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なぜ今ドラッカーを学ぶのか? ~変化の時代に活きる「問い」の持ち方~ #1/3

日本能率協会マネジメントセンター(JMAM)主催にて、『未来を大きく変えるドラッカーの問い Drucker for Survival ドラッカー・フォー・サバイバル』の刊行記念セミナーが開催されました。著者であり、ドラッカー研究の第一人者である井坂康志氏より、なぜ今ドラッカーを学ぶのか、ドラッカーを学ぶことで得られる「問いの習慣化」のメリットについて語られました。

ドラッカー研究の第一人者が語る、未来を変えるドラッカーの「問い」


司会者:本日は『Drucker for Survival』の著者、井坂康志さんをお招きしております。ドラッカー学会理事であり、2005年5月にクレアモントにて、ドラッカーに対して外国人編集者として最後の独占インタビューを行ったドラッカー研究の第一人者の方でございます。

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『未来を大きく変えるドラッカーの問い Drucker for Survival ドラッカー・フォー・サバイバル』(日本能率協会マネジメントセンター)

まさにその「未来を変えるドラッカーの『問い』」とは何か、ぜひ本書を手にとって、その真髄に触れていただければと思います。本イベントではエッセンスとして、井坂さんからドラッカーから得た「問い」とは何かとか、書籍に込めた思いなどお話しいただきたいと思います。

本日のイベントは、井坂さんのお話、そして井坂さんと編集にかかわりました弊社の出版事業本部長黒川と対談などを交えて、そのあとみなさまからの質問にお答えいただくような流れにしたいと思います。それでは井坂さん、黒川さん、よろしくお願いします。

ドラッカーが今の次代に伝えたかったことは何か


黒川剛氏(以下、黒川):こんばんは。初めての方も大勢いらっしゃると思いますけれども、日本能率協会マネジメントセンターの出版事業本部の責任者をしております黒川と申します。日頃は私どもの書籍および商品サービスをご愛顧いただきまして、誠にありがとうございます。

私もいち編集者として日々書籍を作っておりますけれども、今回この9月に、井坂さんと一緒に『Drucker for Survival』の本を作りました。このご縁をいただきましたので、今日は井坂さんに書籍を作られた背景や、ドラッカーが今の時代に伝えたかったこととはどんなことなのかなど、いろいろとお聞きできればと思っております。

それから、今日はご参加いただくにあたって、みなさまから事前にたくさんご質問もいただいております。または今日聞いている中でお気付きになられたことなどがありましたら、チャットに書き込んでいただければ、時間が許す限り井坂さんにお聞きしてみたいなと思っております。

それではさっそく始めたいと思います。井坂さんからひと言、まず自己紹介をいただいてよろしいですか。

井坂康志氏(以下、井坂):井坂康志と申します。今回、黒川さんをはじめとする日本能率協会マネジメントセンターのみなさまのお力添えにより、『Drucker for Survival』という本を出すことができました。

こちらは今、コロナで苦しんでいる方々に向けた、世の中全体に対する「ドラッカーだったらこう考えるだろう」という1つのメッセージにもなっておりまして、参考にしていただけるとありがたいなと思います。

特に昨今、コンプライアンスの厳しい中、土曜日のこの時間にご関係の方に働いていただいていることに、深く感謝したいと思います。よろしくお願いします。

コロナが与えた「どうやって生き延びるか」という最も根本的な問い


黒川:ありがとうございます。まさに今おっしゃっていただきましたけれども、本当にこの2年近くコロナという中で、世の中も激変した状況になっています。

この中でずっと井坂さんはドラッカーの研究をしてこられて、特に帯にも書かせていただきましたけども、ドラッカーに最後にお会いになられた日本人編集者でもありますので、ずっと研究されてきた中で今回この書籍の刊行に至ったわけです。

ドラッカーは最近までご存命でありましたけれども、我々にとってみるとやはり一世代前の方になるかなと思います。ドラッカーの本をコロナの中で刊行されたことに関して、時代の状況とのご関係を、井坂さんからお話しいただければと思っております。

井坂:ありがとうございます。今のような時代状況は、歴史の中でもどちらかといえば例外に属しているといいますか、平時というより非常時に属しております。そのような時に「サバイバル」という、生き延びることを誰もが考えざるを得ないような、ある意味世の中から大きな「問い」が降りてきた状態なわけですよね。

どうやって生き延びるかという最も根本的な「問い」ですので、私たちはこの大きな「問い」をどう受け止めるかという姿勢を問われているわけだと思うんですね。それもあって、今回黒川さんをはじめとする編集者の方々の素晴らしいご助言で、「問い」を中心にすることにしました。

時代から与えられた大きな「問い」を、それぞれの個人の仕事や生活という文脈の中で、どのように自分にカスタマイズしていくか。それが今問われているんだろうなと感じたのが、執筆の1つのきっかけになっているかなと思います。

ドラッカーはサバイバルの思想家だった


井坂:それともう1つが「なぜドラッカーなのか」というところなんですけれども、一般的にドラッカーというと、成功している経営者が読んでいる(イメージを持たれます)。具体的な名前を言うと、例えばユニクロの柳井正さんや、セブン&アイ・ホールディングスの伊藤雅俊さんなど、非常に著名な方々ですね。

それからフィリップ・コトラーとかクレイトン・クリステンセンとか、ああいう方々と交流があって、とにかく偉大な人物で、成功者のバイブルのような捉えられ方がされていると認識しています。

ドラッカーが説いたことを私なりに理解すると、実は彼はサバイバルの思想家だったと考えているところがあります。というのは、彼自身の生涯もそうなんですが、20世紀を「戦争と革命の時代」と呼んだ人がいましたけれども、四六時中大きな変動が起こって、時代の波に翻弄されていくんですね。

彼はヨーロッパからナチズムの波を逃れて、最終的にアメリカに渡るわけですけれども、下手をすればその過程で命を落としてもおかしくない人生を送っていました。まず彼自身が、その20世紀の荒波を泳ぎきった、1人のサバイバーだったという認識があるんですね。

もう1つは、そもそもドラッカーというとマネジメントの論者として知られていますが、「マネジメント」というワード自体の中に、「サバイバル」という意味がもともと入っているんですね。

マネージ(manage)は「なんとかする」という意味ですから、その場でいろいろなトラブルとか困難とかをなんとかするということが「マネジメント」です。生きるというのはある面ではトラブル・困難の連発であって、それをどうやって凌いでいくかというのが、マネジメントの原義に入っていることであります。

なのでむしろ今は、ドラッカーの本領が発揮されるべき時代状況になってきたなというのが、私の認識であります。そのように思うんですけれども、もしよろしければそれに付随するご質問がありましたらお願いいたします。

ドラッカーが得意としているのは、長い戦いを勝ち抜く術


黒川:ありがとうございます。確かに『もしドラ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』)もそうですけれども、ドラッカーはマネジメントの本として一番読まれているのかなと思いますね。

ただ、今お話しいただいたような「マネージがそもそも何だ?」というお話なんですけれども、若干その結び付きをすぐにイメージできる方ばかりじゃないかなと思っています。

今日ご参加いただいている方々の中にも、ドラッカーについてすごく造詣の深い方も多数いらっしゃると思うんですけれども、あまりドラッカーのことを知らないという方も大勢参加されていると思いますので。

あらためて井坂さんから、書籍にも書いていただいていますけれども、ドラッカーの功績であるとか、あるいは簡単にドラッカーとはどんな人だったのかというところも含めて、ご説明いただけるとありがたいなと思います。

井坂:昔からおとぎ話とかいろんな逸話を見ると、だいたいいいお爺さんと悪いお爺さんがいたり、いいお婆さんと悪いお婆さんがいたりして、多くの場合は目先の利益を追求した方が最後はひどい目に合う。むしろ長い目で、隣の人のために何かをしようとしたいいお爺さんが最終的に幸せになるというパターンが多いと思うんです。

ドラッカーの(説いたことの)中には、ある面ではそういう古い知恵のようなものが、絶妙に溶かし込まれていると思っております。ドラッカーはどちらかといえば経営学者というイメージが強いと思うんですけれども、私から見ますと本当に1人の思想家というか、しかも堂々たる思想家という感じだと思っていまして。

とりわけ彼が得意としている分野は、戦争でいうと局地戦のような「短期勝負」ではなくて。長い戦いをどうやって凌いで凌いで最後に勝ち抜くかという「グランドデザイン」を提供してくれているタイプの経営学者であり、思想家であると考えているんですね。

コロナからのビッククエスチョンは、千載一遇の大チャンスでもある


井坂:特に今、時代状況(の変化)がスピーディになってきているので、ついつい目先のことを考えてしまう。どうすれば得するかとか、どうすれば損しないかとかということを考えてしまうと思うんです。

先ほどの黒川さんのご質問と重なってくるんですけれども、コロナからビッグクエスチョンを与えられているわけで、これは見方によれば千載一遇の大チャンスと捉えられると思うんですね。

こんなビッグクエスチョンが降りてくる時代は、本当に1世紀のうちに数度しかないぐらいの感覚じゃないかと思うんですけど、これについても考えざるを得ない状況まできているんです。

この本の仮想読者は20代から30代で、これから自分を展開していこうとしている方々に向けて書いている設定になっています。特にこれから先展開していく時には、まず悩みが尽きない。今ここにいらっしゃる方々も、20代30代を通過してしまったか、あるいは今通過しようとしている人のどちらかだと思うんですけれども。

とにかく自分を展開していく前には、多くの場合、無数の試練をくぐり抜けなければいけなくて、それをどうやって次の展開に活かしていくかは、ドラッカーがマネジメントで説いたことそのものなんですよね。

つまり、そこには何か絶対的な正解があるわけではなくて、むしろ与えられた「問い」を自分なりに真摯に受け止めて、世の中に投げ返していく。そういう本当に地道な作業が必要になってくるんです。

人間は歳を取っても悩みがなくなるわけではない


井坂:この本では比較的私の体験も書いたつもりなんですけれども、私の場合、20代30代がとにかく日々大変で、まず自分を確立するだけで大変な労力が必要でした。しかもすごく大きな、人生のクオリティを左右するような意思決定を頻繁に下さなければいけないような状況で。

その時にドラッカーと出会うことができたことが、自分にとってすごく幸せなことだったなと思っているんですね。今、特にコロナという特殊な状況で「ああ、もうダメだ」と思っている方に向けて、「こんな指南者がいるよ」「こんな考え方があるよ」というのを示したかった

その時にドラッカーは通常以上に役に立ってくれるというか、優れた指南者だなと。これが今回の本のドラッカーの差し出し方の1つになっていると思うんですね。

(読んでいただきたい方として)20代30代という年齢層を挙げたんですが、実際には私が若い頃は、人間は40歳50歳、あるいは60歳70歳になればある程度落ち着いて、だんだんと悩みがなくなっていくのかなとぼんやり思っていたんですけど、いざ自分が40歳になってみると、まったくそんなことないんですよね。

日々新しい、まったく今まで想定していなかったような悩みやトラブルに見舞われていく。私が昔読んだゲーテの格言集の中に、「人というのは死ぬまで悩む」と書いてあったのを見て、愕然としたのを覚えているんです。

実際に自分がなってみると、ゲーテの言ったことは正しかったと実感させられます。これから50歳、60歳、70歳になっても、それは変わらないと思うんですよね。

そうすると、20代30代に与えられるその「問い」は一生使えるということです。さらにこれは、50代60代の方が読んで役に立たないはずがない。現に私自身はそれによって非常に救われていますのでね。私はドラッカーをそんなふうにこの本で差し出したかったのかなと思います。

うまく言語化できないモヤモヤを、ドラッカーが言語化してくれる


黒川:本の冒頭にも書いていただいていますけれども、今お話しいただいたように、どんな方に読んでいただこうかというお話を、編集の立場で井坂さんとさせていただいた時に、29歳の方(をイメージしましたよね)。

30歳を目前にして、大学を出てから7~8年働いて、仕事も慣れて後輩ができ、あるいはプライベートでも少し充実してきて。「だけど、このままでいいのかな」と思っているような人に、あらためてドラッカーを読んでもらったらどうかなと。そう考えて、この本の読者のメインのターゲットを29歳に据えたんです。

今の話だと29歳だけではなくて、もっともっと幅広い年齢の方に、ドラッカーは効いてくるのかなと思いますけど、そのあたりもう少し深堀りして、井坂さんからお話しいただけるとありがたいです。

井坂:そうですね。私の経験なので他の方はそうかどうかわからないですけど、29歳はある面ではどん底だったですね。一番苦しかった。

人間にとっての苦しみっていろいろあると思うんですけど、私が一番苦しかったのは、未来がわからなかったことなんです。自分の展開がどうなっていくかまったく見えないというのが一番苦しかったですね。しかもその苦しみにうまい言葉が与えられなかったことが、何より苦しかったというのが私の実感なんです。

私の場合は上田惇生先生というドラッカーの翻訳者の方とお会いしたんですが、確か28歳くらいの頃でした。

ドラッカーを読む人が「自分の考えていたことがここに明確に書かれていた」という感想をおっしゃるんですけど、私もまさにそういう体験をしました。自分でなんかモヤモヤしていて、うまく言葉にできないと。その言葉にできないものが見事に言語化されていることにびっくりしたんですね。世の中にはこういうタイプの人がいるんだと思いまして。

ドラッカーを知る一番のメリットは「問い」の習慣化


井坂:私の場合はこの実感を28~9歳の頃にしたんですけど、おそらく50歳60歳になって、あるいは70歳80歳になっても、常に人間は言葉を使うときには、何か言い足りないか言い過ぎているかどっちかなんです。

ピタリと言える言葉がなかなかないので、この言葉をうまく表現してくれている人というか、それを読むだけで自分の代わりに言ってくれているような人がいるんだと、力づけられる感覚も持つことができました。

私の場合、28~9歳が1つのどん底だとしたら、そこからある程度上がってきても、やはり常にもがいているというか、次の展開を模索している状態です。ドラッカーというのは、どんな年代になっても役に立ちますし、どん底で役に立つものだったらどんなタイミングでも役に立つだろうと感じていますね。

黒川:役に立つ、要はメリットがあるということになるんですかね。ドラッカーを知っておくことのメリットとして何か具体的なエピソードだとか、こういうところにあるよということがメッセージとして伝えられるとしたら、どういうところがあるでしょうか。

井坂:まさしく黒川さんが質問してくださったことが、この本のすべてと言ってもいいと思うんです。一番のメリットは、「問い」に置き換える習慣ができるということだと思うんですよね。 

答えをついつい求めてしまうんですけれども、答えを求めることは、実は単なる精神的なものぐさに過ぎないんだと、ドラッカーを読んでいて感じさせられたことであります。

ドラッカーの場合は、有名な言葉がいろいろあるんですけれども、例えば「真摯さ」という言葉。「真摯さ」というワードは、ドラッカーのマネジメントの中でも最も有名な言葉の1つだと思いますね。

これに触発されて、のちには作家の岩崎夏海さんが「真摯さとは何だろう」と『もしドラ』の主人公に言わせているんですが、この「真摯さ」が『もしドラ』の中の一番の基底的なメッセージになっていると思うんですね。

この「真摯さって何だろう」がすごく大事で、これ自体は「問い」の形式になっているわけですよね。つまり、「真摯さというのはこういうものである」というのではなくて、「真摯さとは何か」と問うことの中に、すでに真摯さへの道が含まれているということだと、私は理解しているんですよね。

「問い」は、答えを求めるよりも高い知性を使っている


井坂:つまり、「問い」の形式にすることは、答えを求めるよりも遥かに一次元高い知性を使っていることでもあって、人間が物を考えることは、詰まるところ、「自分に質問する」ということなんだと思うんです。

「本当のお客さんは誰なんだろう」とか、「自分が本当に取り組んでいくべきことは何なんだろうか」とか、すべてを「問い」の形式で考えるようになる。これがドラッカーを読んだ時のかなり大きな収穫だろうなと思っています。

これは本当に誰でもできることで、決して難しいことではないと思うんですね。それを習慣にできるかどうかだけかなと。メリットというとまず最初に浮かぶのはそういうことかなと思います。

黒川:ありがとうございます。まさに今おっしゃっていただいたように「問い」ですよね。「問い」がこの本の一番根幹というか、中心にあると思います。

▶第2回へ続く

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