115th_心配事のそのすべては杞憂
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このブログは、
"200~500kmを走るジャーニーラン"というクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。
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■ 杞憂という言葉があります。
まだ現実にもなっていないことなのに、あれこれ想像しては、
未来を悲観したり、嘆いたりして取り越し苦労をすることを言います。
この杞憂を生んでしまう原因はなんなのでしょうか?
一つには、
「自信がない、不安だ」ということが挙げられます。
例えば、
「テストで良い点が取れるだろうか。。。」
「ちゃんとマラソン大会で完走できるだろうか。。。」
「あの人に嫌われたらどうしよう。。。」
とか。
自信のなさや不安感が杞憂という幻想を生み出しているといえます。
僕もたまに杞憂状態に陥ることがありますが、
杞憂はその意味通り、
心配したことのほとんどは実際には起きずに終わります。
■ そもそも、未来は"未"だ"来"ていない状態のことです。
未だ来ていない時間なのだから、
未来がどうなるのか、など、誰にも分かりようがありません。
「わからない」で当然なのです。
だから、恐れや不安から未来のことを詮索しても、
それは幻想でしかありません。
未来に起こることに不安や恐れを成して、
その不安や恐れを過大評価し過ぎなのです。
■ 未来のことはわかりません。
起こるかもしれない事柄があるならば、
それに対して「今何をすべきか」
それを明確にして、それに取りめばいいのです。
取り組んで、また出て来た課題や不安があれば、
それを解決するような物事に取りめばいいのです。
何もしないから、課題は課題のまま、不安は不安のまま、なのです。
「〜たら」「〜れば」と、
未だ起きてもいない事柄に思い巡らす時間があれば、
それよりも具体的な解決策に一歩を踏み出すほうがよっぽど生産的です。
■ また、ある程度取り組んだのであれば、
「なんとかなる」「なんとかする」
という楽天的な発想が必要です。
「人事尽くして天命を待つ」という言葉があるように、
やることやって、やり切ったあとは
天命に任せればいいのです。
経験的に言いますが、どんな事柄もまぁなんとかなるものなんです笑
「なんとかなる」に根拠も論説もありませんが、
思っているような心配の大抵は実際に起きないものなんです。
それでもまだ心配ならば、
心配の種を一つでも二つでも潰せるような行動をすればいいんです。
行動すれば1%でも2%でも悪い未来が起こる可能性は減ります。
悪い予想にして、それに屈して嘆くのではなく、
未来を好転させるために今やれることに最大限取り組むこと。
そうすることで未来が変わるはずです。
まとめ
悪い出来事を心配しても、そのほとんどが杞憂に終わる
何もしないから、悪いことが起きる
いろいろ考える暇があったら、行動!
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