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すぐ忘れる

趣味の合気道の話だ。細々と稽古を続けてきて、来月開催の審査会に参加できることになった。私が所属する合気道の流派は白帯・茶帯・黒帯の3種類しか帯がない(合気道はだいたいそうなのかもしれない)。だからしばらく白帯が続く。帯色もどんどん変えたいし、何より袴を着たいという欲にまみれ始めている。さして上手に身体を使えるわけでもないのに欲だけは一人前になりつつある。昨夜の稽古は杖(じょう)と呼ばれる棒を使った術と、基本技の確認。とにかく繰り返しだ。やって忘れてやって忘れてやって忘れてだ。昨日なんて、最初の挙動で相手の腕を掴むことを忘れて棒立ちだった。「掴んでください」と言われた。大丈夫か。

稽古終わりで友人から電話があって、少しの時間話す。いつもと変わらない飄々とした物言いだったが、それとは裏腹に話の内容は友人に突然降り掛かった、曰く「ドラマのような」こと。友人の声はつとめて明るい。笑うよりほかないという状態なのかもしれない。
静かに話を聞いてはいたが、掛けるべき言葉が見当たらない。逡巡した挙げ句、口から出たのは「何でもやるからいつでも言ってね」だった。何ができるんだと思いながら。何でもやるってなんだと。座布団回しでもするのか。友人にとってわずかでも救いになる言葉になっていればいいのだけれど。
でも、その時私は心から思ったのも事実だ。何でもやってあげたいと。君には頼る人が大勢いる。誰が何をどれだけやれるかわからないけれど、頼って掴む突起だけはたくさんある。八つ当たりでも小間使いでも、私を含めた君の周りにいる変人たちは何でもやる。過ぎてしまえばすべて良かったと思えるために、私たちは何でもする。そう思った月曜日。


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