観戦者よ

観戦者とは、大抵残虐で、残酷な生きものである。
赤勝てだの、
白勝てだの、
A選手は今シーズン50本打つに違いないだの、
B選手の調子が優れないからスタメンから外せだの、
パスをつなげようとしないから負けるだの、
当事者の立場なんてさておいて、
彼らの行動や思惑を口にすることで
仲間との交流をする生きものだからである。

特筆すべきは、そうした発言の数々に関して、一切責任を負う必要がないという点だ。
酒とつまみを手に観戦し、思いのたけを吐くだけ吐いて、
寝て起きれば、大抵のことは忘れてしまう。
当然、選手に対する思いやりなどあろうがなかろうがどうだっていい。
それで構わないのが、観戦者という生きものなのだ。
無責任ゆえに、残酷な生きものなのだ。

観戦は、わざわざスタジアムやコロシアムに行かずとも、
画面越しで楽しめる時代になって久しい。今のご時世、むしろ自宅にいながら観戦するほうが主流であるとさえいえるのかもしれない。

観戦者というものを考えるにあたり、とある出来事に関して、
どうしても思いをめぐらしてしまう。

100年以上昔の出来事だ。
まずは、そのことについて、おもむくままに打鍵していきたいと思う。

100年前の観戦者

100年以上前に、大きな戦争があった。
第一次世界大戦だ。

今でこそ頭に「第一次」とあるが、「第二次」が勃発するまでは、
単に「世界戦争(Word War)」とか「大戦(Great War)」などと呼ばれていた。

この戦いは世界を一変させた出来事であり、
戦争と悲壮と凄惨が同じ文脈で語ることを用意にさせた点において、
実に意義深い。

さて、100年前の大戦争は当初、どう捉えられていたのか。
ドイツやフランスなど、欧州に暮らす多くの人々にとって、
普仏戦争(1870年7月~18715月)以来、
(多少の軍事衝突を除けば)約40年ぶりの戦争であった。

つまり彼らが「先の戦争」と聞いて思い浮かべるのは、
40年前に起きた、10ヶ月間の戦争だったのだ。
僕らにとって、「先の戦争」と聞いて思い浮かべるのが、
約80年前の太平洋戦争であるのと、ほとんど同じ感覚なのだろう。

彼らにとっての「先の戦争」があったころ、
つまり40年前というのは、今の僕らでたとえるならば、
バブル経済のイケイケな日々を語るということだ。
10代20代の僕らからすれば、寝る前に聞くお伽噺のようなものだ。
そして、その時代を経験した人たちはさておき、
経験したことのない世代からすれば、少なからず憧れのようなものは抱く。
晴れやかできらびやかな時代が、あったのだ、と。
ともなれば、普仏戦争の栄光、あるいは屈辱を耳にした若者が、
来たる戦争に心躍らすのは想像に難くない。

戦場に赴く彼らは、そこを死地ではなく、
文字通り「伝説の地」「おとぎ話の舞台」へ向かうような心地だったのかもしれない。
それに、現代のように交通網が発達していなかった当時、
戦場へ赴くことそれ自体が「観光」のような感覚だったに違いない。

加えて、この戦争は当時、早期に終結すると考える人が多かったようだ。
無論、当初から長期化を考える人もいたとは思うが、
ドイツの作戦計画、シュリーフェンプランというものもあるし、
また、「クリスマスには帰ってくる」という聞きなじみのある言葉からも
ある程度想像できる。

奇しくも、普仏戦争と世界大戦の勃発月は、同じ7月である。
普仏戦争の終戦は翌年5月10日であり、12月というのは、その中間の月だ。
だから多くの人は、先の戦争の半分程度の期間を想定していたのだろう。

この楽観視は、決して笑えない。
これは人によって大きく異なるだろうが、
新型コロナウイルスの感染拡大について、僕は2020年1月の時点で、
長くても2年耐えれば、インフルエンザのように、うまく付き合っていけるだろうと考えていた。
しかしこの騒動は今しばらく続くようだ。
もしかすると「うまく付き合っていける」だなんて
考えないほうがいいのかもしれない。

「クリスマスには終わる」と思われた戦争は、結局4年半も続くのだった。
しかし「クリスマスには終わる」と言ったその人は、
決して咎められることはなかった。
当然だ。
その言葉に根拠も確証もなく、無責任で漠然としたものでしかなかったからだ。

語弊を恐れず言うならば、開戦当初の彼らは、「観戦者」であった。
当然開戦時も、立場的に言えば「選手」であるわけだが、
彼らの当初の心持ちに着眼して言えば、「観戦者」であったのではなかろうか。
観戦者とはつまり、無責任でずぶの素人のことだ。
戦場を知らぬ兵士、死が間近にあることを覚悟せぬ兵士など、素人同然だ。
無論、間もなく彼らは当事者となり、身も心も選手となったことは言うまでもないが。

僕らは観戦者だ

さて。
僕らは観戦者である。
戦争というものは、文字や、絵や、画面のなかの「おとぎ話」の話だ。
あるいは、伝承された話だ。

仮に今現在、アフリカのソマリアで銃撃戦が繰り広げられていたとしよう。
そんなことにかまう人は少数であるし、
当事者として立ち振る舞う人は本当にごくごくわずかな人だけだ。

ソマリアでなくても、よその国で繰り広げられている戦争に対して、
刻一刻と変わる情勢に対し、固唾を呑んで見守る奇特な人が、
このnoteを読んでいるとしよう。

その人は、観戦者だ。
無責任で、残虐で、残酷な生きものだ。

赤勝てだの、
白勝てだの、
あの国のリーダーは頭おかしいだの、
この国のリーダーは勇敢だの、
男が地雷を素手で運んでるのがすごいだの、
侵略者にひまわりの種を渡して「お前が死んだらヒマワリが咲く」なんてカッコよく吐き捨ててカッコいいだの、
窃盗者を捕らえて柱に縛りつける私刑が横行してるだの、
人々が瓶ケースいっぱいの火炎瓶をつくっているけどそれはなにかをしてなくちゃ落ち着かないからなのさだの、
戦争なんてあってはならないだの、
平和が一番だの、

そういうことを話のタネにして、
無責任に、残酷に、戦争コンテンツを消費していく。
僕らは観戦者だ。

そんなことを言うと、
「私は違う。観戦者などではない。誠心誠意向き合っている」
と考える方もいるだろう。
僕も、他人から同じことを言われれば、反発してしまう。
でも反発したあとでじっくり考えなおしてみると、
誠心誠意向き合うことだけが、この問題を打開する方法ではないのではないか、などと思い至るのであった。

無責任である責任を負う

つまるところ、
観戦者であることは、決して愚かなことではないのではないか。
むしろ観戦者であることを、否定してはならないのではないか。

観戦者から逃れる術は、選手に転向することだ。
選手というのはつまり当事者ということであり、
見られる側に立つということだ。

オリンピックやワールドカップの選手であれば、
ぜひとも目指せばいいだろうが、
この文脈で語るならば、兵士や士官や政治家になるということだ。
その決心は褒めたたえるべきであるが、
しかし観戦者全員が当事者になる事態というのは、
言い換えれば世界大戦である。

そして観戦者が当事者になる「おとぎ話」は、
とうの100年前に、人類は経験している。
歴史は繰り返されるものであり、
1度目は悲劇として語られるが、2度目となれば喜劇となる。
(哀しいことに「第二次」と冠するものがすでに刻まれているのだが)

故に、僕らは観戦者であること否定するのではなく、
その事実を、深く噛みしめることこそが重要なのではないか。
これを変な言い方にするのであれば、
無責任である責任を、僕らは負う必要がある。

観戦者であることは、とてもしあわせなことだ。
決して傷を負わない安全な場所で、
選手たちの一挙手一投足を見て、あれやこれやとくだをまけるのは、
僕らが歩んできた結果であり、成果だ。
無責任でいられる成果を、僕らはこの手に収めているということだ。

そしてその成果は、
明日には指の隙間からこぼれおちてしまうかもしれない。

日常のありがたみというのは、非常事態になってようやく気付く。
……ということに、僕らは2年前、身をもって知っている。
そして同時に、非常事態である今もまた、未来の僕らにとっては、
かけがえのない日常であることも、自明の理だ。

歴史は繰り返す。
1度目は悲劇として。
2度目は喜劇として。

僕らが観戦者となるのか、当事者となるのか。
このnoteを読んで、今一度自らと向き合うきっかけとなれば幸いである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?