【#03】真夏の蛙化現象。
この夏も(この20年以上ずっと私は夏だけどさ)、イトーダーキさん主催のリレーエッセイに参加させていただきます。
今回はリレー小説。
まずは第一章、第二章をお読みください。
チエコの夏。緊張の夏。
ー第3章|下戸川花火大会の伝説
「ねえ、ノリユキ、マユの進路希望って聞いたことある?」
ノリユキが知ってるわけなんてないことくらい私はもちろん知っている。
「聞いたことないよ。チエコ、親友なのに知らないの?」
高校3年生の夏。
私にとって大事な夏の行事、下戸川花火大会に行かないという選択肢は無かった。
加えて、そこにひとりで行くつもりもなければ、女友達と行くなんて論外だとさえ思っていた。
高3の夏の花火大会は絶対に大好きな彼と行く、中学のときから私は決めていたのだ。
なのになのに私の恋人はトロントにいる。
ありえない。高3の夏だというのに。
人生でたった一回しか“高3の夏”なんてないというのに。
私が住む葛飾区下戸川界隈の女子の中で言い伝えられてきた、高3の下戸川花火大会に一緒に行ったカップルは将来結ばれるという伝説。
そんなことあるわけない、って鼻で笑いながらも、蓮蒲池のスワンボートに乗ったカップルは別れるとか、毛呂路植物園にデートで行くと喧嘩になるとか、根拠がまるでない伝説を信じるのと同じように、私はずっと信じてきた。
それはマユも同じ。
帰国子女だったマユだってこの伝説のことを知っていた。
だから、さっきLINEで「下戸川の花火に誘われたから、たぶん大丈夫だと思う!」って返してきたマユの恋はうまくいってるに違いない、そう確信したのだ。
相手が誰だかは教えてくれなかったのが気になったけど。
私は誰と行けばいいのよ。
バームだって夏休みのはずなのに。この夏は帰るよ、って言ってたのに。
インスタの更新が止まってるのだって不自然すぎる。
だから、ノリユキに頼もうと思ったのだ。ひとりで花火大会には行きたくない。でも、伝説が気になる。だったらノリユキは安全パイじゃないかと思って。気にはなるけど結局幼馴染で腐れ縁で、そういう関係はきっとこの先も続くに違いない。だから、ノリユキとどうこうなるなんて可能性はゼロに近い、ひとりで部屋から花火の音を聞いてるだけより、きっとマシ。
花火大会に誘うための口実にマユの進路のことを使っただけだ。
私は心のどこかで、ノリユキのことも独占しておきたいという気持ちがあったのかもしれない。
けれども、もしかしてもしかすると、マユのお相手がノリユキの可能性だってある。マユはバームのこともノリユキのことも気になってることくらい、一緒にいれば嫌でもわかる。
私たちのよくわからない四角関係は、私が中心にいるように見えて実はマユが真ん中にいるような気がしてならない。私は正直に言えばマユのことをどこかで妬んでいた。大好きな親友に対してこんなふうに感じる自分に自己嫌悪。ああカッコ悪い。
マユと私、恋愛のことは踏み込んで話せないそんな雰囲気がお互いにある。
私がバームと付き合い始めたときだって、マユと私はちょっとだけギクシャクしたし、マユとノリユキと私の3人で他愛のない話をしてるときだって気がつくとマユは黙ってしまうことが多い。
いったいマユは誰と花火に行くのだろう。
「だよねー、親友なのに知らないって変だよねー。でもなかなか聞きづらくってさ。だって、私は早くから決めてたじゃん。
新学期始まったら直接聞いてみるよ。変なこと聞いてごめん。
でさ、ノリユキ、花火大会のことなんだけど。」
できるだけさりげなく、意味など持たせず、私はノリユキに聞いた。
「ん、何?」
「一緒に行かない?夏休み最終日じゃん?ノリユキも勉強ばっかしてたんでしょ、気分転換にどうよ。」
ノリユキが一瞬でもためらったらやめよう、と思ってた。
でも拍子抜けするくらいにあっさりと返事が返ってきた。
「チエコ、浴衣着るの?だったら俺も着ちゃおっかな〜」
マユのお相手がノリユキでないことはこの瞬間確定した。
下戸川花火大会が終わったら夏休みが終わり、新学期が始まる。
実際の季節としての夏は終わるわけではないけれど、気持ちの上では花火大会当日は私にとって夏の最終日だ。
ノリユキと花火大会に行くことをバームに話すべきか迷ったけれど黙っておくことにした。遠距離恋愛を続けてるうちにバームに伝えるべきことと伝えないほうがいいことを知らず知らずにふるいにかけてる自分に気づく。
こんな感じ、実はあんまり良くないよな、と思いつつ、トロントをグーグルマップで見るたびに、この距離感じゃ仕方がない、そう思ってきた。でも正直言うと遠距離恋愛なんてうんざりだ。
そしてもちろんマユにも言うつもりはない。
偶然花火大会で会うことがあったら、テキトウに伝説なんて忘れてる風を装って、マユの恋の相手を観察するだけだ。
張り切って浴衣を着てきたノリユキと合流し花火大会に向かう。
マユはいったい誰とくるのだろうか。マユに会うことがあるのだろうか。そしてマユが私とノリユキを見たらどう思うだろうか。
毎年90万人以上が集まる花火大会だ。約束無しで会える確率は低い。限りなくゼロに近い。
私はノリユキとはぐれないように注意しながらそれでもキョロキョロと周りをずっと見回しながら歩いていた。
そして、なんと私は花火がそろそろ始まるかと言うときに、マユを見つけたのだ。さすが親友、やっぱり会えちゃうもんだな、なんて思ったとき、息が止まりそうになった。
マユの横には私達の担任、ヤスがいた。
ー第4章|ヤスの苦悩
夏だから仕方がない。
言い訳にしては陳腐過ぎるがそうとしか言いようがない事態だった。
僕が担任を勤める3年2組のイトーだったら夏だから仕方がない〜、とでも言うのだろうか。クラスの皆に教授と呼ばれている雀武務ならば、夏だからというのは言い訳にもなりませんよ〜とか言いそうだ。いや、今はそんなのんきなことを言っている場合ではない。
きっと春だったらこんなことは無意味なことだったろうし、冬だったら夢物語で終わっただろう。
仕方がないのだ、夏なのだから。
今朝、妻が言った。
妻はこの世の生き物の中でカエルが最も嫌いだと言うことは付き合っていたときから知っていた。長野の田舎から大学進学に合わせて上京した彼女と、大阪から出てきた僕は、東京という異国で、どこかマイノリティーな気持ちを抱えていた。そこにお互い共感し、恋人同士になるのにそう時間はかからなかった。
妻にはずっと前に言われていた。
それなのに。それなのに。
僕のLINEのアイコンがカエルに変わっていた。
それに気付かず妻にLINEをしてしまった。
大川が今日、学校に来なかった。
教育実習で地元の高校に行ったとき、担当したクラスの女の子に好きになられて、ちょっと厄介なことになった経験が僕にはある。
「ヤスが黒板に書く字がめっちゃ好きやねん。ヤスのことが好きなんかヤスの書く字が好きなんかもうどっちかようわからへん。」
大阪の高校で言われた言葉から関西弁を差し引いて東京の街で同じことを言われるとは思ってもいなかった。
あんな大変な思いをするのは金輪際ゴメンだ。
だから教師として注意深く生きてきたのに。
生徒にヤス、と呼ばせることを許可なんてしなければよかったのだ。
大川はなぜ学校に来ていないのか。
関西弁が聞きたいから立命館を受験しようかな、なんて言っていたから、今日の授業は立命館の過去問をあえて選んでみたというのに。
なるべく冷静を装って、大川の欠席理由を担任であることを理由にして確認することにした。確か父親は海外赴任中で緊急連絡先は母親の携帯電話番号だった。
……
大川の母親の言った言葉を頭の中で何度も何度も反芻する。
なぜ。
なぜ大川は。
……
お盆明けの日曜日、進路のことでどうしても相談があるから、と大川に呼び出された。
妻は学生時代の友達と映画を見ると言ってでかけていた。
生徒に呼び出されてでかけていく、普段は絶対にそんなことはしないのに、何故かその日はのこのことでかけてしまった。
下戸川駅前のスタバで数週間ぶりにあった大川は受験生だというのに日に焼けていて、勉強を熱心にしていたようには僕の目からは見えなかった。
ダンスのイベントでね、炎天下で踊ったら焼けちゃった、とあどけなく笑う彼女が、普段教室で見せる姿とはどこか違って見えてしまったのはなぜだろう。
進路の相談、というのは口実で、私はヤスに会いたかったんだ、とサラリと言ってのける。それがあまりに自然すぎて完全に大川ペースで会話が始まってしまった。そしてあれよあれよと夏休み最終日の下戸川花火大会に一緒に行くことを約束させられた。
させられた?
違う、結局、僕が誘ってしまった。
いいのか、担任なのに。
いいのか、相手は高校3年生だぞ。
そして僕は既婚者だ。
夏だからといって許されることではない。
〈来週へつづく〉
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