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奈良時代、「鬼」として滅ぼされた縄文王国・長野県の鬼無里(きなさ)

・奈良時代、次々と姿を消していった日本各地の縄文王国

奈良時代、日本各地にあった古代王国は次々と姿を消していきます。
そのきっかけは、西暦645年に行われた「大化の改新」。
「大化の改新」とは、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足らよって行われた、大きな政治改革です。
まず中大兄皇子と藤原鎌足は、絶大な権力を持っていた蘇我家を倒し、その後、大王家を中心とする国家づくりに着手します。
彼らが目指したのは、唐(中国)のような強力な軍事力を持つ中央集権国家。そのためには、各地の縄文王国を滅ぼし、日本をヤマト王権のもとに一つにすることが必須でした。
詳しくは前回のブログに書いていますので、お時間のある方は読んで見てくださいね。

・「鬼」として滅ぼされた長野県・鬼無里の縄文王国

中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が始めた、ヤマト王権が統治する中央王権制度づくりは、中大兄皇子没後、次の世代に受け継がれます。
天智天皇没後、次代の王になったのは、弟の天武天皇。
天武天皇もまた、日本各地にあった古代系王国を滅ぼしていきます。
その天武天皇が滅ぼした国こそ、長野県の鬼無里(きなさ)王国でした。

鬼無里はもとは、「水無瀬(みなせ)」と呼ばれ、「水無瀬」には「水の乏しい川」や「水の枯れた川」という意味があります。鬼無里は山に囲まれた盆地になっていますが、太古の昔は湖であったという伝説が残っています。そこには「鬼」と呼ばれた縄文人が住み、鬼無里のすぐ近くには、修験道で有名な戸隠があります。

「鬼」の語源は、「穏(おん)」から来ています。
古代、「穏(おん)」と呼ばれた山の民。森に住む「穏(おん)」と呼ばれた、山の民は、薬草の知識を持ち、木の実や山菜、木材などを、山の麓に暮らす人たちとともに、分かち合っていた縄文人でした。
縄文人は、熊やイノシシなど狩る勇猛さを持っていましたが、人との関わりでは、争いを好まず穏やかに暮らしていました。
詳しくは下記に書いています。お時間のある方は読んで見てくださいね。

・天武天皇は朝鮮の血を引く皇子?鬼無里を滅ぼした理由は、遷都のため。

天武天皇がなぜ、長野県の鬼無里王国を滅ぼしたのか?その理由は諸説あります。一つ目は、長野県の鬼無里に、遷都するため。
なぜ天武天皇が、奈良県の飛鳥から、わざわざ鬼無里に都を移そうとしたのか? はっきりとした理由はわかっていません。ただ、鬼無里は地盤が固く、地震に強い土地。天武天皇は、地理的な安全上の理由で、遷都を思い立った可能性があります。

二つ目は、天武天皇が修験道に精通していたから。
正史では、天武天皇は、天智天皇(中大兄皇子)の弟となっていますが、その出自は謎に満ちています。有力な説では、天武天皇は「韓人皇子(からひとのみこ)」と同一人物で、中大兄皇子とは異母兄弟にあたり、実際は、兄にあたる中大兄皇子より天武天皇のほうが年上だったとか?! 

「韓人皇子(からひとのみこ)」という名前の通り、天武天皇は朝鮮系の血を引く王子とも言われています。
正史では、天武天皇の幼名は、大海人皇子(おおあまのおうじ)。
名前の通り、海人族(あまぞく)出身です。海神族(わたつみぞく)とも言います。
海人族とは、海と関わりの深い民族のこと。
日本国内の瀬戸内海や紀州沿岸、九州の海側に住む人のことを呼ぶこともありますが、朝鮮半島や中国からやってきた渡来系民族を総称して、海人族とも呼びます。

大海人皇子の名前は、「大いなる海の皇子」という意味から来ています。
戦略にたけ、いくさ上手だった大海人皇子。
それにも関わらず、大化の改新で蘇我入鹿を倒した際、兄にあたる天智天皇は、弟の大海人皇子を味方に引き入れていません。
それは大海人皇子が異母兄弟であり、異国の血をひく皇子ゆえに、信頼が難しかったことが考えられます。

その天武天皇ですが、天文学や、奇門遁甲(きもんとんこう)と呼ばれる中国の占星術を取得し、修験道にも精通していました。
そこから察するに、天武天皇は武道に優れ、頭の良い方だった様子がうかがえます。鬼無里のすぐ近くに修験道の聖地・戸隠があるので、もしかしたら天武天皇は思うところあって、鬼無里を手に入れようとしたのかも?


・「縄文人=鬼」。鬼がいなくなったので、水無瀬は鬼無里と名前を変えた

鬼無里に遷都しようとした天武天皇ですが、その遷都計画は、古くから住む先住民の猛反対を受けます。その先住民こそが、縄文人!
鬼無里王国の縄文人たちは、一夜にして城を築きます。それに怒った天武天皇は、阿部比羅夫(あべのひらふ)を鬼退治のために派遣します。
天武天皇の鬼退治が縄文王国・鬼無里の滅亡にあたるわけです・・。

そして鬼が退治され、鬼のいない里になったことから「鬼無里」という地名になりました。
しかし不思議なことに、飛鳥から、鬼無里への遷都は行われませんでした。
なぜ鬼無里への遷都がなくなったのかはわかっていません。

この後、日本各地の古代王国を滅ぼし、ヤマト王権主体の巨大な国家をつくるための、律令制度の浸透は、さらに次代に受け継がれます。調べてわかった範囲ですが、天武天皇のひ孫にあたる、孝謙天皇により、山梨県の身延(みのべ)にあった身延王国は姿を消していきます。ちなみに孝謙天皇は女帝です。
この見延王国があった場所は、南アルプスのふもとで山深い場所。
しかし肝心の場所となる王国の中心地域が、現在、ダムの底に沈んでしまいました。



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本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン