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研究室を脱出せよ!【21】ポスドクと、科学の価値。

黒岩さんは続ける。

「論文とグラント、このふたつは実は密接な関係がある。いい仕事、いい論文を出したかったら、それなりの設備、スタッフ、その他諸々が必要になってくる。要するに金がかかるね。じゃあ、その金をどこからもってくるかっていったら、競争的研究資金、グラントってよばれる予算をひっぱってくる必要があるわけだ。ケンドーも知ってるかと思うけど、グラントの審査っていうのは、その分野の専門家が集まってするんだけど、その際に基準となるのが、どんな業績を挙げてきたかっていう実績のところだ。もちろんプロポーザルも重要ではあるんだけど、日本のグラントはプロポーザルを書く欄が極端に短い。だから、実質的には過去に出した論文の量と質が重要ということになる。したがって、グラントを取るには論文が必要になる。そういうわけでな、論文とグラントっていうのは持ちつ持たれつの関係にあるんだ。」

そういうと、論文とグラントの間に相互依存関係を表す矢印を書き加えた。

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「ところでさ、ケンドー。ドラッカーは、企業にとって利益とは何だといっていた?」

僕は本の中に書かれていた言葉を思い出した。

「ええと、企業にとって利益は目的ではない。条件だと。あっ。」

僕は思わず声を出した。そんな僕の様子を、黒岩さんは満足そうに眺めながら言った。

「そう、研究室運営において、論文を出すこととグラントを獲得することは、まさに条件に過ぎない。ドラッカーならそう言うだろうな。」

論文が出なければ研究費の獲得に支障が出る。そうなれば、新しい研究を続けていくこともできなくなる。そういう意味では、これらは研究室にとってはまさに必要不可欠なもの、文字通り "Essential Condition" である。それならば、研究室の目的とは一体なんだろうか。

「そうか、それが教育なのか。」

僕は興奮してそう答えた。黒岩さんは、苦笑いしながら、

「まあ、そうあせって答えを出そうとするなって。」

と僕を制した。

「研究室の目的なんてさ、基礎研究をやる目的は何なんだろうって考えるくらい難しいことだから。それこそ、研究者が100人いたら100通りの答えがあるんだと思うぜ。長年研究をやるなかでさ、常に答えを探し続けるんだと、俺は思うよ。」

そういうと、黒岩さんは持っていたペンのキャップを閉めた。

藤森先生は黒岩さんの話を静かに聞いていたようだったが、やおら立ち上がるとホワイトボードの方へ向かい、僕らに言った。

「いやあ、あいかわらず面白いお話しありがとう。研究室、いや、基礎科学研究の目的とはなにか、か。僕は君たちよりちょっとだけ長くこの業界にいさせてもらっているからね。どうやら、僕なりの考えを話す義務が、僕にはありそうだ。」

藤森先生はそういいながら、黒岩さんの持っていたペンを手に取った。

「ところで、黒岩君。ドラッカーは、事業の目的とは何かと問われたとき、顧客の創造と答えたよね。」

「ええ、そうです。」

僕は驚いた。藤森先生もドラッカーは読んでいるらしい。

「ドラッカー先生の偉大な言葉を、僕もちょっとだけお借りしようと思う。僕にとって研究をする目的とは、新たな価値の創造、なんだ。」

そういうと、藤森先生はホワイトボードに「新たな価値の創造」と書き加えた。

「研究というのは、誰も考え出さなかったような、とんでもないことを考え出さなくてはいけない。それが新たな価値だ。そして、もちろん価値そのものも大事だけれど、それを生み出すプロセスや、それを受け入れ発展させる文化、それら全てが大事なんだ。で、それを育んでいくのが、我々研究者の目指すべきところなんじゃないかな。ほんとに先端的なものはね、最初は誰も受け入れてくれないんだ。だから、先端じゃなくて異端だね。人というのは意外に保守的にできていて、新しいものを本能的に拒むことがある。でも、社会を発展させていくようなイノベーションは、そういった異端の中から生まれてくるんだ。僕らの役割は、その異端の考えを先端に変えるプロセスを編み出し、広く世間の人々に知らせる、そういうことなんじゃないかな。」

僕は、そう語る藤森先生の熱い眼差しと、ホワイトボードに書かれた「新たな価値の創造」という言葉を、何度も何度もみかえしていた。

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