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無題小説

一体いつになったら欲しいものを手に入れることができるのだろうか、ふとそう思った。そして私は何が欲しいのだろうか。

今まで私は私が望むものを買ってきたつもりだ。鮭が食べたいと思えば鮭を買い、ついでに目についた惣菜を買って食べた。その時の私はそれを欲しいと思って買った。

そして帰宅し、いざ食べようとするとほんの少し違和感を覚えた。その違和感は言葉で説明できないものであったし、気になって仕方ないものでもなかったからそのまま無視した。何か感じただけのことだった。

例えるならば蚊に刺されるみたいに。何か触れているかもしれないけど気にはならない。ちくっと痛みを感じることもなく、よくわからないまま過ぎていく。後になって腫れているところを見て初めて認識するレベルのとても小さな違和感。

結局、その違和感がなんなのかは分からないままであった。一通り食べ終えたとて「何か」で終わってしまったよくわからないもの。はて、あれは何であったのか。

気になるものだ、わからないというのは。何なら蚊に刺された方が良かった。違和感の正体が何でもあったのかを教えてくれる、「あ、あの時蚊に血を吸われていたのか」

痒さは残るがムズ痒さは残らない。過去のひと時で完結した終わった話。収束を待てば良い、時間が解決してくれる痒み。

これとは違って正体不明の違和感は望むようにはいかない。正体を見つけるまでは終われない、時間が解決するかもしれないし、しないかもしれない。

蚊に刺されて痒いのならば掻きむしればいい。気休め程度に気分は晴れる。腫れは酷くなるかもしれないが、その場はそれで治まる。

しかし違和感の正体がわからない場合に掻きむしると症状は悪化する。違和感がますます大きくなる。そう、毒が身体に入った時はじっとするべきなように大人しくするべきだ。無闇やたらと動かない方が賢明な判断だろう。

と言っても、じっとするのは無理な話だ、どうしたって気になる。考えざるを得なくなる。考えないように考えても考えてしまう。

さて、結局のところ私は何に違和感を感じたのだろう。はてさてムズ痒い……。決めつけることはできるけども正体は判明しない。決めつけはその場限りの効果しかない。腫れた部分を無意味に掻きむしるように。

こうして違和感は感染していく。私の違和感は果たしてどこからきたのだろう。見えないものとどう闘うべきなのだろうか。収束を望むよりも何をすれば……。

お読みいただきありがとうございました。