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病室で念仏を唱えないでください 第5話

正義の鉄槌では誰も救えない

先週放送された第5話は、再婚した義理の父親から虐待を受け、子宮外妊娠をしていた頃で、小学生の少女がなくなってしまった。あまりにも無責任で身勝手なその義父の言い分に殴ってしまった松本先生。

警察の眼の前での行動に、事情はどうあれ謹慎処分に。ただでさえ人手不足の救命に救世主が現れる。心臓外科医の児島先生こと、松本穂香さんが救命に異動を志願し、整形のホリケン先生もヘルプに来たことで、なんとか回っていた。

松本先生は、僧侶として、お寺で反省行をしていた。クソ親とはいえ、人を助けるはずの手で人を殴ってしまった。しかし、反省はしているけど後悔はしていない、と師匠に告げる。師匠は問う。

「その正義の鉄槌で、誰か救われたか?」

クソ親だったから殴ったのは口実で、本当は、子供を助けられなかったことの八つ当たりをしていたと、気付く松本先生だった。

松本先生は、正義の気持ちで殴ったかもしれませんが、「正義の鉄槌」を下しても、誰かが救われるということはないのかもしれません。「正義」というのは、一見素晴らしいものですが、誰かに押し付けたり、正義を執行したりすると、相手にとっては、それが「正義」になるとは限りません。

「正義」とは、己が掲げるものであり、それが他の人にとっても「正義」になるとは限りません。だから、仮に「正義」であっても、「正義」だと思って為したことというのは、誰かにとっては正義ではないかもしれない、ということを認識しておきたいと思います。


思いは誰にも届かないかもしれないけど、誰かに届く

第1話から登場していた、末期の肺ガン患者の元に、謹慎が開けた松本先生が向かうと、ベッドは空いていた。前日に容体が急変しなくなってしまった。しかし、担当の看護師から、松本先生が謹慎した理由を聞いて引き下がらなかったので、こっそり説明したら、「あいつらしいや」と一言笑った、と聞いた。

松本先生は、そのお節介で、肺がん患者の体は救えなくても、間違いなく心は救っていた。他の誰にも届かない思いであっても、その肺ガン患者には間違いなく伝わっていたのでしょう。

人は、誰かの為に生きています。それは、意図しても意図せずしても、誰かが為したことは、誰かの為になっていたり、誰かに影響を与えています。
だから、自分が誰かに伝えたいことがあっても、必ずしも伝わるとは限らず、伝えたいと思っていなくても、何かが伝わっているものです。

物事は、こちらが伝えようとしていても、伝わらないことがあります。逆に、その気はなくても、相手に受け取られたりしてしまうことがあります。
それはとても不思議なものですが、きっと、伝えたいことが伝わらない買ったり、伝えるつもりがなくても伝わったということが、必然でありなるべくしてなったんだろうと思います。

また、人に理解してもらいないことが、誰にもあると思います。誰からも反対されたり、批判されたりすることも少なくありません。でも、伝わる人には伝わるものです。それは、良い悪いというものさしではなく、必要か不要か、合うか合わないか、ということだと思います。
なので、誰にも理解されないものがある人ほど、それを理解されることは、本当の自分と繋がれる人なのかもしれません。安易に信じるべきではないでしょうけど、そういう人と繋がっていけたら良いなと思いますし、「道楽舎」としてもそういう人と繋がりたいと思っています。


「来ちゃった」

松本さん、あなたは私をキュン死させたいんですか?
最近は、制作の松本さんの生かし方をわかっきたが伝わってきて素晴らしいです。
前回は、「来ちゃった♡」という定番のセリフ。ムロさんが最初に使いましたが、最後は、救命に移動してきた松本さんが、復帰した松本先生に対し、「来ちゃった♡」と女神のような笑顔で言いました。

もうね、死んでも良いかなと思いましたよ。ほんと、流れ的に期待していたのですが、期待を超えてくるものですね。松本さん。
救命医になった松本さんで、今回のコラムを終わります(^^)

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現在、第6話が放送中ということで、ちょっと前回のコラムが遅くなりましたが、あまりあらすじには触れず、私が感じたものを中心にお届けしました(^^)

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