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35年分の思いを綴った、初めての手紙

『ザ・世界仰天ニュースSP』で放送された感動エピソード

先日放送された、『ザ・世界仰天ニュース2時間SP』で放送された、感動エピソードを紹介いたします。

35歳で、同じ年の皎子さんに一目惚れした保さん。二人は意気投合し、順調に交際を重ね、半年後には結婚されました。

しかし、保さんには、ずっと皎子さんに隠していたことがありました。

それは、「文字の読み書きができない」ということ。

山奥で、竈門炭治郎のように炭焼きをする貧しい家庭に育ちました。早くに母親もなくし、小学校に上がるも、貧しいことでいじめにあい、2年生で不登校となり、家の手伝いをして、読み書くをすることなく育ったそうです。

早くから仕事に就くこととなっても、文字の読み書きができないことで、仕事にも支障をきたし、長続きしなかった。しかし、帰るところもなかった保さんは、お寿司屋さんを訪れ、頭を下げて、なんとか働かせてもらうようになりました。そこで働く中で、文字を書かなくても良い術を身につけ、逃げ続けていたそうです。

結婚する時も、婚姻届は、皎子さんに描いてもらったそうですが、「文字の読み書きができない」ことを隠していることに、罪悪感や、バレたらどうしようという恐怖心を抱いていました。

そんなある日、「回覧板に名前書いといて」と、何気ないことを頼まれました。しかし、自分の名前も書くことができず、文字が書けないことを知られてしまい、保さんも、隠していたことを恐る恐る告白しました。

そこで奥様から帰ってっきた言葉は、

「そっか。全然気付かなかったよ。これからは一緒に頑張ろう。
 大変だったでしょ?」

皎子さんにとっても大切な存在になっていた保さんに対して、皎子さんは受け入れたのです。その後、読み書きが必要な時は皎子さんが書いて支えたそうです。

その告白は相当な恐怖だったことだと思います。人には誰にも、見せたくない、知られたくないことがあると思いますが、その部分を受け入れられることは、「無条件の承認」となり、先日結婚した岡村さんのコラムでも述べましたが、「愛の充足」となります。

保さんにとっては、呆れられ、馬鹿にされ、最悪は捨てられることを覚悟していたことでしょう。仕事では文字の読み書きから逃げることはできても、一緒に生活をする奥様から逃げるわけにはいきません。

向き合ったからこそ、「無条件の承認」を手にし、「愛の充足」に至ったのだと思います。

その後、子供もでき、成長して文字を覚えていく子どもに対して、劣等感を感じながらも、その分、仕事を頑張ることが、自分にできることだと、父親として頑張ったそうです。


64歳にして学校に通う

そんな保さんは、現役を引退すると、64歳にして夜間中学校に通い始めました。まさに58年ぶりに学校に通い、ひらがなから勉強を始めました。子供とは違い、文字を覚えることは簡単なことではなく、とても大変なものでした。覚えたこともすぐ忘れてしまったりしてしまうのです。しかし、どんなに困難でも、文字を覚えることに、喜びを感じていたそうです。

というのも、保さんには一つの目標があったのです。

それは、奥様へのラブレターを書くこと

文字の読み書きができない自分を受け入れてくれて、寄り添って支えてきてくれた。そんな皎子さんに、人生初めての手紙にして、贈ったラブレター。

70歳になった年のクリスマス。

「君へ」

と書かれた手紙を渡しました。綺麗な字ではなく、誤字も多く、奥様からは「こんなのラブレターじゃない」と言われてしまったそうですが、そこには、35年に渡って感謝と愛を込めた、精一杯の文字が書かれていました。保さんの思いは、皎子さんにしっかりと届いていたと思います。

「君のおかげで、今の僕がある」

保さんは、手紙を書くために、64歳にして学校に通いました。そして、初めてのラブレターが書けたのも、学校に通い始めて6年経った70歳の時でした。初めての手紙を書き上げるにも、何度も書いては消し、10日ほどもかかったそうです。

結婚して35年寄り添ってきた皎子さんですから、保さんのその思いや頑張りに気付かない訳はありません。皎子さんにとっても、大きな感動があったことでしょう。

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その後も、保さんは学校へ通い、奥様にもラブレターを4通書きました。しかし、届けることができたのは3通だけでした。4通目を書き終わる前に、皎子さんは心臓発作でお亡くなりになってしまったのです。

皎子さんが最後に読んだ手紙には、

「生まれ変わっても、また君と出会いたい」

と書いていたそうです。

4通目の手紙は渡せませんでしたが、奥様に手紙を書くために学校に通い、手紙を渡すことができた。きっと、保さんに後悔はないだろうし、人生をかけた思いを伝えられて良かったと思います。


言葉にはない、文字の持つ力

もし、文字が書けないままだったら、自動手記人形(ヴァイオレット・エヴァーガーデン)を紹介したいところです(笑)

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も、おそらく100年前くらいをイメージした世界観になっていますが、当時は、文字の読み書きができない方は多かったそうです。その為の「自動手記サービス」だったのですね。

文字には、言葉にはない力があると思います。

言葉にしては言えないことも、文字にすれば伝えることもできるし、恥ずかしくて言えないことでも、文字にすれば伝えることもできます。

私も手紙は嫌いではなく、節目には手紙を書くことがあります。言葉は、忘れられることもありますが、手紙は、捨てられさえしなければ(笑)、いつまでも残ります。言葉にして伝えられないことがあるのなら、手紙にして思いを届けるのも、いいかもしれませんね。


84歳で卒業

保さんはその後も学校へ通い、19年かけて卒業しました。普通に通えば3年で卒業する中学校ですが、保さんは、64歳で入学して、初めてのことに挑戦し、卒業したのも84歳。6倍もの時間をかけて卒業したことになります。「文字の読み書き」という、誰にでもできるような当たり前のことでも、できない人にとっては大きな挑戦です。

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奥様に初めて書いた手紙も、当時は話題となり、テレビ取材などもあったそうです。そして、卒業してからは、「勉強できることの楽しさ」を教える講師として、学校を回ったりしているそうです。

保さんを見ると、大人になってから始めることと、子供の時に始めることには大きな差があり、改めて、子供の吸収率の凄さを実感します。


勉強することの意味

「なぜ勉強するのか?」

きっと、誰しも一度は思ったことがあるのではないでしょうか?
親としても先生としても、それぞれの答えを伝えてきたでしょうし、それなりの答えを聞いてきたのではないでしょうか?

しかし、64歳から勉強を始めた保さんだからこそ、「勉強すること」の意味や価値を、誰よりも分かっていると思います。表面的な、勉強の必要性を語るのではなく、自分自身が、何十年も苦しんできて、向き合って、挑戦したからこそ、掴んだものがあるのだと思います。

それが子供達にどれだけ伝わるかはわかりませんが、伝えなければ伝わらないので、私自身も、コラムにすることで、伝わるきっかけになればと思います。


「せいをおかげに」した人生

64歳から新たな挑戦をし、70歳で初めて「手紙を書く」ということをして、奥様に贈った初めてのプレゼント。結果として、それが「講師」として誰かの役に立つことにもなっているわけです。
しかも保さん、84歳にしてパソコンも始めて、奥様とのことや自身のことを文章にすることで、既に数々の賞を受賞しているそうです。

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できることは、ついつい当たり前のように感じてしまうかもしれませんが、「できる喜び」を持っていれば、手紙を書くことも、パソコンで作文を作ることも、当たり前のことではなく、面白く楽しい特別なものなんですよね。
それは、「できないこと」をしっかりと味わっているからだと思います。

保さんはまだご健在ですが、保さんが生きてきた人生は、まさに「道楽」そのものだと思います。

貧しい家庭の事情や学校でのいじめなど、人生の前半は「せい」にしたくなるようなものだったと思います。「文字の読み書きができない」ということから逃げ続け、皎子さんと出会ってからも、隠していましたが、ついに逃げきれなくなった。そして、覚悟を決めたわけですが、奥様はそれを受け入れた。保さんは、文字の読み書きはできないけど、自分にできることをやろうと、一生懸命仕事をしました。

しかし、「文字の読み書き」ができないことに64歳まで逃げてきましたが、それ以上に、奥様への感謝と愛を手紙にしたいと思うことで、逃げ続けてきたことと向き合ったわけです。

その結果、メディアで取り上げられたり、賞をとったりして、夫婦で旅行にも行ったりしたそうですが、64歳にして向き合ったことで、「せいをおかげに」したということです。


何歳からでも始められる

「人生は、やり直すことができる」

と言います。

私の知り合いにも、60歳で起業し、今では年商3000万を超えている方がいます。それは、血kして簡単なことではなく、今までの経験を生かすことはもちろんですが、新たに勉強したことも沢山あったと思います。しかも、出版も決まっており、人生いつからでも始められるということを証明していると思います。

私自身、人生を振り返ってみたら、結構、何度もゼロからリスタート(リゼロ)してるなぁと気付きました。長くなるのでここでは述べませんが、年を重ねるほど、「リゼロ」するのは難しくなると思います。今後も、「リゼロ」するような状況に追い込まれることがあるかもしれません。しかし、「リゼロ」することで、人生は何度もやり直すことができるし、その度に、青春が始まるとも言えます。

「道楽家」である条件としては、何度も「リゼロ」できるということにあるのかもしれません。


64歳にして、文字を書くことを覚えた保さん。その原動力になったのは、奥様の存在と、奥様への愛だったと思います。何もなくて、「リゼロ」することはほぼ不可能です。ほとんどの場合、「屈辱」や「挫折」がきっかけになると思いますが、「愛」を原動力にした「リゼロ」は、かくも感動的なものなんだなぁと、このご夫婦から教わりました。

人生を諦めるくらいなら、思い切って「リゼロ」してみたら、思いも寄らない「おかげ」が待っているかもしれませんよ!

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