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「通俗歴史家」ってダメなんですか?

kasasu2004氏(@kasasu2004)
午後6:49 · 2020年5月28日·Twitter Web App
https://twitter.com/kasasu2004/status/1265943297870028800?s=20
これを見て「歴史家のロマンとか理解してくれなそう」「歴史学の存在を全否定する破壊力」という感想が出てくる人たちがいることに驚いたよ…。
事実として残っていることを明らかにするのが歴史学だし、その上で蓋然性の高い説を立てるのが歴史のロマンだと思っていたんですが、違ったのか。

このTweetは、芦田愛菜という女優さんの【本能寺の変】についての歴史考証について【かもしれないって言えるけど本当に何があったかは判(分)らない。無理に結論出さなくていい】という発言を受けたものと考える。(https://twitter.com/naoejou/status/1265037100090441730?s=20)
kasasu2004氏(@kasasu2004)のこのコメントだけを見れば、ある程度正しいと言えるが次に続いて行くTweetが頓珍漢になっているので、この最初に立てた意味は全く目的が一般とは異なっている。

【事実として残っていることを明らかにするのが歴史学】は間違っている訳ではないし、むしろ正しい。しかし、【歴史学】は、アカデミックの学者だけが行い得るものでもない。
確かに大学という教育営利団体から【給与】という形で【資金】を得られるので【一般人】よりも【研究】に没頭できるの遙かに有利な立場にいることは確かである。
歴史学は【史料収集】と【史料の分析】、【当時の出来事の分析】に別れていて、総合し【自説】を立てる。その【史料】と【史料の内容(蓋然性の高低)】により【蓋然性の高低】が決まり、当然【蓋然性の低い】【史料】を用いての又は重要視し【分析】から来る【説】を立てると当然ながら【蓋然性の低い】【説】となる。それでも【その様な自説】を立てることは【可能】である。【説】は【事実】とは異なるからである。
また、あまり言及されないことに一つに【史観】というものが在り、現在は【マルクス主観】【右翼主観】【人道主義的史観】【実証学的史観】【保守史観】【リヴェラル史観】などあり、複数が重複した史観で【史料】を【分析・評価】している。
この【史観】からの【分析】によっては、同じものが180度変わったりする。
この時、又注意すべきなのは、その【説】を誰が【主張】したかで、人間社会においては、社会的地位や組織の上位会などが影響して、【蓋然性の低い史料からの説】だとしても、【主流】となることがある。
それとそれを元に【メディア】【教育】で【正しい】と広めれば、【蓋然性の低い史料】から【分析】された【説】が【主流】かのように【流布】されると、【認知度】の【劣る】状態である一般人は、それを【主流】と認知することとなる。
これを【学説】の【政治的主流認知】というのだが、人間社会では、【事実】を認識する場合、科学的だけではなく、政治的な指向性が充分入るのである。
又、少し考えれば判ることだが、テレビジョンのプロデューサーが作成したドキュメント番組など、杜撰な史料収集と特定のプロデューサー個人の【史観】が影響した【結論】など、【蓋然性が高い】という認識になる筈である。しかし、テレビジョンで放映したことをもって、何故か【認知度】の【劣る】状態の一般人が受け取る印象は【蓋然性が高い】と認識されてしまう。
これを踏まえてこの人物のTweetを眺めてみると。

通俗歴史家さんたちは、学者は記録に残っている範囲でしか物事を考えない、過去の説を改めないからダメだ、といっていますが、あれはウソ。
記録の発見や再検討が進んで学説の方が更新されても、記録なんか信用できないといって、自分の想像だけで過去の説に固執しているのは通俗歴史家さんたちだし。
研究者→文献が信用できるか検討した上で、文献の記述を採用して論を立てる。新史料が出てきたら見直す。
自称研究者→先人は文献の記述を無批判に信用してきたといって、持論に反する文献は信用できないと決めつけ、持論に都合のいい文献を採用する。新史料が出てきても同じ。
近頃、1960〜1970年代の文献をひっくり返してばかりなんですが、どんどん傍証がでてきて評価が上がった文献が文人の妄想呼ばわりされる一方、現在ではデマ扱いの話が得々と持ち出されたり、議論の前提になっていることが多くていたたまれなくなる。
素直に研究の更新を受け入れる人間になりたいです。
マジ、他人さまの説を「当時の記録に書いてあることを検証もしないで信用している!」と批判する輩ほど、自分が、少し調べれば内容がデマだらけだと分かる当時の記録や、後世の人間がでっち上げた与太話を検証もしないで信用している法則。
それとも、デマだと検証済みで読者に持ち出してくるの?

1)【学者は記録に残っている範囲でしか物事を考えない、過去の説を改めないからダメだ、といっていますが、あれはウソ。】
これについて、秦郁彦氏は、ヴェノナ文書という新たに公開された文書についてなんと言っているかと言えば、ニセモノと言っておるし、ソ連のインテリジェンス工作と言うものの影響を考慮することによって、【マルクス史観】【侵略史観】【加害史観】【戦争責任史観】をもち、且つ【虐殺】という【非道行為という評価】を伴った【南京事件】を主張されるアカデミックの学者・研究者・民間研究者・メディア・共産主義者・知識人と称する累々の人々は、【新しい情報】から【自分の調べてきた史料】を【見直し】て自身の論攷を【更新】してきたかというと、全く無いと言える。
中西輝政氏が『ヴェノナ文書』を上梓されてから随分たつが、【南京事件(虐殺を使用)】の【専門学者】と称する笠原十九司先生は、最近【共著】としての【南京大虐殺否定論13のウソ】を【再版】されたが、出版社に【新情報からの《史料》を見直した結果の更新した論攷】を提示もせず、古い【論攷】をそのままを【再版】し【主張】を変えもしなかった。【南京事件論争史】についても、【触れることもない】という有様である。吉田裕先生や他のアカデミックの先生諸氏や研究者が自身の過去の【論攷】を【更新】し、新たに更新した【論攷】を出版・論文を発表したという話は今のところ聞いたことがない。
むしろ【歴史修正主義がーーーー!】と、一貫した【認知拒否】【受け入れ拒否】の【姿勢】を貫いて居られる。これは《素直に研究の更新を受け入れる人間になりたいです。》というこの人物の願い虚しく【更新】など見当たらない。
だから、こういった学者先生や研究者の言う【説】は【ダメだ】ということになる。

2)【他人さまの説を「当時の記録に書いてあることを検証もしないで信用している!」と批判する輩ほど、自分が、少し調べれば内容がデマだらけだと分かる当時の記録や、後世の人間がでっち上げた与太話を検証もしないで信用している法則。】
そんな法則は知らないが、過去の【南京事件】に関しての研究では、当時南京に在留していた【欧米人】の史料などの分析は、松村俊夫氏や冨澤繁信氏、偕行社、板倉由明氏らの【分析】があり、これに対する論理的・科学的な反駁はされていないので、決着は付いているし、最近では、池田悠という人物が松村俊夫氏の研究をさらに進めて論攷を発表している。【欧米人】の【主張】を【鵜呑み】にして【論攷】をしている【虐殺を用いる南京事件】の学者や研究者の【論攷】は、自己の主張を擁護したい余り【客観性】【論理性】に欠如してしまい、【妥当性・蓋然性が低い】【分析】であったと言う事が判る。
ただ、書籍の販売部数などを考えれば、秦郁彦氏は中央公論社新書、笠原十九司氏は岩波書店という超メジャーな出版社で販売部数なども多い。それに比べれば、松村俊夫氏、冨澤繁信氏らは展転社という出版社で、松村俊夫氏の出版部数など僅か3,000部である。こういった点では、一般での認知度は低くても仕方がないと考えるし、中国共産党(夏淑琴・李秀英)から、名誉毀損の賠償があり、出版差し止めまでされた。この認知度の低い出版物に対する中国共産党の警戒感を考えると素晴らしい【論攷】であることが判る筈である。(実際の内容も素晴らしい。)
当方なども、様々な【文献・論文】を読んだ上で、客観的に見て妥当性を判断しているが、秦郁彦氏・笠原十九司氏および【虐殺を用いる南京事件】を主張する学者・研究者の【論攷】の多くが、【第一史料】を【精査もせずに鵜呑みにしたり】、論攷の根拠になる比重を【第二次史料】という【証言・回想記】などを元に【第一次史料】では【提示】されていない部分を【精査もせずに鵜呑み】にして【蓋然性の低い根拠】で【分析】を行って自身等の【主張】の【根拠】にされていることが多い。
又、【論攷】として、【国際法】に言及されなかったり、【国際法】の意味を捻子曲げて、【条約】を【刑法】と置き換えるなどしておられる。
例えば、【第一次史料】である【日記】の記述の中に、【一般人】の【殺害】が記されていても、そもそも【兵士】は【戦闘に於は殺害は合法】である以上、【一般人】の行動に因っては【殺害】は【不当】ではない。日記の性質上、自分自身の為のものであり、他人に説明する為のものではないから、【老人・女性・子供を殺害した】とのみ書くことがあるし、それについての説明が省かれる。
然しながら、アカデミックの学者・研究者・民間研究者・メディア・知識人は、【非道・不当・虐殺】と言い立てる。
これは、【分析】や【理解】に【瑕疵】や【政治的配慮】が行われているので、【客観的】【科学的】【学問的】な【分析】とは謂い難いはずである。

3)【自称研究者→先人は文献の記述を無批判に信用してきたといって、持論に反する文献は信用できないと決めつけ、持論に都合のいい文献を採用する。新史料が出てきても同じ。】
前述した通り、史料を無批判で信用して使った結果として、【笠原十九司先生】は、【画像】が【南京】のものではない、しかも脅していると言うより警護、並んで歩いているように見える画像をつかって、【連行】している画像で、【南京事件】の証拠だとされたことがあるが、その後、秦郁彦氏に指摘されて、取り下げられたことがある。
前述した『南京大虐殺否定論13のウソ』にも詳述されているが、その際には【第二次史料】をつかって、別の場所での不当行為を撮したものだという【主張】をされている。【第二次史料】を使うだけでも、【蓋然性が高い】とは言えず、その他の【傍証】も存在していない。それでは【論理撃】【客観的】に考えても【妥当性】はないと誤理解されなかったようで、この人物が指摘するような【更新】とは呼べるものではない。そして何より【笠原十九司先生自ら】が《その時点で私が国民政府が同写真を抗日プロパガンダに悪用したものであることを見抜けなかったことを反省し、(同書 P.222/1行目より)》と書いて居られて、当時の【プロパガンダ】に騙されたと述べておられる。
当時、ネガティブキャンペーンとしての【戦時宣伝】の存在を【認知】して居られることになる。にもかかわらず、ヴェノナ文書以降に理解出来る【インテリジェンス情報】や【戦時宣伝】についてを【考察】して、【自身の論攷】に変更をされたという話は聞いたことがない。そのような書籍・論文などの出されたことを聞かない。自身の講演などで、【歴史修正主義ガー】とか【安倍ガー】とかは聞いたことはあるが。
これでは、このkasasu2004氏《後世の人間がでっち上げた与太話を検証もしないで信用している法則》とは、この人物(kasasu2004氏)のことにほかならないのではなかろうか。

4)なお、通俗歴史家となぜか馬鹿にしたような言葉をつかっているが、この人物も、別にアカデミックの学者であるとは言って居らず、しかも研究者とも名告っていない。そもそも歴史の研究や史料収集に限っては、民間人などが史料の発掘を行ったりすることがあり、割りと最近では幕末の会津の話を従来の【通説】を覆す【史料】の発掘などが、産経サイトなどで報道されていた。この人物に、馬鹿にされるいわれは全く無い。【研究者】は、【アカデミック】で【給料】を貰って、ぬくぬくとしている人物だけが【研究者】ではない。板倉由明氏もそうであるし、松尾一郎氏や小野賢二氏もそれに当たる。それに本多勝一氏などは、研究者でもなく、単なる中国共産党の御用記者である。そんな人物の情報を鵜呑みにしている【アカデミックの学者・研究者・民間研究者・メディア・知識人】に対してどういう認識だろうか。その思考能力に疑問を持たざるを得ない。

なお、この人物の元々は【芦田愛菜】の【織田・明智】の話で、南京事件とは関係が無いという方も居るが、以前に次のようなコメントをしていたので言及してみた。

2018年2月28日
歴史修正主義の手口南京事件編。納得したくない人はどんな証拠と事例を見せられても納得しないがな。 #偽史 #歴史修正主義  誰にでも納得がいくような証拠と事例を挙げて南京事件を立証せよ - Togetter https://togetter.com/li/1202699 @togetter_jp

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これは、住友陽文氏(@akisumitomo)の2018年2月24日の次のTweetに端を発して、
引用《別に学会だけじゃなく、文科省が検定する教科書もそうだからね。日中戦争下の「南京事件」については、最低でも、「中国の軍民に多数の死傷者が出た」ことが「日本軍によって」なのだというぐらいの記述はどの教科書に書かれている。こういうのも「左傾化」のせいなのかな。》

それに対して、ドラちゃん氏(@truth_sns_)(凍結されてますな)の次のReTweetに対する、野原
@akisumitomo 誰にでも納得がいくような証拠と事例を挙げて南京事件や慰安婦強制連行を事実だと主張すれば良いのに、毎回毎回、疑義の残るような主張をするから論争が絶えないんだよな。誰の責任とは言わないけど、無能な自称歴史学者のせいだろうね。
twitter.com/akisumitomo/st…
野原燐氏(@noharra)の反論で、
@fksm_ksmk 「誰にでも納得がいくような証拠と事例を挙げて南京事件や慰安婦への「強制」を事実だと主張すれば良い」>あなたが納得してないだけだろう?
ドラちゃん🐾⚙🌾🌹 ☭ ☭ @truth_sns_
@noharra 必ず納得する証拠と事例を挙げればいいんじゃね?納得してもらえないのは納得させられない方の責任。
twitter.com/noharra/status…
野原燐 @noharra
@fksm_ksmk 納得してもらえないのは納得させられない方の責任。>歴史修正主義者必勝のレトリック。
納得したくないとあらかじめ思っている人を納得させる努力を、「常識」の側が払う義務はない。

このドラちゃん氏と野原燐氏の主張をどちらが【妥当】かと考えれば、前者であるし、人間社会においては、社会的地位や組織の上位会などが影響して、【蓋然性の低い史料からの説】だとしても、【主流】となることがあることを踏まえれば、【歴史学者】は【納得出来る人だけ】を【相手】にしていたらいいというものではない。

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