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イスラエル巡礼旅6🇮🇱奇跡の海、ガリラヤ湖の旅

ガリラヤ「湖」とはいうものの、英語でも Sea of Galilee と訳されるようにまさにガリラヤ湖は奇跡の海でした。ティベリヤの街をゆっくり歩きながら、たくさんの奇跡が起きたキネレット湖ことガリラヤ湖に癒されに行きました。

ナザレの教会からガリラヤ湖の街、ティベリヤへ移動

前回の note でご紹介した受胎告知教会の中はどことなく幻想的です。中東の容赦ない陽射しから逃れ、素敵な教会の中で涼ませてもらいました。

世界各国の絵が展示される中、日本の絵も発見しました。マリアの後ろに誰かが袖を広げて立っているような構造で興味深いです。


天井から光が差し込む様子がとても綺麗です。ちなみに受胎告知教会の中で礼拝が行われていました。なんと中国語でメッセージが語られていて、礼拝の参列者も遠目で見たところ中国系の方々のようでした。イスラエルでは殆どアジア系の方に会わなかったので驚きました。


ミサが行われていたおかげか、こちらの受胎告知教会は厳かな雰囲気で静かでした。イエスの生誕教会とは違い、ゴリ押しでツアーを売ろうとするうるさい人がいなくて一安心。大変落ち着くことができて癒されました。笑

水の上を歩けるか挑戦?!ガリラヤ湖へ向かう

ナザレからバスでティベリヤに向かいました。乗車時間は約2時間ほどです。窓からの景色を楽しんでいるとあっという間に目的地に到着しました。

ティベリヤのバス停で下車してガリラヤ湖に歩いているとかわいらしい馬たちを見つけました。気のせいかティベリヤの街全体がのんびりしているようですっかり気に入りました。
ガソリンスタンドで750ミリのペットボトルの水を3本購入し、ガリラヤ湖まで歩きます。荷物が多くなっても脱水症状になるよりはマシなので、旅の途中は「水を見たら買う」を心がけていました。
ついにガリラヤ湖に到着!予想しなかったクラブミュージックが聴こえて驚いてしまいました。見渡すとたくさんの人がボート遊びや水遊びを楽しんでいてさながらビーチリゾートといった感じです。今も昔もガリラヤ湖は人々が楽しむことができる憩いの場所なのでしょう。
世俗的という言葉はよくないかもしれませんが、世俗的な音楽が気にならないほどガリラヤ湖の眺めは圧倒的に美しいです。何時間見てても飽きないと思います。
ここで漁師のシモンとアンデレがイエスに出会い、「人間をとる漁師」になるためにイエスの弟子になったというお話、水の上を歩き嵐を一言で静めたイエスの奇跡の物語に想いを馳せながら湖を眺めていました。
イエスの優しさや偉大さが穏やかな水面に現れているようで、自然と涙が出てきます。


水の上を歩いてみようとしたものの見事に失敗。笑 そんなことはどうでもよくなるくらい、アドナーイが造られた自然は最高です!


エルサレムとは異なる魅力を持つティベリヤ

ガリラヤ湖周辺にはリゾートホテルがいくつかあります。今回はティベリヤからテルアビブに戻るために山上の垂訓教会には行きませんでした。次回の巡礼のときにその教会も訪れ、ティベリヤをもっとゆっくり旅したいと思います。平日に訪れたからか、ティベリヤはエルサレムやテルアビブよりも人が少ないような気がしましたし、海に近いだけあって歩きやすいです。

名前はわからないながら、この紫色の花をりこうさぎ的に「イスラエルの花」と呼んでいます。
バス停に向かっていると、イスラエルでは珍しいアジア系の方が声をかけてくれ、親切にも道順を教えてくれました。バイクに乗っている金髪の人に "You are beautiful. Where are you going?" と話しかけられたものの、バスの時間を逃すとテルアビブに帰れないのでシャロームと言って走って逃げました。笑
バスに走って乗り込むと運転手さんが開口一番、"Are you Japanese? I lived in Tokyo!" と笑顔で話しかけてくれました。東京に一時期仕事で住んでいた陽気な方でした。

りこうさぎが乗り継ぎのためにバスを降りると、東京に住んでいたバスの運転手さんがわざわざバスを一時停車して、親切にもりこうさぎにテルアビブまでのバスでの帰り方を教えてくれました。なんだかその運転手さんを見るとイエスの笑顔を見たような気がして、とてもありがたかったしほっこりしました。

まるでイエスや天の父ことアドナーイから「次はもっとゆっくりガリラヤ湖においで」と言われているような、ゆったりした心温まる旅でした。外が真っ暗になって乗り継ぐバスを待っている間も、「最悪始発のバスまで外で待っていても大丈夫そうかも」と思えるくらい、ティベリヤは治安が良いというか平安で心地よい場所でした。

生きているとさまざまなことが起きます。りこうさぎもそうでしたが、嵐のような時期を体験している方も多いでしょう。
自分の力でなんとかしよう!と思うと、遅かれ早かれ限界を向けて疲れてしまいます。その疲れが判断力を鈍らせ、恐れに繋がります。

ですが恐れはアドナーイから来るものではありません。
「まだ疲れきっている」「こんなにたくさん傷付いてきた。全然癒されてなんかいない」という気持ちは痛いほどわかります。でもそれは、2000年以上前に全ての傷や痛みを血だらけになりながら身代わりになってくれたイエスの偉業を否定することになります。

最後まで読んでくれてありがとうございます。次回はガリラヤ湖の街ティベリヤ、エルサレム、テルアビブとはまた違った街をご紹介します。

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