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CX ─「顧客体験」への弔辞

CXが、こんがらがってる。

「顧客体験」や「Customer Experience」や「CX」がバズワード化しています。わたしはCXの支援を仕事にしてますので、本来であればよろこばしく感じるべきことなのですが、ちょっと困惑を感じてんですよ。

「CXという言葉が何を指しているのか?」が語る人によって違っている、ということがひとつ。さらには「CXの本質から相当ズレてませんか?」というものまでCXとして語られているということがひとつ。

「同じものを指しているのに言葉が違う」という事例はTwitterあたりでよくバズっていますが(大判焼き、今川焼き、回転焼き・・・)

同じ言葉を使っているのに、業界や文脈によって意味や定義が異なるというのは、混乱しかないですやん、ですよ。わたしみたいに業界の中の人ですら混乱するんですから、市井の人々混乱しないわけなくて、きっと早々にCXや顧客体験という言葉は敬遠されるようになるに違いない、と個人的には感じています。なんとなくですけど2021年後半あたりにぼろぼろになってる気がしますね、悲しいですけど。

そこでいっそ、「CX」という言葉の追悼式をやってしまおう、愛していたあなたへ弔辞を述べてしまおうというのが本記事の狙いです。やけくそかよ。

ブランドや企業名にまつわる体験っていう意味でしたね。

CX─「顧客体験」、あなたは企業やブランドにまつわる体験、という意味としてこの世に生まれてきました。WebやSNS、モバイル端末の普及によって人々がブランド価値を見出す中心が「情報」から「体験」にシフトしてゆく中で生まれた、新しいブランディングの考え方だとわたしは理解しています。

もちろん「ブランドからの情報」もCXのひとつです。雑誌のグルメ記事を見てワクワクしてお店に行き、食べてみたらとんでもない大ハズレだった、なんて体験、ひと昔まえなら誰もその情報を拡散できませんでした。いまならものの数時間もかからず、数万人単位が知ることになるかもしれません。逆に「お店でこんな体験をして感動した」「このブランドのこの対応は神だ!」なんてポジ情報も同様に高速で拡散されます。CX、あなたが注目を浴びるきっかけとなったのはSNSでありスマホであり、そして「中毒」と言われるほどそれらを利用している消費者があったからですね。

NPSと出会って、収益・利益を高める活動になった

そしてCX、あなたが生まれた時、マーケティングのパラダイムシフトが起こっていました。顧客満足度に変わる指標、Net Promoter Score(NPS)が見出されたのです。顧客にたった1問の質問をして、その回答を集計して算出される指標(NPS)は顧客のロイヤルティの高さを表す指標であり、そのトレンドを追えば、企業やブランドの近い将来の収益・利益の上がり下がりが容易に予測できるというものでした。それまで何十年もの間、マーケターがジレンマに陥っていた「消費者アンケート結果は企業やブランドの業績と相関しない」という定説をひっくり返す、マグマのような熱く激しい流れとあなたは出会ってしまったのです。

企業やブランドの売上・収益とNPSは高い相関性を持つ。そしてNPSを左右するのは、企業やブランドが顧客に提供する「顧客体験」にほかならない。これまでは「製品」や「広告」など、顧客接点の一部に一点投資することである程度業績を伸ばすこともできたが、新しい時代では顧客接点全体を俯瞰し全体を最適化させなくてはNPSは高まらない

Net Promoter Systemとも言われる顧客中心マーケティング/顧客中心経営のロジックの中で、あなたは一躍スポットライトを浴びるスーパースター、時代の寵児となってしまったのです。

CX、あなたはブランディングの文脈から生まれたにもかかわらず、NPSとの出会によって「顧客アンケートを起点に数値化し、なにをすべきかを知り、行動の結果を数値管理できるマーケティングの取り組み」としてみんなに認識されることとなりました。SaaSの進化によってほぼリアルタイムで分析できることも追い風でしたね。

顧客体験管理─CXM、CEMなど、あだ名はちょいちょい変わりましたが「数字管理可能」という特質は他のマーケティング活動と大きく一線を画す重要なアイデンティティとなり、デジタルマーケティング、デジタル経営の一翼を担う考え方になって行きました。米国生まれのあなたは、少なくとも米国ではいまもそういう存在でありつづけていますね。

わたしは、人々の心に伴う購買行動という、とらえどころのない "柔らかいもの" が数字に変換可能であること、そしてその数字を元にブランドの活動を企画・実行することで売上や利益が変わり、さらに人々の心が(お客様も従業員も含めて)変化してゆくというプロセスに大いに心惹かれ、あなたの虜になったのです。

日本で、あなたは変わってしまった

ところが、CX、あなたは日本にやって来た途端、自らのアイデンティティを大きく変えてしまいましたね。もともとブランディングの文脈で生まれたのだから仕方ないのかもしれません。あなたを日本に連れてきた太客の影響もあるのかもしれません。

わたしが残念に思うのは、日本でのあなたからはすっかり「数値管理できる活動」という色がなくなってしまっていることです。ときには「顧客接点ごとに顧客の声を聞く」ということすら手放していることもある。あなたらしくもない。なんです、あの醜態は?

それどころか、時に「ブランドや社長のこだわりを顧客に押し付ける体験」や「従業員が偶発的にやってみた工夫」まで「顧客体験」「CX」になっているのを見た時にはめまいがしました。

もちろん、企業やブランドが発信する体験はすべて広い意味での「顧客体験」であることは否定はしません。けれど、あなたのこの豹変ぶりには驚くばかりです。もうあなたはあなたでなくなってしまっているのですね? あなたは、もはやあなたでいる意味も意義もないのに、あなたの名前で呼ばれている。

もちろん、そんなふうになってしまったあなたは誰にも特別な価値を提供できません。ただただ、流行っているから、有名だからというだけであなたの名前が使われている。むしろ、あなたが変えなくてはならないことまであなたの名前で語られている。早晩、誰からも飽きられることでしょう。あなたは死に絶えることでしょう。こんな悲しいことはありません。

さようなら、CX─「顧客体験」 、日本でのあなた

今日、わたしは日本でのあなたにお弔いを申し伝えに来たのです。まだ息絶えているわけではないあなたにこんなことをするのはひどいことのように感じます。

けれど、わたしの人生を変えた存在でもあるCX、あなたがまるで別人のようになってしまっているのに、あなたの名前で呼ぶのは辛いし、違うことだと感じます。わたしたちがいまのあなたを、以前のままの名前で呼び続けることで生まれる混乱をなくしたい。

大好きだからこそ、さようなら、の言葉を贈ります。
やすらかにお眠りください。

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