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いつ人は「死」ぬのか

色づいた葉もほとんど落ち、自らを彩るものが何も無くなった木々を横目に夜道を歩いていると、ふと、
「死」ってなんだろうかと考えたりする。

寿命が尽き果てることだろうか。
社会的に除け者にされた時だろうか。
物理的な死と社会的な死はなんとなく思いつく。

そこでふと思ってみた。
「人から忘れられた時」
これも一つの「死」ではないだろうか。

考えてみると、私という人間は、自分と自分に関わりのある人との間で自分らの生活は広くも狭くも、深くも浅くも構築されていく。この世の悩みなど全ては人間関係、いわゆる対人関係からの悩みだ。
大なり小なりあると思うが、人には人が全てなんだろう。

「人から忘れられた時」。
それは、これまでの見ず知らずの他人の状態に戻る事を意味する。
そうなると、その人の生活にあなたは金輪際存在することはないかもしれない。そうなればあなた自身はどこかで物理的に、社会的に生きていたとしてもその人にとっては死んでいる事に等しいぐらいの感覚だろう。
つまり、それは一種の「死」ではないだろうか。

着ぐるみを剥がされ、真っ裸になってしまった木々。
どこか寂しさを感じさせながらもそのありのままの姿からは、どこか逞しさも感じさせる。

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