情句百物語

俳句修行日記「カッコいい俳句を詠みたいんじゃ!」に続きまして、「俳句のさかな」として「…

情句百物語

俳句修行日記「カッコいい俳句を詠みたいんじゃ!」に続きまして、「俳句のさかな」として「俳家の酒」「酒折の歌」を順次掲載いたします。情句の俳句観です。宜しくお付き合いくださいませ。 https://yeahscars.net/(六)

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  • 俳句のさかな

    俳句の「こころ」は、神々が歌った太古から受け継がれてきたものなのだろうか?日本酒を酌み交わしながら綴る、現代酒場の俳諧譚。「俳家の酒」8本「酒折の歌」8回、合わせて16回を予定しております。

  • カッコいい俳句を詠みたいんじゃ!

    ろくでなしと呼ばれた男の俳句修行日記全50本。ボクはなぜ俳句を詠むのか・・・このヘンテコな難問に迫る!

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俳家の酒 其の一「龍」

 店の隅っこに腰を下ろした客が、「龍」を注文した。この酒は、九頭竜川の伏流水を使用し、透明な味わいの良酒となる。醸造元である黒龍酒造は、昭和50年、大吟醸を流通させる初めての酒蔵となったものの、国民は、その味わいよりも当時の常識では考えられないべらぼうな価格設定に驚嘆。  しかしその酒、「龍」は生き残った。追従するものとともに日本酒の魅力を刷新し、高値の花と揶揄された時代を乗り越えたのだ。  「龍」は、永平寺も汲む水が昇華したもの。不酤酒戒で知られる名刹が飲酒を勧めるはずもな

    • 俳家の酒 其の三「餘波」

       この穢土に生きるということは、苦しみを味わうこと。苦しみは天罰などではなく、喜怒哀楽の種である。同じ景色を見てさえも、感情一つでその色は万化する。出来得るものなら、常に喜びの花を咲かせたいものだが。  芭蕉は苦行者である。社会の底辺に身を委ね、宇宙を言葉に置き換えてきた。それは、苦しみを「句」にすることで、神の姿なる「美」を、人のものなる「喜怒哀楽」で照らし出す試み。つまり、世の不明を言葉で補い、神を見つめようとすることなのだ。  もっとも、それでさえも宇宙は測れぬ。個人の

      • 俳家の酒 其の二「世捨酒」

         酒造の神とされるオオヤマツミの娘に、絶世の美女コノハナサクヤビメと、醜女イワナガヒメがいる。コノハナサクヤビメが皇孫ニニギから求婚された時、オオヤマツミは、コノハナサクヤビメとともにイワナガヒメをも差し出した。  しかし、ニニギはイワナガヒメを父神のもとへと送り返す。このことに立腹したオオヤマツミが、 「皇孫の命は、木の花のようなものとなるだろう」 と呪いをかけた。この件は、皇孫に不死が与えられなかった理由を説く。  イワナガヒメには、「石のように堅く動かぬ命」が約束され

        • 酒にまつわる俳話

          今後の投稿についての御案内 俳句修行日記「カッコいい俳句を詠みたいんじゃ!」は、50回目の投稿を以て終了いたしました。長らくお付き合いいただきありがとうございました。  次回からは趣向を変え、俳話を中心に運用していきたいと考えております。以下に、当面の投稿予定を掲載いたします。今後ともよろしくお願いいたします。 

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        俳家の酒 其の一「龍」

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        • 俳句のさかな
          3本
        • カッコいい俳句を詠みたいんじゃ!
          50本

        記事

          諷詠二箇条|俳句修行日記

          『老木に涙注げば花の咲く』という句を詠んだのだが、「俳句は物語を作る道具じゃない」と言われて口論になった。「それは言葉の中から自ずと滲み出てくるもんじゃ」と、師匠は言う。言っていることがよく分からないボクは、頭に血がのぼって「師匠の詠む句だって、ボクのと大差ないじゃん」と言ってしまった。  口をとざした師匠の顔は、とても寂しそうだった。翌日、表書のない封書がひとつ。裏返すと、師匠の筆跡で『徘徊ス情理ノ狭間ニ軋ム如』とあった。あわてて師匠の携帯番号をプッシュするも、「おかけに

          諷詠二箇条|俳句修行日記

          萬年の孤独の沼や亀の鳴く

          萬年の孤独の沼や亀の鳴く

          つぶやき|俳句修行日記

           俳句を教わり幾年月。その間、点印は勿論のこと、朱を入れられたことさえありゃしない。「こんなことで修業と言えるのでしょうか」と聞くと、「おまえは、かたちを整えることを俳句だと思っているのか?」と師匠。  俳句とは、暮らしの中で自然に生じる『つぶやき』なのだという。それは、心情が表出して結晶となったもの。決して他者に口出しできるものではないのだと。  ショックを受けて、「今までのボクは一体なにしてた…」とつぶやくと、「それこそが俳句よ」と、師匠がポンと背をたたく。  俳句の

          つぶやき|俳句修行日記

          舞落ちた花の栞や古い本

          舞落ちた花の栞や古い本

          師匠の苦しみ|俳句修行日記

          「苦しみの中から俳句は生まれる」と、師匠のたまう。苦しみの世界に、ボクは身を投じたということなのか?  すると師匠、「俳句とは本来の世界に目を開かせるもんじゃ」と。  師匠の描く世界の前提には、「苦しみ」がある。苦しみは、生きていく中で生じるものなのではない。ボクたちは、苦しみの中に生まれ落ちたのだ。そして、「それは変化をいざなうものじゃ」と、師匠は言うのだ。  つまり苦しみは、留まることを欲する者に「不快」を与え、踏み出す者に「喜怒哀楽」を展開させる… 「歌を知らない者

          師匠の苦しみ|俳句修行日記

          徒に咲く花ちぎりてや夢あわせ

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          師匠の喜怒哀楽|俳句修行日記

           師匠に「喜怒哀楽を表現しろ」と言われてから、ボクの俳句はこうだ!   梅の花見頃の雨は悲しくて   桃の園柵に阻まれ悲しくて   花のない樹下の深酒悲しくて  師匠、なんじゃこりゃと呟いて、「まあいいがな…」と。  しかし、俳句というものの基本は、感情を表す語を避けるものだという。寂しい、楽しい、嬉しい…そんな言葉はたくさんあるが、それを用いると、一般的に景色はぼやけてしまうものだと。 「色付けするには都合がいいが、ものごとのディテールは覆い潰されてしまう…」  なら

          師匠の喜怒哀楽|俳句修行日記

          雛の酒たんと注がれて酔ひにけり

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          味わうもの|俳句修行日記

           とある句会で選者に立候補。演壇に立ち、提出された俳句を取り上げながら、その良し悪しに切り込んでいく。場の静まりを職場に帰って自慢すると、「おまえは何を学んでいたのか」と、師匠は機嫌を損ねてしまった。  そういえば以前、「観察者になってはならない!」と言っていたことがあったっけかな…  自分基準を他者に強要することが『批評』の正体―――そんな思いにとらわれ、指導の道から降りたという師匠。「思いのままにできる立場を放棄したのですか?」と聞くと、「思いのままに生きる道を選んだの

          味わうもの|俳句修行日記

          薄墨のかたどりゆかしひとよ草

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          暗闇|俳句修行日記

          『行列のゆくさき暗し新社員』という句を提出したのだが、「これは俳句じゃない」と師匠のたまう。定型・季語・切れの三要素を「完璧に満たしている」と反論してみたのだが、「俳句というのはそんなもんじゃない」と。  心を忘れて形だけ整えた文章 ――― ボクの俳句のことをそう言って、「情報化の進展が後押しする二元的世界に、お前も与するのか」と師匠。  どういうことかと聞くと、「世界を自分と向こう側の二つに分かち、批判的視線を外に向けておるということじゃ」と。  このような世界は構成し

          暗闇|俳句修行日記

          ワンピース足りぬパズルや花の色

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