見出し画像

ワクチン論争と原発論争

ワクチンは打った方がいいのか、打たない方がいいのか。
ワクチン推進派は「ワクチンを打てば感染のリスクも重症化のリスクも下がる。国民全員ワクチンを打つべし。ワクチンを拒否するやつは非国民だ」という。
一方の反対派は「コロナの重症化率、死亡率はもともと高くない。もともと高くないものが下がったところでたいした意味はない。むしろ、副反応の方が問題だ。こんな安全性の確認できていないワクチンを強要するなんて犯罪的だ」と警鐘を鳴らす。
いったいどっちが正しいのか。
どっちも専門家、科学者の言うことである。だから、どっちの説にもそれなりの根拠はあるのだろう。が、どっちも正しい、という立場は許されない。我々はどちらかを選択しなければならない。

こんなワクチン論争を見ていて、原発論争を思い出した。
福島の事故が起きるまで、原発推進派はこう言っていた。
「日本の原発は安全だ。事故なんて起きっこない。原発事故を心配するなんて、隕石が頭に落ちてくるのを心配するようなもので意味がない。むしろ、日本の経済を心配すべし。原発を止めたら日本経済は破綻する」。
それに対して反対派は「原発が安全なんて大ウソ。小さな事故はしょっちゅう起きている。大きな事故が起きてからでは遅い。今すぐ止めろ」と警鐘を鳴らしていた。
この原発論争も、専門家、科学者同士のもので、いったいどっちが正しいのか、素人にはなかなかわからなかった。

が、はっきりしていることはあった。両者の性格の違いである。
原発推進派には、前向きで、明るく、大雑把な性格の人が多かった。だから、「大丈夫、大丈夫」と楽観的なことが言えたのだろう。
一方の反対派には、推進派とは正反対の、暗く、細かく、慎重な性格の人が多かった。
推進派と反対派の対立とは、性格的な対立だったのである。

今のワクチン論争も同じである。
ワクチン推進派には、暗く、細かく、慎重な人が多い。だから、「ワクチンを打たないと死んじゃう」と思い詰める。
一方のワクチン反対派は「大丈夫、大丈夫、ワクチンなんて打たなくても死にはしない」という。前向きで、明るく、大雑把な性格なので、そもそも危機感がないのだ。

さて、このコロナ禍で生き残るのはどっちの性格なのか。
推進派の説が正しければ、ワクチンを打たない反対派は滅亡する。逆に、反対派が正しければ、ワクチンを打った推進派は副反応で滅亡する。
まあ、前向きで明るい性格の反対派が多く生き残った方が楽しい世の中になりそうだが、そういう人たちばかりだと、早晩、原発事故が起き、人類は滅亡するだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?