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伝えたい気持ちをうまく伝えられない

誰しもが伝えたいことを伝えられなかった経験はあると思います。頭でわかっているんだけどイメージしやすいように例を用いて話します。

例えば、“期間限定今だけ麺増量中”というキャンペーンをやっているラーメン屋があったとしよう。気になったあなたは、そのラーメン屋に入りました。しかし、お店に入ってみたら店内にもう一つ張り紙がありました。“残した場合、追加料金を頂きます”

少し不安に思ったあなたは、店員に「麺はどれくらいですか」と尋ねた。店員の応えは「300gです」

どうですか?あなたはもしgで応えられて、それくらいかと思えますか?私はgで言われてもイメージが湧きません。

ですが、店員さんは質問に対して、分かりづらい回答をしたわけではありません。寧ろ何gなのかは絶対的数値(誰が計っても同じ値)です。

それならば、何故分かりづらいと思ってしまうのでしょうか?

結論を言えば、質問が悪いからです。

今回は「麺はどれくらいですか」という質問をしました。この質問、答える人によって何通りもの答え方ができますよね。

この例ではgという絶対的数値で返されていますが、これで納得できる人は「何gですか」で良いと思います。

ならばどう質問したら良いのか?

万人に使える正解はないですが、一例をあげると、あなたであればこの質問をされたときにどう答えるか。その答えがあなたの欲しい答えであることがほとんどです。

つまり、その答えを相手がしてくれるような質問をすることができれば、なんとなく分かったような分からないような、というモヤモヤをなくせます。

そして先ほど書いたように誰に聞いても同じ答えになる質問にできると、回答者の主観で返答されることはまずありません。主観的な意見が欲しいなら「あなたはどうですか」とでも言えば良いです。

ものすごく話が逸れた気もしますが…

私が言いたいことは、多くの人が自分の思いを正しく言語化できないということ。

なんででしょうか?

欲しい答えを正確に求められないと言う事は、自分自身ですら欲しい答えが分かっていない場合があります。

それは言語化する前に自分の中でイメージができていないから言語化できない。逆に言えば、イメージが固まっているからこそ言葉にして発せられる、伝えることができる

語彙を増やすことは必須ではない

思っていることを言葉にするためには語彙を増やす方が良いとよく言われているが、別にそんなことをしなくてもいいと思う。言葉を多く知っていることで使える言葉、つまり表現方法は増えるかもしれないが、別に表現方法が増えたところで自分の思ってることを的確に相手に伝えられるとは思えない

極論を言ってしまえば、言葉と言うのは自分以外の誰かが作ったものであって、その言葉を使って自分を表現することが正しいのかどうかという話になる。

が、今回はスルーする。

世の中のほとんどのものが自分以外の誰かが作ったもので作られており、私たちはそれを利用しているだけに過ぎない。

そしてこれらが利用されているのは、使う人同士で共通認識を持っているから。あなたが使っているものは言葉ですね、みたいな。無意識のうちに処理できるのは、双方が共通認識しているから。

語彙を増やすと言うのは、自分の使えるスキルが増えると言う意味ではまぁアリかもしれないです。でも言葉と言うのは自分の思いを相手に伝える、相手の思いを聞くために使われるものであって一方だけが知っていればいいと言うものでもない

いかに多くの語彙力を増やして自分だけがわかったとしても相手がその言葉の意味を知らなければそれは何のために使った言葉なのだろう

もう一度言いますが、言葉は双方で共通の認識があるから成り立っています

専門家同士のやり取りなんかでは一般人にはよく分からない言葉が飛び交っていて、私と専門家の間では成り立っていなくとも、専門家同士では成り立っている。

子供たち(今の子たちは知りません)が暗号のようなものを用いてやり取りしていたのも内容を知らせたい人だけにわからせることが目的である。

何の言葉より誰に

何が言いたいのかと言えば、相手に伝わればいいんですよ。さっきはスルーしましたが、自分の思いを100%表現するには借り物の道具じゃ限界があるってことです。

そもそも自分の思いを伝えるためにするべきことは、自分の思いを100%伝える努力よりも相手が理解できるように言葉を選ぶことの方が大切です。

自分の知っている中の言葉、かつ、相手も知っていそうな言葉をまずは選ぶところから初めて、今の気持ちに一番近いものはどれかを選択する。

言葉と言うのは自分の思いを人に伝えるために使われる道具であり、便利でかつ、広く使われているから利用されている。そして利用している。

言語つながりで、英語を学ぼうとするのも日本語よりも広く使われているから学ぼうとする(私は)。

自分の思いを伝えられる範囲を増やそうとするためにもしくは相手の思いを相手の言葉で理解するために言語を学ぼうとする。

語彙を増やしたり専門用語を増やしたりするのは、言葉を簡略化するためであって、元を辿れば言葉の集合体に過ぎない。

専門家がわかりやすく噛み砕いて説明してくれたら一般人でもわかるというのは、難しいと感じる言葉は一般人に馴染みがない(使用頻度が少ない)だけであって、頻繁に使う人達がお互いに理解し合っている部分を省略し合って話しているだけだから。

十分に理解している人たちが楽をするためって言ったらあれだが、いちいち言わなくても分かるよねってことで省略した結果、専門用語となっただけだから。

難しい漢字の中にも専門用語のように使われている漢字があったりします。

つまり語彙を増やしたところで意味がないと言うのは、その難しい言葉が他人に理解されなければ意味がないと言う点と、難しい言葉、例えば漢検1級とかのような感じは専門家同士で使うような言葉が多いので、使用頻度の低い言葉を覚えてもそこまで使う機会がないから。

それよりも身近なところで使われている言葉をしっかりと理解すること。

遠くのいつ会うか分からない人のために語彙力を鍛えるよりも、身近な人にわかりやすい言葉を選択できるように磨きをかけることの方が大切だと思います

その言葉は誰に伝えたいのか

最後までお読みいただきありがとうございました。私のことが気になった方はこれからも応援よろしくお願いします。

お読みいただきありがとうございました。