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【道楽舎】志村けんから教えられた「道楽」

道楽舎のコラム更新をお知らせします。


志村さんが亡くなってから早一週間。
未だに実感がないし、私を含め、志村けんロスになっている人も多いのではないでしょうか?

各局、追悼番組を放送し、志村さんの冠番組でもあった「志村どうぶつ園」でも追悼を放送され、大きな反響がありました。

物語を愛する道楽家として、志村さんの人生や「志村どうぶつ園」でやってきたことは、どういう意味を持つのか。道楽家でもある志村けんさんから、勝手に受け取ったものを、コラムにしており、道楽舎としての哀悼の意を表しております。

以前、個人的にも「金スマ!」で志村さんが登場した放送を観て、志村さんといかりやさんの関係性についてのコラムを配信していますが、

この世界に、当たり前のことは何一つありません「志村どうぶつ園」でも、過去の放送を観て、私を含めたくさんの方が感動し、涙を流し、志村さんの死を悲しんだのではないかと思います。そして、当たり前のような日常こそ、愛すべき特別な時間であることを、教えてくれたように感じました。


明日にも「非常事態宣言」がなされるようですが、嬉しいことも嫌なことも、「今」という時間は戻ってくることはなく、同じ「今」が訪れることはありません。私たちは、そんな「特別な今」を生きているということ忘れずに生きていきたい。

志村さんの人生から、そんなことを教えられたような気がします。


志村さんの死が特別なように思われているかもしれませんが、誰かは誰かにとっての特別で大切な人です。
◯人感染した、亡くなったと、数字を見るのではなく、その中の一人にフォーカスすれば、その方の人生という物語や人間ドラマがそこにはあり、何かを学んだり、教えられることがあると思います。

ここ連日、日本でも感染者数が増加していったり、芸能人でも感染のニュースが増えていますが、ただウイルスを恐れるのではなく、自分の人生にとって、何の意味があるのか。自分にとってどんな役割があるのか、ということと向き合っていくことが大事なのではないかと思います。

非常事態であり、外出自粛や、経済的にも大きなダメージがあることと思いますが、それを「タラレバ」と嘆くのではなく、「カラコソ」と、今だからできることを見つけていきたいですね。


「道楽」とは、「道中を楽しむ」ことであり、「イマココを生きる」ことでもあります。

テレビでは、今2mの感覚を空けるようにしていて、テレワークを実施しながら放送しています。お昼のニュースでもこのように言われていました。

「このウイルスは、人と人を引き離すような存在に思えて仕方ない」

確かにそうかもしれません。でも、道楽家の私にとっては、めったにない事態を経験でき、後から見たら「せいをおかげに」できる出来事であり、道楽に生きるきっかけになるような存在だと思っています。

非常事態、国は私たちを守ってはくれません。マスクは2枚支給されるかもしれませんが、仕事や生活に影響があるわけでもありません。

社会が混乱し、倒産していく企業が出ている中、自分を守れるのは、自分しかありません。

だったら、国や会社をアテにして嘆くのではなく、自分がやりたいことやできることをやるチャンスでもあります。

この先、日本や世界がどうなっていくのかはわかりませんが、「悲劇も長い目で見りゃ喜劇」と言えるように、生きて行きたいと思います。きっと、志村けんさんもそんな風に思ってるんじゃないかなぁ。


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