもう一度と思って、これから、ボートを出してくれることになってるの。ツアー内容には含まれてないことだからガイドに直接、お小遣いを渡してね。もしよかったら麻衣子さんも一緒に来ない?昼のパワフルなものいいけど、夜のアマゾンも素敵よ」
ちょうどそこに雪見さんのガイドがログハウスに入ってきて、
「ユキ、そろそろ行こうか」と声をかけた。
「ええ」と雪見さんは言った。「友達も一緒に乗ることになったけど、いいわよね?」
雪見さんはガイドのことを「テッペー」と呼んでいた。「どうしてテッペーなんですか?」と尋ねると、「ちょっととっつきにくいところが鉄っぽい感じがするから」と答えた。確かにテッペーはオカムラと違って、口数は少なく、無愛想だった。ボリビア人は素朴で温厚な性格の持ち主が多く、顔つきは柔らかい、というのが私がボリビア人に抱いた総体的な感想だったが、ぱっちりとした目に、鼻筋が通り、シャープに整えられた彼の顔立ちはいかにもハンサムで、そして、彼が紡ぐクールな沈黙は男性的で、同時にどこか危うかった。
「テッペー、イケメンじゃない?」
と、ボートの先端に座る雪見さんは振り返りながら私にそう言った。
「頭もいいのよ。あまりしゃべるほうじゃないけど、ちょっと話してみるとクレバーだって感じると思うわ。それにガイドとしての腕もいい。アナコンダってここでも滅多に見れないんだけど、昨日見つけたしね」
後方でボートを操縦するテッペーを暗闇に紛れて一瞥したが、月明かりのない新月のアマゾンの中で、彼がどんな表情をしているかを捉えることはできなかった。もしかたしら、雪見さんとテッペーの間には何かあるのかもしれない、と思った。アマゾンでの滞在を一週間延ばしたのもそれが理由なのだろうか。
「でも私、カッコよくて、デキる人ってなんか苦手なのよね」
そう言った雪見さんを私は少し意外に思った。雪見さんは自分というものを掴んでいる女性だし、ゆえに、男性に対しても甘えや妥協なく、相応のパートナーを選べる位置につけているし、実際に選ぶだろう。嫌味なく、自然に、飾らず、なめらかに選んできただろう。私は雪見さんとテッペーの間に挟まれながら、所在無げに、アマゾンの真ん中にいた。
テッペーの腕は確かなようで、ライトを照らすと川裾に寝そべるアリゲーターや昼に見たカプチーノモンキーを見ることができた。けれども、私を圧倒したのは目に見えるものではなく、目という一つの受容器には到底おさまりきらないものだった。動物ではなくアマゾンそのものが私を圧倒した。
「このあたりでいいんじゃないかしら?」と雪見さんはテッペーに言った。
テッペーは「オーケー」と言って、ボートを止めた。
エンジンを切ってはじめて、エンジン音がいかにこの大自然を阻害しているかを思い知らされた。動物や、鳥や、昆虫が、その他大勢のよくわからない生命たちがこれほどまでに、たくましく、高らかに、鳴いていたことを初めて気づいた。
「麻衣子さん、目を閉じるともっとすごいよ」
私は何も言わずに目を閉じた。
指揮者が不在の無秩序な進行の中で、無数の命たちが奏でるそのオーケストラはただひたすらであり、ただがむしゃらだった。そして、ただ夢中に生きているだけだった。けれども、その出鱈目な音楽は出鱈目なまま、不完全な完全を成していた。ボートに揺られながら眺めていたアマゾンは客人である私に提供されたものだったが、今、私はアマゾンに取り込まれ、その一部となっているのだ。その一部になることを許されているのだ、と思った。私がこの瞬間に知覚しているアマゾンは視覚を飛び越え、聴覚を凌駕し、五感を引きはがすかのように、鮮烈で、壮大だった。
ゆっくりと目を開いた。瞼の裏に広がっていた暗闇とほとんど濃度を変えないままの暗闇がそこにはあった。普段、私が位置している日常にはない、深くも温かく、そして優しい暗闇だった。
コテージに戻ると欧米人ツーリストたちの騒々しい宴はまだ続いていた。私としては、今しがた全身で享受したアマゾンの余韻を静かに味わっていたかったが、どうもそれは叶わなそうだった。けれど、贅沢は言えない。私には私の幸福論があり、彼らには彼らの幸福論がある。
「麻衣子さん、もう一杯飲まない?」
と誘われ、私は雪見さんに付き合うことにした。と言うよりも、私も少し飲みたかった。このままでは眠れそうにない。
騒がしいテラス席を避けて、先程と同様にログハウス内で飲むことにした。雪見さんが再びビールを注文するのを見て、私もビールを飲むことにした。日本ではビールは飲まない。乾杯してすぐに私たちのテーブルにビール瓶を持ったテッペーが来て、そのまま座った。
「彼も一緒でいいでしょ?」と雪見さんに言われ、「もちろんです」と答えた。でもそう答えた自分は見当違いなのではないかと私は思う。ここにいていいかどうか、それが最も疑わしいのは自分だ。
私がそれぞれの間合いや距離感を探りながらゆっくりビールを飲んでいるのをよそに、雪見さんとテッペーは当たり障りない会話を続けていた。そのさりげないやりとりの中にも雪見さんの聡明さは垣間見え、それに応対するテッペーもまた雪見さんの言うように、スマートなのだろうと感じた。時折、その場の空気に合わせるように挟む自分の言動がとてもみすぼらしく思えた。私は時々、息継ぎをするようにカウンターに立つオカムラに目をやった。目が合うと、オカムラはにっこりと笑った。やはり頃合いを見計らって席を立とうと思った。二人の関係がどうであれ、私の立ち位置がどうであれ、私が席を立てばきっと彼女たちは今とは違う会話を展開するだろう。雪見さんはそれを嫌い、言わば抑止力として私を配置したのかもしれない。仮にそうだとしても、と私は思う。私は今、旅をしているのだ。
「ところで、」
とテッペーが言った。テッペーが会話を切り出したのはこれが初めてだった。
「ところで、ユキはオーストラリアに戻ったらどうするんだっけ?」
雪見さんはその問いに対して、ほんの少しだけ間を置いた。何かを測っているかのような間だ。
「私は学生だから。戻ったら、勉強するよ」
「何を?」
「国際関係論」
「国際関係論!」
と言って、テッペーは両手を上げて背を反った。その唐突で大袈裟なジェスチャーに私は驚いた。
「よく分からないけど何だかご立派な学問だな。一体何なんだ、その国際関係論っていうのは。俺に教えてくれよ」
酔った上での悪い冗談ではなく、明らかな悪意を込めていた。
「うちの国でストライキばかり起こす奴らと、その原因を作ってる政府をその国際関係論ってやつで説得してくれよ」
テッペーが運転するボートに乗っていたのが遠い記憶のように思えた。
「ちなみにユキの親はその留学にいくら金を用意したんだ?」
その質問に対して、雪見さんは黙ったまま、テッペーのことを鋭い視線を送っていた。
「言いにくいことだっていうのはわかる。けど、言えよ」
取り合う必要はない。
「正直に」と、テッペーはしつこく尋ねる。
「3万ドル」と雪見さんは答えた。雪見さんが正直に回答したことに私はうろたえた。
「3万ドル!」
先程と同じようにテッペーは両手を上げて背を反りかえす。私はどうしていいかわからないまま、オカムラの方を振り返った。オカムラは素知らぬ顔をしてトーションでカクテルガラスを拭いていた。もうどこにも笑顔はなかった。
「なあ、ユキ。その3万ドルの一部でもいいから俺に使わせてくれないか?俺がその金をボリビアの貧困層のために使ったら、そこそこの数のマジな命をマジで救えるぜ」
そこそこの数のマジな命をマジで救える。
「ユキがその金で国際関係論を学んだとして、この徹底的な現実の中で、それが何になるって言うんだ?」
この徹底的な現実の中。
取るに足らない暴論であったが、その中にも言い知れぬ凄みがあった。「この徹底的な現実の中、そこそこの数のマジな命をマジで救える」。
予期しない展開に初めは戸惑っていた雪見さんだったが、次第にテッペーに反論を始めた。雪見さんの対抗意見はもっともな内容で、要領を得ていたが、テッペーは彼女が持ちかけるフェアな議論には乗らず、彼女への挑発を執拗に続けた。そうである以上、テッペーと話を続けてもただの徒労に過ぎなかったし、そもそも、まともに取り合う必要はなかったが、雪見さんは粘った。そして、私は何もできないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「言葉でどれだけの大層なことを並べようとも、結局はお嬢様のマスターベーションに過ぎないさ。現に、ユキは俺すら救えない」
そう言い放ったテッペーの言葉に、雪見さんは堪えることができなくなってしまった。目に涙を浮かべて、席を立った。私は雪見さんのあとについて、部屋まで戻った。別れ際、彼女は私に「ごめんね」と言った。謝らなければならなかったのは私の方だった。私はただいるだけで、何もできなかったのだ。
私も自分の部屋に戻り、ベッドに寝転んだ。とても眠れそうにはなかった。何故、テッペーは雪見さんにあれだけひどいことを言ったのか、という疑問は当然ある。けれどそれ以上に私の頭の中を駆け巡ったのは、何故自分は何もできなかったのか、ということだった。信夫がメールの中で書いていたように、旅に出たからといって、自分の中の何かが劇的に変わるだなんて、私も思っていない。しかし、この旅は私にとって大胆な決断だったし、違う自分を発見するきっかけになるのではないかと期待していた。今まで、流されるまま生きてきて、何かを考えるフリだけはやたらと上手になって、内実、何も考えていない、考えようともしない自分を脱するための好機になるのではないか、と。実際のところはこの有様で、私はただ見過ごした。多分、上手にうろたえながら。
「正当化を繰り返し、正当化を正当化し、そしてその正当化を上塗りしていく。それがあなただ」
信夫はメールの中で、私のことをそう批判した。けれど、正直、否めなかった。結局、テッペーの雪見さんへの中傷もどこかで他人事だったし、私はそれを看過した。そして、今までずっとそうやって生きてきたのだ。「自分は悪くない」と、念仏を唱えるかのように、救いを求めて。
私は起き上がり、コテージを出た。すでに欧米人たちの宴も終わり、辺りは真っ暗になっていた。発電機が発していたけたましい音も鳴り止み、アマゾンはその純度を高めていた。足元を気にしながら、私はテラスまで歩き、欧米人たちが使っていたデッキチェアーに座った。もう一本、ビールを飲みたいなと思ったけれど、ログハウスもすでに閉まっていた。動物たちのオーケストラは相変わらず、続いていた。
「ハイ、マイコ」
という背後からの声に私はびくっとした。振り返ると、オカムラが立っていた。私は彼に対する警戒をあからさまな態度で示した。人のことは言えないが、オカムラもまた雪見さんとテッペーの事態を看過した。そして、オカムラはテッペーの側の人間だ。本当ならこのまま部屋に戻るのが妥当だが、そうしようとは思わなかった。
オカムラは私と離れた場所に座り、煙草を吸った。
「マイコ、日本はどんなところ?」とオカムラは尋ねた。
「別に、普通だよ」
初めて訪れた海外がボリビアで、そのボリビアにもまだ10日間ほどしか滞在していない。けれど、どこだって、どこに行ったって、住んでみれば似たようなものじゃないだろうかと私は思う。人間が住んでいれば、東京でもアマゾンでもそうは変わらないだろう。騒々しい人がいて、大人しい人がいる。騒ぎたい人がいて、静かにしたい人がいる。うっかり羽目を外してしまう人間がいて、どうしても羽目を外せない人間がいる。そんな中で起こる問題は大体同じようなことで、同じようなことで世界中が右往左往しているのだ。
「さっきは災難だったね」
オカムラは一本目の煙草の火を消し、続けざまに二本目を吸った。「ビール、飲む?」とオカムラは尋ねたが、私は黙ったままでいた。オカムラは煙草を咥えたままコテージを開け、冷蔵庫からビールを2本取り出して、1本を私の側に置いた。
「ボスには内緒だ」とオカムラは言った。
世界中の酒場で起こる問題は大体同じようなことで、同じようなことで世界中の酒場の帳簿はずれていき、店主は右往左往することになる。
「彼はどうしてあんなひどいこと言ったの?」
と、聞いた。オカムラは何かを推し測るようにしながら、煙草を吸い、ビールを飲んだ。
「ユキは明日、朝早いからね」
私は頭の中でその言葉を繰り返し、精査した。けれど、意味がわからなかった。明日、朝早いからね?
「街に戻るボートは朝早く出るんだ」
だから、意味がわからない。
「ああ言えば、ユキはきっとムキになるだろうってテッペーは踏んだんだよ。そうなればもっと酒を注文するかもしれないし、たくさん飲めば明日の朝、寝過ごして街に戻るボートに乗れないかもしれない。普通の日本人の女の子であれば期待できないけど、ユキはプライドが高いからね、仮にちゃんと起きれたとしても、街には戻らず、もう一泊、延泊してテッペーに一泡吹かせようと考えるかもしれない」
何の話をしているのだ?
「延泊したら7ドルになる。それが僕たちの望みだよ。さて、ユキはどうするだろう?」
つまり、その7ドルが目的だということ?
「つまり、その7ドルが目的だということ?」
「そうだよ。テッペーが意味もなく、あんなひどいこと言うわけないだろう?女の子によっては口説いて引きとめようとすることもあるけど、ユキはそういうタイプじゃなかったからね。でもきっとテッペーはその手も一応は試してみたんじゃないかな。多分、手応えがなかったから作戦を変更したんだと思う」
そんなことのためにあんなことを?
「そんなことのためにあんなことを?」
オカムラは私のその言葉に溜息をついた。
「マイコ、7ドルで体を売ってる少女が世界にどれだけいるか知ってるか?」
「そんな話はしてない」
そんな話はしてない。
「マイコやユキにとっては、そんなことのためのあんなことかもしれないけど、俺たちはそれで何とか生きてるんだよ。うちの娘はそれでサルテーニャを食べてる。マイコ、君はラパスでケーキを食べたかい?」
私はその唐突な問いに対して、何も言えなかった。
「ここに来る日本人の女の子たちにラパスはどうだったか?、って聞くとね、みんな口を揃えてケーキが美味しかったって言うんだ。ボリビアのスイーツはレベルが高い、自慢できるよ、ってね」
私はビールに口をつけた。
「7ドルあれば3つくらい買えるか?3つ買えるなら、娘と女房と俺の3人でちょうどいい。けど、コーヒーやジュースを頼むとなると7ドルじゃおさまらないだろう?喉が渇くだろうな。それにサルテーニャならもっといっぱい買える。そして、もっといっぱいお腹いっぱいになれる」
私はビールを飲んだ。
「おそらく、俺たちの家族がラパスでケーキを食べることは一生ないだろうな」
とオカムラは言い、立ち上がった。
「もう寝るよ。明日は朝からアナコンダを探しに行くぞ。俺はテッペーほど腕は良くないからも見つけられないかもしれないけど、頑張るよ」
何も言えないまま、私は座り込んでいた。
「マイコ、君は別に悪くないさ」
そう言って、彼はスタッフの寝床に戻っていった。
川べりには蛍が飛んでいた。本当に流れているのかどうかわからないほど緩やかな川面は蛍が発する光と空に浮かぶ星々と共に、新月のアマゾンを映し出している。
何も変わらない、と私は思った。どこに行っても、どこをどう旅しても、アマゾンの大自然に触れたとしても、私の中の空気をがらっと入れ替えたとしても、私がこのままである以上、ずっとこのままだ。
何もできなかった、なんて嘘で、本当は何もしなかっただけだ。
何も言えなかった、なんて嘘で、本当は何も言わなかっただけだ。
オーケストラは川の向こうで、アマゾンの真ん中でまだ続いている。
彼らは、ただひたすらで、ただがむしゃらだった。
そして、羨ましいくらい、ただただ夢中に生きていた。
こんにちわ、山本ジャーニーです。秋葉原で多国籍料理店を経営しているものですが、文章や小説を書くのも好きです。今まで様々な文章を書いてきましたが、小説Journey×Journeyはこれまでの集大成とも言える作品です。旅と世界を想像しながら楽しんでいたけますと幸いです。