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豊穣とごぼう、インスタント幽霊

夜中の帰り道、街路樹の脇にぼんと爆発したみたいに彼岸花が咲いていてびっくりした。街灯に照らされてぬらっと立つ姿はエイリアンみたいだったし、よほど驚いたようで実際に「ワ!」と声が出た。そんなことで騒ぐんじゃないよといいたげに野良猫が脇をかすめていった。寒いのでリュックの中にストールを放り込んで歩いている。これで安心です。

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涼しくなって気分がいいのでスーパーの帰り道に1時間くらい散歩する。近所にペルシャ絨毯の小さい店があって、店頭できれいなクッションが安売りされていたから立ち止まって眺めていたら店主が出てきていろいろと見せてくれた。キリムという種類の織物でできたクッションカバーと、トルコの食器を2つ買った。店主は暇だったのか親切にたくさんの柄のカバーと食器を見せてくれたし、最近はドイツで買い付けをしているという業界事情も教えてくれた。デパートの催事場で見るよりずっと安くてよい買い物だった。

食器を見ている間は奥から品のいい初老の女性が出てきて、トルコの食器ってとってもかわいいわよね。わたし大好きなの。と、接客なのか感想なのか微妙なラインのおしゃべりをしてくれた。食器を2つ手に取って財布を出したら、「2つも買ってくださるの?」と上品に驚いていて少し笑ってしまった。本当はもう2、3枚欲しいところですよと言ったらもっと驚いていた。

キリムの柄はあとで調べてみたらいろいろと種類があって、わたしの持っているのは櫛と、ごぼうと、羊の角をあしらったものだった。櫛は命の誕生、ごぼうは裕福さを、羊の角は豊穣を意味するそうだ。美しい柄だが、ごぼうか……と思うと不思議な笑いがこみあげてくる。

祈りのこもった道具はながめるだけで気分がいい。量販店のファブリックが気に食わないのは、意味をもたない柄を適当に切り貼りしているように思えてならないからである。こういうものを大事に使って豊かになろう。共産趣味なのにまた中東の家具を増やしてしまい、ますます自宅の方向性が複雑怪奇なものになりつつある。世界一しょうもない露土戦争(加えて台所は使い所のわからない中華食材であふれている)。

敬老の日と祖母の誕生日が近いので、山の上ホテルで栗のお菓子とレースのハンカチを買って送った。たいした金額の買い物ではないのにものすごく丁寧に応対をしてくれて緊張してしまった。仕事の休憩中に寄ったので、かなりみずぼらしい格好をしていたのを後悔する。ロビーにはチェックアウト手続きを終えたらしいお年寄りとその娘らしき人がいて、「ママ!タクシーがいらしたわよ」などと山の上ホテルっぽい会話が繰り広げられていた。ここに泊まるとそういう言葉遣いになるのか、もともとそういう言葉遣いの人なのかわからなかったが、山崎豊子の世界みたいで思わず口元が緩んでしまった。とはいえ、ひとりならちょっと奮発すればここに泊まれることはわかっているのだ。今度はちゃんとめかしこんで泊まりにきてみたい。友達をさそって「よくってよ」とか言い合ってみようかな。

祖母はたいそう喜んでいて、仏壇に供えた栗のお菓子を毎日ひとつずつおろして食べているらしい。「なんまんだ…」と小さく呟きながら仏壇に手を合わせる祖母の姿がありありと想像できてしまい、何度も思い出し笑いをした。おおかた、レースのハンカチは神棚のほうに鎮座しているんだと思う。「ハイカラなものをくれてうれしい」と母に電話口で話していたらしく、いくらでもハイカラなものを贈ってあげたいという気持ちになる。コロナのせいでもう2年近く会っていない。

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別の日はいつもおまけを大量にくれる花屋で、ピンクッションという名前のネイティブフラワーを買った。彼岸花に似ているが、茎も葉も太く乾燥していて野生味がある。彼岸花・ビーストモードという感じ(?)。南半球の草花は頑丈でエネルギッシュでとてもいい。きちんと水換えをすれば1ヶ月以上花持ちするというのでたのしみ。

もうすぐ彼岸で十五夜だからね、と言われておまけにススキを1本もらったが、ちょっと揺さぶると花粉なのかこれが花なのかわからない、黄色いつぶつぶが落ちてくるので玄関先から運んで生けるまでが大変だった。2、3日経つと、それが見慣れたフワフワのススキのフォルムに近づいていておお、と思う。黄色いつぶつぶが綿毛に進化したのだ。ススキ。秋になると実家の近所の土手にぼうぼうと茂っていたが、言われてみればまじまじと見るのは初めてかもしれない。幽霊の正体見たり枯れ尾花。と、日ごとにふくらんでいくフワフワを触りながらことわざを思い出すけど、枯れる前のほうがおばけっぽいような気もするな。

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