楽して真実にたどり着けると勘違いしたバカの話

バカは直観的に考える

 世の中にはバカが多いとよく言われる。たしかに、世の中バカばかりだと思う。でも、そもそもバカってどういう存在なのだろうかとも思う。
 バカとは何か。作家の橘玲によれば、速い思考に偏ってる人間がバカなのだという(『バカが多いのには理由がある』)。速い思考というのは、認知科学で使われる言葉だ。
 人間には二つの思考回路が存在する。一つが速い思考。もう一つが遅い思考だ。
 では、速い思考、遅い思考とは何だろうか。簡潔に言えば、速い思考は直観、遅い思考は熟考だ。人間はこの二つの思考を使って世の中の様々な物事の判断をしている。例えば、次の問題を例に考えてみよう。

【問題】
198×247=?

 直観的に考える(速い思考で考える)のであれば、198はだいたい200で、247はだいたい250なのだから200×250は50000となり、198×247の答えは50000だろうと考える。
 しかし、この計算の答えは48906である。198×247の答えを正確に導出したいのであれば、直観(速い思考)は役に立たない。正確な答えを求めるのであれば、時間をかけて丁寧な計算をしなければいけない(たとえば、紙に書いて計算するなど)。つまり、熟考(遅い思考で考えることを)しなければならない。
 だが、バカは熟考しない。先ほど例に出したように複雑な問題を直観的に考える。そして、間違える。あるいは、「こんな問題私の人生に関係ないので解く必要がない」と考え、問題を解こうとすらしない。複雑な問題を避けようとする。つまり、バカは遅い思考ができないのだ。速い思考しかバカはできない。
 橘によれば、(先ほどの三桁の計算問題のような)複雑な問題を人間が解こうとするとき、心拍数が上昇するという。つまり、認知コストを多く払わなければいけない問題(遅い思考を使わなければ解けない問題)を解こうとするとき認知的な負荷が生じている。バカな人たちはその認知的な負荷に耐えられない。だから、楽して直観(速い思考)で問題を解こうとするのだという。厄介なのは直観的判断は間違えやすいということだ。
 真実(正解)を知るには認知コストを多く払わなければならない(努力をして負荷のかかる遅い思考をしなければならない)。つまり、楽して直観的に考えてはならない。
 だが、橘によれば、世の中の人のほとんどは直観的に考える癖がついているという。その原因は、進化論的な原因があるのだが、その説明をすると長くなるので今回は割愛する(興味があれば『バカが多いのには理由がある』を参照されたい)。
 人間は基本的に楽したがりだ。努力は面倒くさい。だから、複雑な問題を楽して直観的に解こうとするバカが世の中には多いのだ。


本を読まないバカ、Twitterで真実のバカ

 Twitter上で140文字程度の短文をざっと読んだ程度で世界の物事を理解した気になるバカを目にしたことがある。匿名アカウントの何の参考文献も示されていない140文字程度の投稿をである。
 参考文献(という根拠)すら示されていない投稿を読んで、それを信じるのは流石にバカだろう。
 そのバカは140文字程度のツイートを読んで物事(の真理、あるいは真実)を知った気になっていたのだが、物事の真実を知るにはそれなりの認知コストを払わなければならない。
 参考文献すら読んでいない上に、匿名アカウントの参考文献(という客観性のある根拠)が示されていないつぶやきを見た程度で物事を知った気になった人間ははっきり言ってバカだ。
 参考文献という本を読むにはそれなりの認知コストを払わなければならない。最近、本を読むことが辛いという人が結構いるが、確かに、本を読むにはそれなりの認知コストがかかっている。
 一方、140文字程度のツイートを見るのはそんなに認知コストがかからない。実際、認知科学者のターリー・シャロットによれば、Twitterを見ているとき人間の脳は扁桃体(直観的に考えるところ)が活性化しているという(『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』)。つまり、Twitterを見るのに認知コストはそんなに必要ないわけだ。
 バカは本を読まない。何故なら、本を読むにはそれなりの認知コストがかかるのだから。一方、バカは認知コストのかからないTwitterの投稿はありがたがって読む。そして、バカは自分の読んでいるツイートだけを真実であるかのように妄信する。本を読まず、楽してTwitterを読んだ程度でバカは物事を理解した気になるのだ。
 インターネットは構造上、ユーザーの見たい情報だけを見せようとしてくる。つまり、インターネットで情報を得ている層は見たいものだけを見、見たくないものは見ていないことから得ている情報に偏りがある。そんなことも知らず、Twitter上で偏った情報(しかも参考文献すら示されていない独断ツイート)を読んだだけで物事を理解した気になってはいけないだろう。だからこそ、閉じたインターネットの世界から抜け出し、それなりの認知コストを払って本を読んで物事を考える必要があるのだ。


バカは自己評価が高い

 日本は本すら読めないバカが多いという指摘がある(『なぜ日本人は学ばなくなったのか』)。確かに、本すら読めないほど認知コストをさけないバカが日本には多い。それは日本人の読書量調査を見れば明らかだ(『平成 30 年度「国語に関する世論調査」の結果の概要』)。
 しかし、本すら読めない(あるいは、読まない)バカが多い割には、世の中には危機というものが感じられない。まるで、自分たち(あるいは自分)はバカではないと思い込んでいるかのように。
 バカはバカであるほど自分を賢いと思い込むという。それを認知科学ではダニング=クルーガー効果というのだが、おそらく、それが危機感がない原因だと思われる(『自分では気づかない、ココロの盲点』)。
 本すら読めないバカは、おそらくだが、自分がバカだと思っていないのだろう。特に本を読んで、物事を理解しようと努力しているわけでもないのに、なぜか自分を賢いと勘違いしているバカを結構見るが、おそらく、ダニング=クルーガー効果が原因だろう。
 バカほどナルシストだ。バカは自分が特別な存在であると勘違いして自惚れる。自分は賢い。自分は選ばれし存在だ、と。バカほど自惚れているというのは何とも始末の悪い話だ。

バカの科学リテラシー

 HSPという言葉がある。これは(気質として)繊細な人のことを指す言葉だという。HSPは、他にも「感性が豊かな人」「芸術肌」「天才」「他人の小さな変化に気づいて、他人に接することのできるやさしい人」などのポジティヴなニュアンスとして用いられることも多い言葉である。
 しかし、HSPには何の科学的な裏付け(根拠)もない(『【論説空間】HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか』)。つまり、HSPは似非科学というわけだが、割とこの似非科学に騙されているバカは多い。「私HSPだから」と言って、遠回しに「私HSP(という天才)だから」というようなことを言っている自惚れたバカもいるが、そういったバカは何の科学的リテラシーも持っていないバカでしかない。
 「感性が豊かだ」とか「直感が鋭い」というようなニュアンスのあるHSPという言葉にバカが魅かれるのは、おそらくバカの思考が直感(速い思考)型だからだろう。つまり、直観的判断しかできないバカだからこそ、その直観に何とか説得力を持たせるためにHSPという言葉が都合よく利用されている可能性があるというわけだ。
 こういった似非科学に騙されるバカ(自称HSP)が一定数存在することは、日本の科学リテラシー調査を見ても明らかだ(『「科学技術に関する意識調査』)。日本の科学リテラシーははっきり言って低すぎるがその問題について触れるのは別の機会にしよう。
 それはさておき、自惚れた(科学リテラシーもない)バカがHSPという似非科学に騙されているのは何と気持ちが悪いことか。仮にも繊細を意味するHSPを自称しているバカが自分のバカさ加減について気づけないほど鈍感なのは何とも皮肉だろう。


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