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文章を書くようになってから「辛いなら別れなよ」なんて言えなくなった

辛いからこそ別れられないものがあることをぼくは文章を書くことで知った。
あんなに書きたいものがたくさんあったのに、今では必死にひねり出す日々だ。

一番の原因は時間がないことだから、書く内容も構成も陳腐なものになってしまって自分で満足できず、また自己嫌悪。

けれども「時間がないなんていいわけだから」と心のなかで鬼コーチが自分に言い聞かせていて、もう隙間の空いている時間で必死に文章をしたためる。

この作業が本当に辛い。

もともと大学時代は暇があったから考える時間もたくさんあった。だから書く内容に困らなかった。
しかも毎日、本、映画、友達、かわるがわる感情が入れ替わっていてたくさん感じることもできた。

それに比べて今はどうだ。

朝起きて菓子パンをむさぼり、急いでスーツに体を通す。革靴はとても履きづらい。

6時50分に家を出て、7時2分の電車に乗る。
いつもの車両、いつもの位置。満員電車でもそれなりにゆとりを持てるように奥に入って決まったポジションを取る。
目の前には顔面を長い髪で隠して寝ている小柄の女性。隣には新聞を読むサラリーマン。新聞をめくる時にひじが少し当たるんだよなあ。

2度の乗り換えを抜けて、ようやく会社。エレベーターでまた満員。特に夏は汗と湿気で匂いがひどい。働き方改革はどこへいった。

9時出社、18時帰社でまた朝と同じ満員電車。家につく頃にはもうくたくた。

この生活を月に20日。何も変わらない日々の中で何を感じればいいのだろう。
そして何をかけばいいのだろう。不安とあせりで辛さが増す。

じゃあ辛いなら書くことなんてやめればいいじゃん。

そういうかもしれないけれど、そうじゃないんだよ。書きたいんだよ。諦めきれないんだよ、書くことを。

嫌いになんてなれないんだよ。どんなに辛いからってやりたいと思ってしまうんだから。

この気持ちはわかんないだろう。

まるで恋愛みたいだな。

絶対にしあわせにしてくれないのに好きになってしまったなんてことを聞いたことがあるけれど、こういう気持ちなんだと思う。

アタマではわかっていても、嫌いになれないんだよな。

昔、辛いなら別れればいいじゃんなんて言ってごめんなさい。
やっと気持ちが分かりました。

感情をフルオープンにした今日の日記。


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