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理解できただけで価値がある

自分と合わない人と無理して関わるって何か意味あるのか?自分の価値観を広げるとしてはいいと思うけどね。こう考える人もいるんだ、みたいな感じ

でもそれはそれで関わる関わらないで言えば、関わる必要はないと思う。

尊敬とかの理想像はありだとしても。まぁ、これは自分と合わないと言うよりは、自分に足りないものを相手が持っている場合だから、ちょっと違うけど。

会社なんかで将来偉くなりそうな人に媚を売るみたいな感じで無理矢理関わっている人がいるけど、私からしてみれば何してんだろうと思うよ。

それも一種の方法論だと思うし、もしやっている人が満足であれば別にいいんだけどね。私だったらそうはしたくないって思っただけで、やっている人を否定してるわけでは無いけど。

できない奴の戯言だろって言われても否定はできないし、それも事実なんだけどね。実際にやったことないから。

ここから本題に入るけど、こういうどっちが正しいの論争っていうのは、結局やってみないとわかんないんだよね。

人によって何を重要視するかのパーセンテージが違ってくるし、それによってやってよかった悪かったも変わってくるから、他人が決めるべきではないんだけど。

だからこそ悩んだらやるべきだとは思う。行動すれば結果が出てくるし。本人がやって満足だったと思えばそれでいいのかもしれないし、やんないほうがよかったと思えばそれも正解だし。

どちらが正しいのかは本人にしか決められない。他人の考えはあくまで参考にすべき意見であって、それが正解ではない。

ただ人生において完璧に同じ状況ってないからね。やった場合とやらなかった場合の対照実験ができないから自分にとってどちらが正しかったのか、結局のところ推測になってしまう。

似たような状況だった場合、たまたまそっちが成功しただけかもしれないし、相手が良かっただけかもしれないし、もしかしたら本当に自分に合ってるのかもしれないし、わからない。

だからさっきも言ったようにこうやって悩む場合は行動してみるべきだと思う。行動しない場合、つまり仮説の段階では、自分の望みが入っていることを忘れてはいけない。今の自分が楽できる方や多くの人が進む道に考えが偏ったりする。

自分が楽できる方っていうのは、今の自分がめんどくさがってやらないだけであって、本当はやったほうが良いに決まっていると自分もどこかで思っているもの。その場合、他の誰でもなく自分が傷つく。

例えば、受験の時に本当は行きたい学校があるけど今の自分では到底無理だから少しランクを下げたりとか、別の学校に指定校推薦で入学を希望したり、と。

楽な選択を。

その時の自分の基準を重視してしまう。そしてその基準があたかも本当の自分が言っているように勘違いする。これが1番やってはいけないこと。

何が言いたいのかと言えば、悩むくらいならいつもなら選ばない方を選んだ方が良いということ。自分にとって楽な道というのは、今の自分なら安全に通れるとほぼ保証されている道。危険じゃない道。

でも、この楽な選択を繰り返して行くと、今の自分は楽かもしれないけど、同じような展開が訪れたとき、また悩む。本人は忘れているかもしれないが同じような内容でこの先ずっと悩む。

これは同じところをループしているということ。それは何故か?楽な選択の方が心地良いと思う自分がずっといるから。

この楽をする自分とさよならをするには、こいつに従ってはいけない。一度、反対のことをしてみる。

でもその選択は楽をしたい自分に否定されるだろう。こちら(楽な方)の選択をすれば、安全だよ。そっち(自分にとって楽ではない方)は何があるかわからないよ、危険だよ。

それもそうだ。楽な方の選択と言うのは、今まで自分が通ってきた道に近いのだから、ある程度の予想がつく。つまり対処するのがたやすいと言う事。

でも間違ってはいけない。その道に満足しているのであれば、あなたは今悩んではいない。悩むと言うことは、楽な道の誘惑以上に本当の自分がその道は間違っていると思っているからではないのか。

だから何度も問い掛けてくる、そちらでいいのかと。また楽な道を選べば、同じように悩むことになるぞ、それでもいいのか。

さっきも言ったのが、どちらが正しいのかは自分でしか判断できない、他人が判断する事はできない。そしてどちらの道が正しいのかは自分の行動でしか証明できない。他人のことを見てどちらが正しいのかはわからない。

これは自分の問題だから。

だから迷ったら行動するべきだと思う。いつもの自分とはあえて逆の方向に。その道は本当に危険かもしれない。いつもの道であればその先に何があるかわかるけど、その道はその先に何があるかわからない。

真っ暗闇で先が見通せず、不安だと思う。

でもその先にしか答えがない。

そうやって先に進むことでしか正解を探す術はない。

ここで、もし進んだ先が自分とは無縁で、本当に危険な場所であるのならばそれでも良い。

それがわかったのなら、それでいいじゃないか。もう悩む必要はない。楽な選択だと思っていたが、それは自分に合っていたとわかればいいんだ。

理解できただけで価値がある。

挑戦した価値がそこにはある。

経験した者にしか語れない世界がある。

どちらも選べる。

自分で



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