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子供との1on1日記:day10 見方を変えれば感じ方も変わる

おはようございます。ジョーです。

最近『発酵文化人類学』という本を読んで、俄然発酵に興味を持ち始めました。去年、今年と手前味噌作りを家族でやっているんですが、発酵の世界は奥深いですね。次は糠床かなぁなんて思っているんですが、家庭でできることが他にあれば教えてほしいです。

『発酵文化人類学』

さて、ついに子供との1on1も10回目を迎えました(途中すでに番外編を挟んでいますが)。今回のテーマはたびたび出てくる習い事。自分との共通点を見つけたことで、子供に対する見方が変わったことを書きたいと思います。

子供の習い事問題

子供が習い事をしている家庭ってそれなりに多いように感じるんですが、皆さんどうやって習い事を決めているんでしょう?

子供の興味、健康のため、あるいは教育やしつけのためなど様々な理由があると思います。うちは1人2つの習い事をしていたんですが、水泳はこの級まで進んだら終わりと決めていて(双方合意のもとです)、じゃあ次にやりたいことは?というのが最近よく挙がる話題です。まぁ、他のことをやるという選択肢もあれば、1つで良いという選択肢もある状態ですので、必ず決めないといけないというわけではありません。

子供の世界はまだ広くないので、選択肢が自然と狭くなります。そこで、こういうのもあるよというのを教えた上で子供の興味がどこにあるのか聞いてみました。

例えば、運動系ならテニス、バドミントン、バスケ、バレーボール、野球、サッカー、水泳、バレエ、新体操、体操、陸上、ドッジボール(?)、自転車、一輪車、ヨガなど。それ以外なら絵画教室、ロボット教室、習字、ピアノ、プログラミング、学研、公文、英語、楽器などが挙がりました。

結局決まりはしないのですが、それぞれの興味は出てきました。「じゃあそれは何が楽しいと思うんだろう?」という点は聞いてもなかなかイメージできません。やはりちょっとずつ体験しながらイメージを持っていくことも大事なんだと思います。

何かを選ぶときの子供の性格

以前も記事にかきましたが、うちは双子ですが、性格が結構違います。それは何かを選ぶときも同じです。

一方は悩むけど、決めたらそこから意見は変わりにくいタイプ。もう一方はすぐに飛びつくけど、結局色々気になって決めきれないタイプ。例えばランドセルを選ぶとき、買ってもらうおもちゃを決めるとき、そして、今回のような習い事を決めるときもです。

今日の主役は後者の方です。いつも通り、選択肢の中から「これもやりたい」「あれも面白そう」「あれができるようになりたい」とポンポン出てきます。いつも通り「優柔不断だな~」くらいに思っていたんですが、ふと思い出したことがあります。

自分の性格から考えるモノの見方の重要性

最近、自分の性格を考えていました。

自分の短所は一言でいうと「八方美人」。これは対人関係にも言えることですが、普段の生活でもあれもこれもやりたくなって、大事なことに集中できない。『エッセンシャル思考』が全くありません(汗)。まぁ最近は以前よりはマシになったと思ってはいますが改善の余地はまだありますね。

逆に長所は「好奇心」。色んなことに興味を持ってそれを知ろうとすること、行動することが価値観にあると感じます。先日『世界一やさしい やりたいことの見つけ方』のワークをやってみても、この「好奇心」は自分の大事な要素なんだということがわかりました。

『エッセンシャル思考』

『世界一やさしい やりたいことの見つけ方』

この長所と短所、よくよく考えてみると、同じ物事を逆から見ただけだということがわかります。冒頭お話したように「発酵」に興味を持ってすぐに手を出すもんだから、他にも興味を持っている自転車やらコーチングやら読書やら、時間を捻出することに困り始めるというありさま(反省してます)。

よく言われることかもしれませんが、人が持っている短所は見方によっては長所にもなるんですね

考えすぎて一歩が踏み出せない    → 慎重に考えて行動できる
人見知りで広い人付き合いができない → 大事な人と丁寧に付き合える
自分からなかなか話せない      → 聞き上手

これは一例かもしれませんが、物事は見方を変えるだけで捉え方、感じ方が変わります。

子供と自分の共通点

既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「好奇心が旺盛ですぐに何にでも手をだしちゃう」私の性格と、「色々な習い事に興味があって決めきれない」子供の性格は抽象度を上げると同じなのかもしれないと思ったわけです。

「優柔不断」と思っていた子が、実は「幅広く興味を持てる」子に見える瞬間です。「なんだ、俺と同じじゃん」と思ったとたん、子供への見方は変わるもんなんですね。

逆にこれまで「優柔不断」なんてレッテルを貼っていたことを反省しました。子供とは長い間一緒にいることになるので、「○○な性格な子」とか「○○が好きな子」とかそういうレッテルを貼ることをしてしまいがちです。それはそれでしょうがない部分もあるかもしれませんが、たまにはフラットに、違う角度から見つめなおすことで新しい気づきがあるのかもしれません。

最後に

自分や他人にレッテルを一度貼ってしまうと、それを剥がすことは簡単ではないと感じます。それがわかっていても、フラットに見ようとすることは正直難しいです。長く一緒にいる人ならなおさらです。でも、内省をして新たな自分の一面に気づくことがあるように、対話を通じて、他者の違う側面に気づくこともあると思います。「なんだ、この部分は俺と同じじゃん」そう思えたら一気に対人関係は円滑になる気がします(知らんけど)。こういう気づきの一つ一つを大事にしていきたいと感じた体験でした。

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