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Journey×Journey.1 五十嵐信夫の冒険

「僕の名はリチャード」

と、リチャードは言う。

「他に何が知りたい?」

ご存知のとおり、麻衣子と観た『ザ・ビーチ』の冒頭のシーンだよ。この頃のレオナルド・ディカプリオはまだ若かったし、我々も同様に若かった。と言っても、あれからまだ4か月しか経っていないけれども、卒業間際の高校生3年生と入学から4か月経った大学生とじゃ、同じ4か月にしてもわりと変わるもんだ。我々、と言うか、麻衣子がすっかり変わってしまったようにね。すっかり大人びてしまった麻衣子にとって、僕なんて竹槍を両手に何も考えずに走り回ってる足軽のような存在なんじゃないかな。でもウブだったのは僕だけじゃないぜ。麻衣子だってちょっと前までは僕と同じくらいちんちくりんだったじゃないか。そうだろ?不器用ながらに背伸びして、どうすれば上手にいちゃいちゃできるかを考えていたあの頃が懐かしいし、おぞましいよ。お互い、イメージの中ではもっとナチュラルに、もっと手際よく事を進めていたはずだ。でも、実際、その場になるとうまくいかない。ちょっとしたスキンシップにも経験と天性が必要だってこと、君とひととき過ごさせてもらって思い知らされたよ。そして、今、君はもういない。僕は足軽として取り残され、君は今を生きる大学生としてクールに大人の階段を駆け上がっている。ちょっと前までキスの先のその先を一緒に手探りで模索していたというのにね。悲しいけど、受け入れるよ。受け入れるけど、まあいいや、そんなことは。

『ザ・ビーチ』の舞台になった美しいビーチがタイのピピ島だってこと、教えてくれたのは麻衣子だったね。映画を観終わった後、今年の夏に一緒にタイに行こう、ピピ島でのんびりしよう、って切り出したのも麻衣子の方だ。別に責めてるわけじゃない、事実を単純に七並べみたいに順序良く並べてるだけ。出不精な僕にさえ、前向きな気持ちを抱かせるくらい、確かに映画に出てきたピピ島は美しかった。気の知れた(と思っていた)麻衣子と一緒なら悪くないなって、本気で思ったよ。だからこそ、行くと決めてからは牛丼屋のバイトも頑張った。せっせと次から次へと牛丼をよそった。今や、牛丼の上に何でもかんでも放り込んじゃう世の中で、美学も信条も全くもって疑わしいものなのだけど、僕が牛丼の行く末を案じたところで仕方ないわけだから、ピピ島のことだけ考えて、もっと言えば、ピピ島で麻衣子とセックスすることだけを考えて、牛丼だか、牛丼の進化形だか、あるいは過去に牛丼だったものだかをひたすらにどんぶりによそり続けたよ。そして、多くの牛丼たちを多くの人間たちの胃袋に流しこむことによって、今、僕はタイのバンコクにいるわけ。このことはおそらく麻衣子はご存知ないだろうね。君はまさか僕が独りでタイに行くとは思ってなかったんじゃないかな?

というわけで、僕は今、タイのバンコクにいる。もう少し詳しく言うと、バンコクのカオサンっていうエリアにいる。カオサンについてはネットで一緒に予習したよね?『ザ・ビーチ』の冒頭もカオサンから始まるし、君の手元にあるガイドブックにも書いてあるはずだ。バンコクに着いたらまずはカオサンを目指そうってスケジュールを立ててたんだから、忘れてはないだろう。ネットやガイドブックには「アジア世界への玄関」やら「バックパッカーの聖地」やらいろんな書かれ方をされてるけど、いやはや、まったくろくでもないところだよ、ここは。蜜に吸い寄せられる昆虫みたいに、ろくでもない旅人たちが世界中からここを訪れる。それに連れられるように欲や妄想がこの街に掻き集められる。そして、そのろくでもない欲や妄想がまた新たな蜜を量産し続ける。旅人は訪れては去り、去っては訪れ、の繰り返しだけども、欲だとか妄想だとか、そういう形をとらないものっていうのは渦になって街そのものを巻き取ってしまうと言うか、飲みこんじゃうんじゃないかって思うんだ。何となく言ってることわかるかな?蜜が妄想を膨らませ、妄想が蜜を生む。妄想も蜜もフィクションだ。フィクションに群がり、フィクションに溺れる僕たちもまた、フィクションだ。まさに、まるで、ハニーハント。

誤解のないようにしておきたいんだけど、斜に構えてこんなこと言ってるわけじゃないぜ。つまり、僕もここにいる人たちと一緒、蜜に犯された立派なろくでもない旅人だってことさ。飲めもしないビールを飲んで、無様な背伸びは頭痛に形を変え、今僕の頭を激しく打ち鳴らしている。そして、今、甘い豆乳を飲んでる。タイはお茶もコーヒーも豆乳も甘いんだ。甘い豆乳が重量級に二日酔いに有効だとは思えないけれど、とにかく癒される。麻衣子もパイセンといつかタイに来ることがあったら飲むといい、これ。

「ごめん、一緒に行けなくなっちゃった」

と、君は言った。一週間前のことだ。

「他に好きな人ができたの。サークルのセンパイなの」

と、君は言った。一週間前のことだ。ご存知のとおりだ。

『ザ・ビーチ』の冒頭でリチャードはこう言う。

「海を越え、今までの自分は捨てた。より美しく刺激的な何かを求めて。そう、より危険な何かを求めて」

彼は自分で宣誓したとおり、より美しく刺激的な何かを求めて、より危険な何かを求めて、「ビーチ」を訪れ、甘美な快楽を得るとともに同時に大変な目に遭うことになるわけども、僕はと言えば、当然、そんなワイルドで野心的な意思なんてさらさら持ち合わせてない。夏休みは適当な場所で涼めれば十分だ。北海道でマヨネーズをたっぷりかけてサーモンを食べられればそれで十分だ。大学生にもなってサーモンだなんて、幼稚だなと思うけれど、僕はサーモンが好きだ。マヨネーズがたっぷりかかったサーモンが好きだ。でも麻衣子が行きたいのなら、灼熱のタイにだって行くさ。そのために精を出して牛丼をよそうさ。パスポートだって早めにとった。ところが、行きたいと提案した当の本人が、高校の頃から付き合ってた恋人が、大学に入った途端にサークルのパイセンに恋をして、「ごめん、一緒に行けなくなっちゃった」ときた。言っておくけど、君のこの通告は正しくなければ、正確でもない。まず「ごめん」は不要だ。本当に申し訳ない気持ちがあるのであれば話は別だけれども、おそらくいかほどでもないだろう。そして「行けなくなっちゃった」わけでもない。「行けない」や「行かない」が適切だろう。今さら言い回しを意識したり、微妙なニュアンスを孕んで一体どうするっていうんだ。いいですか、本件は100%、あなたが悪いんです。そりゃ、僕は彼氏として不十分な部分だって多いにあったでしょう。でもそれとこれとは話が別だから。「行けなくなっちゃった」なんて言わないでほしいね、まるで麻衣子の意思じゃないみたいじゃないか。いいですか、本件は100%、あなたの意志に基づいており、あなたがわたしを裏切ったんです。正当化を繰り返し、正当化を正当化し、そしてその正当化を上塗りしていく。それがあなただ。

さてどうしたものかと考えたんだけど、キャンセル料はキャンセル料で馬鹿らしいじゃないですか。牛丼で換算したら並み150杯分。なんで僕が150杯もの牛丼を投げ捨てなきゃならんのだ、っていう話になるじゃないすか。だから半ばヤケクソで、150杯もの牛丼を胸に秘め、海を越えたってわけ。ヤケクソではあったわけだが、独りでここに来たことについてはまったく後悔してないよ。だから、その点については安心していただいてけっこう。むしろ麻衣子に感謝したいくらいだ。後で詳しく話すけど、僕は昨晩、この街で何物にも代え難い経験を味わったんだ。相も変わらず退屈で、相も変わらず貧相な話なのだけど、僕にとってそれは大号令であり、きっちりと革命だった。

高校時代に海外経験のある大学のクラスメイト達は「海外に行くと価値観が変わる」だとか「世界が広がる」だとか立派なこと言っていたけれど、「冗談よせよ」って思ったね。こんなところに来たからって、何も変わりやしないよ。「価値観」だとか「広がる」だとか、どうしてそんなことを真顔で言えるのか、僕には本当に信じがたいよ。こんなのネットで航空券を買って、電車に乗って成田に行って、あとはゲートをくぐるだけじゃないか。今でもそんなふうに思うのだけど、一方、昨晩、僕は確かに革命した。「価値観が変わった」だとか「世界が広がった」だなんて大層な言葉を振りかざすつもりはない。けれども、その退屈な革命は確かに僕の身に起きたんだ。

「僕の名前は五十嵐信夫」

と、僕は言う。

「他に何が知りたい?」

麻衣子は別に何も知りたくないかもしれない。でもここまで来たのであれば、僕のこの退屈な革命にこのまま少し付き合ってくれてもいいんじゃないだろうか?ささやかな罪滅ぼしだと思ってさ、ひとつよろしく頼むよ。ところで「罪滅ぼし」ってなかなかクールな言葉だと思わない?罪を、滅ぼせ。ね、クールだ。

昨日、陽が落ちたあとに宿の近くの寂れた食堂に独りで晩飯を食べに行ったんだ。タイ料理なんて全然わからないもんだから、炒飯やパッタイを食べてばかりだったんだけど、さすがに飽きちゃって、今晩はちょっと思いきってみよう、と適当にいくつか注文してみたんだ。トムヤムクンにイカとセロリのサラダ、あとはレッドスナッパーっていう魚のグリル。けれど、後悔したよ。サラダはナンプラーがききすぎてて生臭いし、魚はただの焼き魚で、トムヤムクンは酸っぱい。酸味と美味しさって僕の中ではどうやっても結びつかないんだけど麻衣子はどう思う?単純にさ、酸っぱいものって腐ってるみたいに感じちゃうんだ。テーブルの上には4種類の調味料が置かれていて、自分の按配でこれを加えて、好みの味に変えるという仕組みなんだけど、僕にはこれも理解できないね。酸っぱいのとか甘いのとか、辛いのとか、ノーサンキューなんだよ。フツーでいいのよ、フツーで。

ほとんど手をつけられないまま、やりきれない想いで、頬杖をつきながらぼんやりとテレビを眺めてる店番のおばちゃんを呼んだんだ、目についた「ポーク・アンド・ライス」を追加注文したんだ。炒飯を頼まなかったのは取るに足らない意地さ。ここで炒飯に逃げてしまっては目の前の酸っぱいスープに沈んだままの海老も浮かばれないだろうしね。それにしても「ポーク・アンド・ライス」なんて随分と杜撰な命名だと思わないか?「豚肉と米」だぜ。いくらタイ人がいい加減で、テキトーだからってこれはちょっとひどいんじゃないかと憐れんだよ。「名は体を表す」って言うだろ?「豚肉と米」だなんてあんまりだ。でもこういうことをさらっとやっちゃうのがタイだし、そういうところがなんとも愛くるしいんだけどね。ところが、このポーク・アンド・ライス、かなりアローイだったんだよ(タイ語で「美味しい」って意味ね。こういうすぐかぶれるやついるよな。まあ、僕は今、傷心のバカンスに来てるんだ。多少は大目にみてくれるだろ)。小間切れの豚肉をニンニクと一緒にカリカリ焼いたものをご飯の上に乗せて、あとは揚げ焼きにした目玉焼きを添えてるだけなんだけどね、これがもうたまらなく美味しかったんだ。やっぱりさ、フツーが一番いいのよ。フツー・アンド・フツー、ラブ・アンド・ピース、ポーク・アンド・ライス。

「君、独り?」

不意に声をかけられてびっくりして、僕はにんにくたっぷりのカリカリの豚肉をもぐもぐさせながら、そのまま首を縦に振った。

「独りのわりに食うね。俺もここに座っていい?」

彼は席に着くなり、手をあげておばさんに慣れた調子で「チャン」と言った。「チャン」とは何のことだろうと思ったんだけど、どうもビールの銘柄らしいね。彼はチャン・ビールが運ばれてくると同時にタイ語で何かを注文した。流暢というわけではなかったけれど、やっぱり随分慣れてるみたいだったよ。

「俺、イサキ。よろしくね」と伊崎さんは軽快に言って、軽快にビールを飲んだ。ビールを続けざまにごくごくっと飲むと、彼の注文はすぐに運ばれてきた。天津飯のように丸まった玉子焼きの上に豚肉と空芯菜のあんかけがたっぷりかかっていて、とっても美味しそうだった。おまけに、玉子を割ると中からは平打ちの麺が出てきてね、羨ましくて溜息が出たよ。自分が注文したポーク・アンド・ライスが何だかとても侘しいものに思えてきたよ。伊崎さんは一口食べると、その何だかわからない料理にテーブルの上に置かれた4種類の調味料を手際よく加えていった。次の一口を食べてからはそれ以上調味料は加えなかった。どうやらしっくりきたみたいだった。この一連の所作で何だか僕、わかっちゃったんだ。ああ、この人は僕とまるで正反対の場所にいる人だって。言うなれば、経験と天性を兼ね備えた人だ、ってね。ビールを軽やかにごくごく飲むみたいに、調味料をちゃちゃっと加えてさくっと整えちゃうみたいに、きっと女の子とのロマンスも何でもないようにうまく進めちゃうタイプだよ。麻衣子のそのサークルのセンパイってのもこういう感じなのかな。きっと、こういう感じなんだろうな。

「魚、食べないの?一口もらっていい?」

「どうぞ」

伊崎さんは魚の身をほぐして、ひょいっとつまんだ。すると「これ、味ついてなくない?」と眉間に皺を寄せ、「もう食べないんだよね?俺、かけちゃっていい?」と言って、同じような要領で調味料を迷いなくかけまわしていった。

「俺さ、このシステムってすげーいいと思うんだよね。だってさ、塩加減の好みなんて人それぞれなわけじゃん?健康志向が強いやつって塩分気にするでしょ?で、そういうやつに限ってネットに知ったかぶったレビューを書き込むわけ。ここの塩加減はちょうどいい、とか、ちょっとしょっぱいとか。でもさ、お前の塩加減なんてしらねーよ、って思わない?店もそんなレビュー、気にせずに堂々と自分の標準を用意して、あとはお客さんのお好みで、ってしたほうがいいと思うんだけどな」

そう持論を展開すると、伊崎さんはまたごくごくとビールを飲んだ。伊崎さんは見た感じ、27、28歳といったところで、東京で僕も名前を聞いたことのあるような大手広告代理店に勤めている人だった。今は夏季休暇を使ってタイに遊びに来たんだって。タイには何度か来たことがあるらしいんだけど、今回の旅行の目的について彼は「タイの女の子を買いに来たんだよ」と少しも遠慮もなく、きっぱりと明言した。「彼女とかいないんですか?」と聞いてみたら、「いるよ」とまたあっさりときっぱり。麻衣子、僕にはどうにも合点がいかないのだけど、こういう人って一体何を求めてるんだろうね。僕にはさっぱりわからないよ。そして、こういう人の目に僕はどう映るんだろうか?

「タイは初めて?」

「はい」

「そっか。俺、このあと繰り出すけど、もしよかったら一緒に来る?」

カオサンを少し外れた大通りからショッキングピンクの色をしたタクシーを捕まえて、二人で乗り込んだ。伊崎さんは揚々としていたけれど、僕はまだ腹を括れないでいた。タクシーの窓から眺めるバンコクの街はエネルギーに満ち溢れているようにも見えたし、無気力に沈んでいるようにも見えた。バンコクの大気汚染は深刻で、空に浮かぶ月は灰色に霞んでいて、その本来の輝きはすっかり損なわれていた。一方で、歓楽街に近づくにつれ、秩序と品性を欠いたネオンが無造作に飛び交い、バンコクは次第に僕の知らない熱と光彩を帯び始めていったんだ。

「緊張してるの?」

「正直に言って、けっこう…」

そう言うと伊崎さんはにこやかに笑って、

「タイ料理の神髄は酸味と辛味と甘味の統合にあると言われている。だから、大体どこの食堂に行ったってああやって調味料が用意されている。自分の好みでその3つをうまく混ぜ合わせるんだ。俺はこの国に来る度に思うんだけど、それって料理の話に限ったことじゃないんだよな。つまりタイっていう国そのものがさ、酸味と辛味と甘味の絶妙な統合なんだよ。提供されたベースに、あとは自分の好みと責任で自由にぶっかけろってわけだ。酸っぱくするのも、辛くするのも、甘くするのも自由。ほら、酸いも甘いも噛み分けろ、って言うだろ?ちょっと違うか。まあいいか」

目的地に着いて、伊崎さんは運転手に料金を支払った。慌てて財布を出すと、「いいよ」と言って僕を制した。「餞別だよ」と伊崎さんは言った。餞別?、と僕は思った。

「さて、五十嵐信夫君。ここはナナ・エンターテイメント・プラザと呼ばれている場所だ。ゴーゴーバーってわかるかな?簡単に言えば、テイクアウトができるキャバクラみたいなもので、そういう店がこのコの字型の三階建てのビルにひしめきあっている。これは俺の個人的な印象だけど、一階のお店はビギナー向けの店が多くて、上に行けば行くほど濃くなっていく。俺はなじみのコがいる店に行くから、五十嵐君も適当な店に入って、お気に入りを見つけるといいよ。もし見つからないようだったら、ビールだけ飲んで店を出ればいい」

まさかこんなところで放り投げられることになるとは思ってなくて、「伊崎さんについてっちゃまずいですか…?」と慌てて言ったよ。

「五十嵐信夫君、さっき食堂で言っただろう?」と伊崎さんは僕の心細さになんて一瞥もせず、爽やかににっこりと、

「塩加減は人それぞれだってね」と言って、すたすたと階段をのぼっていった。

独り取り残された僕はまさに野生の王国に捨てられた野良犬みたいなようなもので、ちょこっとだけ見学だけしてすぐにお暇することにしたよ。で、足早にぐるっとまわろうとすると、あっというまに客引きに捕まって、成す術なく店の中に引きずり込まれた。店の真ん中にステージが用意されていて、水着を着た女の子たちがその上で踊ってた。中にはちゃんと踊ってるコもいるんだけど、ほとんどのコはダンスと呼べるものじゃなく、ただ気だるく身体を揺らしているだけなんだけど、そのあたりはまあご愛嬌だね。で、客はそのステージを取り囲むようにして、ビールを飲みながらそれを眺めてるってわけ。入ってしまったものはしょうがないと僕も意を決して、他の客にならってビールを飲みながら女のコたちを見ていたんだけど、これがまたみんなかわいいのよ。びっくりしたよ。正直に言って、うまく飲み込めなかった。こんな美女たちが一体、こんなところで何してるんだ、っていう感じで。お金をちょっと出せばこの美女とヤレるんだ、って普通の男子であればそう思うのかもしれないけど、僕は逆に気が引けちゃったよ。僕はこんなところでも劣等感に苛まされるのかとほとほと自分に嫌気がさしたけれど、それでもステージ上の女のコたちを眺めてるのはなんだか気分のいいもので、そんな薄気味悪い感情の中で、孤独な野良犬みたいな視線を注いでいると、ふと一人のコと目が合ったんだ。にっこりほほ笑んだ彼女はジェスチャーで「隣に座っていいか?」と訴えかけてきた。僕はどうしていいかわからないまま頷くと嬉しそうな顔をして、ステージを降り、僕の隣に座った。隣に座って、一緒にドリンクを飲み、初級の英会話教材に出てくるような簡素な会話を済ませたのち、交渉し、双方の合意が得られればベッド・イン、どうやらそれがこの手の店のシステムらしい。これから僕が一生口をきくことはないだろうって思えるぐらいの美女は僕に対して、ステレオタイプなカリキュラムを機械的に済ませるとすぐに交渉に入った。適正価格がわからないまま渋っていると、彼女は隙を与えず、有無を言わさず、余地を残さず、破壊的なキスをしてきたんだ。自分の頭の中に並んでいた倫理やら理性やら、手順やら道筋っていう言葉がデリートキーを長押しされるかのように、瞬く間に消えていったよ。隙を作れず、有無を言えず、余地を残せず、きれいさっぱりデリートだ。まるで僕という人間そのものがデリートされてしまうかのような感覚だった。

「どうする?買う?」

と、彼女は言った。

僕に選択肢はなかった。けれど、このより美しく刺激的な、そして、より危険な何かを少しでも長く味わっていたくて、そのまま勿体ぶっていたんだ。自分だってわかってるさ、こんなのはリチャードが言う「より美しく刺激的な何か」でもなければ「より危険な何か」でもなく、そんな高尚なものにあらず、純度100%、ただの風俗であり、買春だっていうことくらい、勿論承知だよ。でも、童貞なんてその程度ですよ。

「ところで、あなたはニューハーフのどんなところが好き?」

と、耳元で囁かれた。聞き逃した単語があったのか、彼女が文法を誤ったのか(もっとも彼女の英語の習得度は僕のそれを遥かに上回っていたのだけど)、もしくはその両方だろうと思ってもう一度聞き返した。

「あなたはニューハーフのどんなところが好き?私はもう切っちゃったんだけど、ついてるコの方がよかったかしら?」

「君、ニューハーフなの?」

「あなた、知らないで来たの?ここはそっち専門なんだけど」

タイにはニューハーフの人が多くて、中には見分けがつかないコもいるっていうのは聞いてはいたけど、実際は「見分けがつかない」なんてそんな生易しいもんじゃないよ。とびっきりの、そして、まるっきりの美女そのものなんだから。彼女(と言うか彼)は失言したと思って、軌道を修正しようともう一度そのアルマゲドンのようなキスを問答無用にもぐりこませてきた。例によって、それはまるで自分自身が飲みこまれていくかのようで、快楽以外の全ての感覚が丁寧に削ぎ落とされ、彼女が男だと知っての当然の動揺も、然るべき混乱も沸騰した鍋に水を差すみたいにすっと後退していった。そして、やがて頭の中は奇妙なまでに冴えていって、一つの命題が僕に舞い降りてきたんだ。

「こういう時、一体、どんな感想を持つが正しいんだろう?」って。

実は男だと知って、彼だか彼女だかを突き放すことが成年男子として健全な反応なのだろうか?騙されたと憤慨し、店を飛び出るのは許される行為なのか?もしくは、「何事も経験」というありがちなロジックを持ち出して、強引に対処すればいいのだろうか。さりとて、若気の至りとかこつけて、彼女(と言うか彼)に対する敬意もないがしろに面白がるのはいかがなものだろうか。女性であろうが、男性であろうが、この人が現実に僕にもたらした恍惚は撤回しようのない、また記憶からデリートしようのない、揺るぎない確かな感触だった。あとで男と知ったからって、その恍惚を無碍に反故にするのっていうのはさ、何だかとても偏狭な話のように思えたし、何より彼女(でいいや)に対してフェアじゃないことのような気がしたんだ。結局は僕がどう解釈するか、でしかない。気持ち悪いとして口をゆすぐか、アルマゲドンの先にある未知の終末に進むのか、当たり前ではあるけれど、それは自分次第だ。

だとすれば、ここに一つの仮説が浮かぶ。

だとすれば、

「僕の世界は、僕を以ってして、僕の意のままだ」

という大胆な仮説だ。

カントの『純粋理性批判』にだって似たようなことが書いてある。「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」ってね。つまり、彼は彼だから彼なのではなく、僕が彼を彼だと認識しているから彼なんだ。認識を対象に従わせるのであれば、健全な成年男子は口をゆすぐしかない。でも、逆であれば可能性は無限に広がる。僕が彼を彼女だと思えば、彼は彼女になる。つまり、僕の世界は、僕を以ってして、僕の意のままであり、君の世界は、君を以ってして、君の意のままだ。

とは言え、彼女からの誘い(と言うか売春だけどさ)に関しては丁重にお断りしたよ。どちらかと言えば草食ではあるが、健やかな欲求を持った健やかな男子だ。君のご存知のとおりだ。健やかなる時も、病める時も、基本的には女の子を求めているし、おまけに童貞だ。それも、ご存知のとおりだ(やはり、僕は君とヤるべきだったんだ)。今回のケースはそんな童貞に対応できるヤマじゃなかったよ。まさに「そんな童貞には手に負えない件」、だ。

天使の都とも魔都とも呼ばれる、人間の熱源が剥き出しの街、バンコク。この街の熱気と狂気の中で、僕はちょっとどうかしちゃったのかもしれないよ、麻衣子。クルサーのパイセンとは上手にいちゃつけてますか?セックスしてますか?何だか、君を遠くに感じるよ、麻衣子。

以上が僕の身に起こった退屈な革命の全容だ。ご清聴ありがとう。革命後、何だかお腹が減って、そのへんの屋台でバナナを買ったんだ。バナナはきちんとバナナの味がしたよ。そして、そのことに僕は死ぬ程ほっとした。バナナがバナナであることに、胸を撫でおろした。酸味と辛味と甘味が厄介に絡み合い、各自の塩加減と認識と対象が飛び交うこの世界において、バナナはどこまでもバナナだったよ。

「僕の名前は五十嵐信夫」

と、僕は言う。

そして、

「バナナって、バナナの味がするんだぜ」

そう、ご存知のとおりだ。


こんにちわ、山本ジャーニーです。秋葉原で多国籍料理店を経営しているものですが、文章や小説を書くのも好きです。今まで様々な文章を書いてきましたが、小説Journey×Journeyはこれまでの集大成とも言える作品です。旅と世界を想像しながら楽しんでいたけますと幸いです。