20240518 沖縄へ㉑
コザを散策
ちなみにコザについて詳しく知りたければ
馳星周の『弥勒世』や
直木賞を獲った真藤順丈の『宝島』
とかがオススメ
胡屋十字路から東へ三キロほど行くと
『コザ十字路』がある
ゲート通りやパークアベニュー(旧BCストリート)を中心とした現在『コザ』と呼ばれるメインエリアは、実は胡屋(ゴヤ)十字路近辺のエリアである
コザ十字路の方は『銀天街』と呼ばれる一角
だが現在はアーケードは撤去され
すっかり寂れてしまっている
この近辺は照屋という町で
かつては黒人街だった
最初期の八重島特飲街では白人も黒人も入り乱れて遊んでいたようだが、人種間の対立からか米軍の政治的配慮からか判然としないが、いつの頃からか『白人の遊ぶ街』と『黒人の遊ぶ街』は、エリア分けされていた
照屋黒人街
城前白人街
八重島白人街
黒人の公民権運動であるとか
マルコムX
ブラックパワー
ブラック・イズ・ビューティフル
そのような時代に『同じアメリカ人』とはいえ、基地で働いていた白人と黒人が仲良く週末に同じテーブルで呑んでいたわけはない
なるほど それはそうだ
照屋の町に入ってきた白人兵が黒人兵にリンチされるというのも日常茶飯事だったようだ
前述した『弥勒世』にも照屋での乱闘シーンが描かれているし、『宝島』で米兵に殺害される被害者の女性の名は『照屋サキ』という
コザ十字路の壁画に描かれている
赤玉ワインをがぶ飲みする黒豹
黒豹はブラックパンサーを意味している
当時の黒人兵は
安価な赤玉ポートワインを愛飲していた
廃墟のような古い建物や
看板の塗り替えられた建物
古いバーや飲食店や旅館の成れの果て
そんな風情の建物も散見される
散策していると
コザ十字のどこかの事務所から出てきた
地元民であろう50代位の女性は黒人だった
ひょいと近くの商店をのぞいて
『お疲れ様ー帰るわー』
と日本語で明るく声をかけていた
よそ見をしていたらきっと日本人が通りすぎたようにしか思わない自然な風景だった
ちなみにこちらは
翌日の日曜の朝に散策した白人街の画像
現在は閑静な住宅街が広がっている
歴史を知らなければ
当時の面影は何も感じない
一軒だけあった喫茶店
コーヒーハウス響さん
当時からずっと続けてお店をやられてる訳ではなく、元はAサインバーか何かだった建物を居抜きで使って営業されてるようだ
この日は閉まってましたが
営業はされてるようです
看板にワルツの文字
何らかの娯楽施設の名残りだろうと思う
八重島の集落には砲弾の中身を抜いてさかさに吊るした『鐘』が吊るされていた
街で呑んだ後に強姦目的で民家に押し入るために集落に入ってきた米兵を見付けると、村の人々はその鐘をガンガンと打ち鳴らして集落に危険を伝えた
『ヨシコサン』『ケイコサン』と聞いたことのある日本人の女性の名前をデタラメに呼びかけながら、米兵たちは招かれざる集落を徘徊したという
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