マイドキュメント

インタビュー考:「えー」と「あー」の間に挟まっている何かについて

企画会社として馬力を持って、ローカルで広告業界に挑み始めるいまから10年前。いわゆる会社の“祖業”は物書きであった。今でも企画の仕事と同じくらい書く仕事は大切で思い入れも深い。収益の柱のひとつでもある。CM制作のように大勢の精鋭が、見たこともない武器で表現(そしてクライアント)という怪物に立ち向かうダイナミックさとは対極にある、レコーダーとペンだけの痛快レコペン野郎が、八百屋のおやじから政治家まであらゆる人間の言葉を斬り取り「また面白い言葉を斬ってしまった」とひとりごちてレコーダーの停止ボタンをそっと押し疾風の如く消えていくその軽快さにも惹かれる。いまでは映像エンジニアディレクターとして飛ぶ鳥を落とす勢いの弊社スタッフにも、インタビューの現場だけは一緒に行ってもらうことを心がけている。色んな人がいて、色んなことを言う。そんな色々な言葉を採取して、きれいに標本していく過程をしみじみ味わうのもいずれどこかの何かの映像に戻せるのではなかろうか、と。そんなインタビューの仕事を依頼されると、ズキーンというか、ドキーンというか、まぁなんというか、えーっと……そう、あー、そう、うん。ときめきを感じるわけであります▽……というように、インタビューを受けると質問に対してスカっと答えずに「えー」とか「あー」という意味のない言葉(フィラーワードと呼びます)とともにしばしの沈黙があったりする。映像メディアのインタビューであれば、この「えー」も「あー」も沈黙もガッツリ切り落とされてしまうし、紙メディアだってまっさきに削られる不要な「間」である▽しかし「えー」と「あー」の間に挟まっている“何か”を掻き出すことがインタビューの面白さでもある。「えー」と「あー」の行間に、本当のその人がいる。だから「えー」も「あー」も記事には残したい。文字にすることが難しい言葉や静寂をきちんと残すことで、その人の輪郭が立ち昇る▽人の話を聞くことが仕事になる。それがインタビュー。知らない人の話を聞くという楽しい行為でも、ただ聞くだけではラジオとわたしになってしまう。相手はラジオではない。聴いてばかりもいられない。インタビューをする人間だって、おしゃべりでなくてはいけないと思う。うんうんと頷くだけの水飲み鳥ではいけない。質問に対して「はい」「いいえ」と答えて終わってしまうような会話は退屈である。「プロレスは好きですか?」「いいえ」しーん…「きょうは冷えますね」「はい」しーん…「仕事は楽しいですか?」「はい」しーん…▽「インタビューあるある」かもしれない。会話が往復で終わってしまう。それはインタビューをする人間が自分のことを喋らないからである。「僕はプロレスが好きなんですけど、何か好きなスポーツはありますか?」「きょうは冷えるから、僕は腹巻きをしています。防寒のおすすめってあります?」「僕はそんなに仕事が好きではありません。どうしたら好きになれるんでしょうか」などなど。自分のことをまずしゃべろう▽もうひとつ。相手を過度におだててはいけない。「へーすごいですね!」「うわー僕もそうなりたい!」というおだては、インタビュイーの気持ちを多かれ少なかれ肥大させてしまう。気分が良くなり過ぎると、もっとすごいと言われたい、憧れて欲しいという想いが芽生えてしまう。身の丈にない発言や自分を大きく見せる嘘が交じり始めてしまう。純度の高いインタビューとインタビュイーの関係で時間を終わらせたければ、おだててはいけない▽インタビューを受けるという経験は、その人にとって特別な1時間だと思った方がいい。気分が高揚しているし、緊張している。何か良い事を言おうとしてしまう。美辞麗句は容易に創作出来てしまう。美しいっぽい答えよりも「えー」と「あー」の間に、その人の本当の顔が挟まっている気がする(了)

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