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本を貸すってこと

私は活字中毒者だ。特に哲学やら心理学、小難しそうな文化人類学が大好き。メンターからは"哲学変態女"と呼ばれている。しかしながら、鏡である彼からしたら彼もそれだと気づくまでは、さほど時間はかからなかった。

哲学の本は自己と世界の理解が進む。世の中の理を理解すると生きやすくなる。そんなことがわかったのもつい最近な気がする。

私は本を貸したり、いただいたり、借りたり、なんだか本は日常的な存在。傍にあるだけで安心する。そう言えば、勤務している会社も新聞社であるが、印刷された活字にいつも引き込まれそうなところを、ハッと我に帰りながら仕事をしている。活字に引き込まれるとその時間は止まってしまう。子供の頃は、教科書が愛読書。いつも持ち歩いているので怪訝に思った叔母が、なぜいつも持っているの?と聞いたら安心するから、とのことだった。

本を貸したり、借りたりすることは、知識の共有。私はそれがとても崇高なことのように思える。誰かが良いとおもう世界観に、私も手を伸ばすことができる喜び。生きていて、全てを共有することは不可能な頭の中の一部分をもしかしたら、共有できるかもしれないのだ。

そんな本を、貸してくれるあの人。彼が考える想いの枝葉に触れることができるのは、とても嬉しい。そしていつもおもう。もっと本を読もうと。


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