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FOOT BALL

こんにちは。
城西大学経営学部4年の片倉誠也です。
こういった機会を設けて頂いたので大学生活を振り返ってみようと思います。長いので最後まで時間かかると思いますが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

まず、自分は高校サッカーが終わり、サッカーで上に行くには限界かなと思いがありながら、城西大学に入学する事になり、もしサッカーをやめても色々な進路に変えられるということもあり、4年間サッカーを続け、教員免許を取れるということで、その後指導者になろーかなーって思い、最初は入学してきた。



1年の最初は同学年だけで練習し、入学前はそんなに動いてなかったので、練習で走りとか多くて、キツかったけどめっちゃ楽しかった。

そのあと自分はカテゴリー分けでリザーブ2になり、練習ではリザーブ1とハーフコートの紅白戦をたくさんやってて、バチバチでめっちゃ楽しくて充実してた。
そしてだんだん慣れてきてアイリーグも出してもらえるようになり、夏にトップチームに上がることができた。

トップチームに上がってからだんだん慣れてくると、後期のリーグ戦で前監督である猿さんにチャンスを頂き、大学のリーグ戦デビューをした。

その2週間後くらいにリーグ戦前日の調整の練習にひろむと一緒に寝坊した。チャリでひろむと一緒にガンダで行ったけど2、3分間に合わなかった。終日はサッカーができなかったので辛かった。。



2年になり、ちょっとした怪我をしたり、試合に出られなかったりで、このままじゃダメだと思い、1年からやってた簿記の勉強を本格的に始めた。

2年の時はサッカーというより、勉強をめっちゃしてた。朝6時半に学校に行って、夜の9時に学校から帰ってと、たくさん勉強してた。そうして勉強をしているうちにサッカーへの気持ちも冷めていった。

自分は2つのことを同時にやるとかができなくて、不器用なのでどっちかに絞ろうと考え、好きなサッカーより、将来のことを考え勉強にしようと思い、親や光太郎さんに泣きながら電話で相談したこともあった。

だけど、親は自分がやりたい事をやりなって言ってくれて、光太郎さんには勉強とか就職はいつでもできるけどサッカーは今しかできねーぞって言ってくれて、気持ちを入れ替え2年生の途中からまたサッカーと向き合うと決めた。

その頃、高校の同級生で法政に行ったあやせが活躍していて、自分に刺激をくれたし、目を覚ましてくれた。消えかけてた闘志に火をつけてくれた。



そして3年になり、サッカーで生きて行こうと決意した。遅いけど。3年になってからリーグ戦が3回りと試合数も多く、自分はチームでサイドバックをやるのが初めてで、試合にも多く関わらせてもらい、すごく成長できた1年だったと思う。

自主練もたくさんした。ひたすらグランドに残って、クロス練や、ロングキック、左足のキック、ヘディング、1対1の対応など課題がたくさんあったので、とことんやった。練習でうまくいかなくて、泣いたことも多々あった。でも、こんだけやってもダメならしょーがないってくらいやった。

自分達の1個上の先輩達が頼もしくて、入れ替え戦にまで行かせてもらい、いい経験をさせてもらった。だが、それでも関東リーグ昇格にあと少しというところで届かなかった。関東リーグでやりたかったからめっちゃ悔しかった。



4年になり、監督も変わり、これからどーなるんだろうと手探りの時に、コロナが流行して、部活動ができない時期もあり、サッカーが当たり前にできる幸せを感じた。自粛期間はまじで死ぬかと思った。おれ生きてるのかなって思うくらい死んでた。やっぱサッカーない生活はダメだなって思った。

自粛が明け、新しい事をやろうとしているので当然、不安や不満も多く、俺らの代どーなるんだろって思いながら過ごしてた。
でもアミノバイタルカップや、リーグ戦が開催される事になり、とても嬉しかった。リーグ戦は一回りだけで結果は残念な結果になってしまったけど、この結果を受け入れて、次に繋げて行けたらなと思う。



大学4年間を振り返ると色々な事があった。特に思った事は、個人的な力の差とかは多少あるけれど、チームとしてきちんと戦えば、関東リーグのチームとの差はあまりないということ。
だけどいつも勝てそう、惜しいで終わってしまう。その少しの差、ほんの僅かな差。だけどそれが実はとても大きな差になっている。

でもその差は日々の練習の質かもしれないし、練習に対する意識かもしれない。それとも、ロッカーの使い方や、グランドの忘れ物や、テーピングやペットボトルのゴミの片付け、などそういった身の回りのこと、私生活をきちんとする事かもしれない。

単純に出し切って、実力での差で負けたのかもしれない。その日は緊張して持てる力を出しきれなかったのかもしれない。多くの様々な要因があると思う。その僅かな細かい差のような大きな差を、どれだけなくすか。さらにはプラスにしていくか。それが今後上にいくには大切だなと思う。



そして、自分から後輩たちに伝えたい事がある。これを読んだらもう一度自分がなぜわざわざ大学に入って高い学費を払ってもらってまでサッカーを続けてるのか、何のためにやっているのか。ちゃんと深く考えて、それでもそれが見つからなかったり、サッカーが1番じゃないならすぐに辞めた方がいいと自分は思う。

自分もサッカーから離れそうな時もあった。だが、当たり前の事に気付かされた。サッカーは今しか出来ない。勉強や、遊び、そんなの大学卒業してからいくらでもできる。でも本気でサッカーできるのは今しかない。そう思ってやってきた。だから本気でサッカーと向き合ってほしい。


そして偶然の勝利はあっても、偶然の敗北はないという事。打ったシュートがたまたま相手に当たって点が決まるとかはよくある。
だがその逆の場合、味方に当たって失点してしまった場合は、シュートを打つ相手にあと1歩寄せていれば、逆にシュートブロック出来ずに味方に当たらず外れていれば、その相手に前を向かせなければ、その相手に縦パスを通させないように指示をしていれば、など失点には沢山の原因がある。

このように分かりやすければいいが、分かりにくく、目に見えないものが原因の時もある。緊張をして力を出せなかったとか、相手チームにびびって名前負けしてしまったとか。なので、負けた時はよく考え、振り返って、反省し、その原因を見つけ、よりいいプレーに繋がるようにしていってほしいと思う。


城西大学と、関東リーグの大学にはそれほど大きな差はないと思う。関東リーグは、遠いようで近く、近いようで遠い、そんな存在だと思う。なので、惜しいで終わらず、これからも頑張って城西大学サッカー部をよりよいチームにしていってほしい。



そして、4年生のみんなへ。
これまで4年間色々な事があったね。沢山の仲間が辞めていったし、監督が変わったり、コロナで部活が出来なかったり、色々な環境の変化もあって、様々な誘惑や、選択肢、分かれ道があったと思う。色んな気持ちを抱えて、歯食いしばってやってきたと思う。

コロナがあっても大崩れしなかったのは俺らだったからだと思う。4年間一緒にみんなとサッカー出来て良かった。

4年にもなると、一緒に試合をしたりすると、なんか分からないけどすごい信頼できるし、少しの会話で意見が分かり合えたりとか出来て、一緒にサッカーするとめっちゃ楽しい。みんなと4年間サッカー出来た事誇りに思う。4年間ありがとう。


そしてこれまで、自分と関わってくださったスタッフの皆さん。ありがとうございました。チャンスを頂いたり、成長するきっかけを作ってくださったり、相談に乗って頂いたり、サッカーから離れそうな時に戻して頂いたり、道を示して頂いたり、撮ったビデオを貸して頂き分析したり、怪我や痛いなって思ったらすぐ診て頂いたり、いつも協力や、手助けをしていただきました。本当にお世話になりました。



そして両親には1番感謝しています。大学まで自由にサッカーをやらせてもらって、本当に感謝しています。高校の時から寮で遠いのによく試合を見に来てくれて、色んな物を持ってきてくれたり、実家に帰る時には車の中で色々相談しながら帰ったりしてました。

よくこーすれば良かったかなあとか言ってるけど自分で自由に選ばせてもらってるから後悔なくここまでやってこれたと思っています。本当にありがとうございます。
今までの感謝の気持ちや恩はこれからたくさん恩返ししていきます。これからもよろしくお願いします。



サッカーは、勝っていたら5分後に負けていたり、負けていたら5分後には勝っていたり、チャンスだなと思ったら、ピンチになったり、ピンチだなと思ったらチャンスが来たり、自分の喜怒哀楽を表現させてくれる場所であったり、少年のような心に戻してくれる時があったり、感動を与えてくれる時があったり、どうしようもない行き場のない悔しさを与えてくる時があったり、サッカーをしてると様々な事が起こる。

そしてそれは、自分達の思い通りに行く事があるかもしれないが、思い通りに行かない事が多い。相手あってのものなので、サッカーは予測できないアクシデントが起こったり、まぐれでたまたまうまくいったりする。

それがあるからサッカーには絶対はないし、面白く、深いんだと自分は思う。
そんな面白くて、大好きなサッカーを、自分はこれからも限界を感じるまで、とことん粘り強く続けていこうと思う。



長くなりましたが、サッカー最高。城西最高。みんな最高。ってことです。以上、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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