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リーダーを志す道

はじめに

ここ数年、いや数十年でしょうか。「日本には管理職は沢山いるけどリーダーがいない」と言われてきました。誰がそんなこと言ったのか?主に大企業の経営幹部の方々から異口同音にそうしたお話しを伺うことがありました。私も様々な企業様を拝見してきて、自戒も含めてですがそう思うことがあるのです。そこで今回は「リーダーとは何ぞや?」について書いてみようと思います。本稿では企業組織に限ったお話をします。組織のリーダー論は様々な観点から書籍や碩学の知見が膨大な量発信または共有されています。そしてその多くは学習と経験に基づいた自論または持論です。ある切り口や条件(マネジャーとリーダーの違い、成長モデル、とか危機時のリーダーシップとか)が与えられて理論化出来たりはします。本稿でも私の自論と持論を述べさせて頂きます。因みに「リーダー教育」と言えるような社長・役員・部長・課長さんに対する研修や対話、プロジェクト、コーチング、第三者としての1on1や経営リーダーとのお仕事(ビジョン・戦略づくり、役員会議への参加と提言など)のこれまでの経験時間は約11200時間ほどです。直接人と向き合った時間なので、学習時間(インプット)は含みません。また自らが成果に責任を負って組織を率いた時間は2万時間ほどです(数値的な成果を多少でも上げられたのはその半分くらいしかありません。思えば失敗の方が多いですし、当時のメンバーには苦労を掛けて、大変申し訳ないのですがその失敗経験がいまの糧になっております…感謝陳謝)。20代で営業所長をしていた時などは特に酷いリーダーでした。人間として未成熟な者が組織を率いる恐ろしさを自身がやっていた時代、本当にいま思えばぞっとしますが、当の本人にその認識が無かったとはいえ恐ろしいことをしていたものです。その後健全に生存している元メンバーを発見したとき、私の心が救われたのは言うまでもありません。。。未だに当時のメンバーから連絡が来ることもあります。有難いことです。仕事に真剣だった故(数字を必死に追っていました…)、パワーも相当なものを与えていたと思います(間違った考え方で)。あのままお山の大将気取りで30代、40代と生きていたなら…いや生きていない可能性すらあります。今の自分は到底想像できません。地獄の苦しみを与えたものは因果応報、自身が地獄送りになっていたでしょう。途中で何かに気付いた。それが救いでした。それでは本題に。

1.リーダーの要件

個人的には様々な学びや経験からリーダーとは以下のような志や意識(マインドセット)と要件を伴った人のことを私は勝手にリーダーと呼んでいます。私の中での必要条件は下記4つです。リーダーとは役職名ではないことは皆さんが知るところです。

▼私のリーダーの要件(こういう人は皆リーダー)
【1】次世代の社会、会社、組織に明るく豊かな時代を引き継ぐことを人生の目的としていること
【2】次の世代のリーダーを育てることに関心のある人
【3】面従腹背ではなく、ついてきてくれるメンバーがいること
【4】組織全ての成果に自身が最高の責任を負う覚悟があること

【1】次世代に良き社会を引き継ぐ当事者であるという自覚
ドラッカー先生は次のようにリーダーの第一要件を語っています。

「リーダーたることの第一の要件は、リーダーシップを仕事と見ることである。(中略)
 効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。」
        (典拠:P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』)

営利企業でもNPOやボランティア組織であっても、まともな組織であれば理念やミッションを掲げておられます。これをそのまま体現することとほぼ同義になります。故に本稿対象の「企業組織のリーダー」ともなれば理念に共感し、体現しようとしている人と言い換えることもできます。企業のミッション・ビジョン・バリューの三点セットですが、企業理念やビジョンでなくとも、それぞれの自組織向けに自らの使命を定義、明確化することでもよいでしょう。組織の使命とは、私なりの解釈では未来に何を遺すかを明確にしていることです。使命とは命を使うと書きます。残された命を何のために使うか、無論、目の前の愛する人たちに使うことも良いことですが、リーダーはもっと先の未来に目を向けることが大切だと考えます(次の【2】の要件説明を参照)。次の世代に関心が無ければ、自ずと既得権益を守るためにチャレンジしなくなります。企業と人の成長・発展を妨げるのはこういう人が組織を率いている場合が多いです。従って社長であるとか、部長であるとか、必ずしも長の付く役職があるからリーダーであるとは限らないということです。逆にAmazonのように”全員がリーダー”であっても良いわけです。むしろ私はそう願います。人のタイプ(強み・性格)は様々ですので、それぞれのリーダーが【1】~【4】の条件を満たし実践していれば良いのだと思います。そして【1】に関しては歴史観、人間観が非常に重要となります。この様々な「観」を磨くことも大切なことです。これを私は「観性を磨く」と表現しそのような教育の場もデザインしてきましたが、このことについては私の後輩がnoteに書いてくれているので本稿では省きます。人間観、人生観、仕事観、死生観、社会観…など。
▼野間健太郎さんの記事
https://note.com/nomakenn_1988/n/nd931f3ec71c4
特に【1】のような事を志と定める、または意識のある人には歴史観があります。もう少し具体的に言えば過去-現在-未来とういう時間軸を立体的に捉えて物事を考えるとともに、先人への感謝を忘れないということです。報恩感謝の念を持っているということです。恩に報いよう、二宮尊徳の報恩思想にも通じますが、これは先人のお陰で今がある、という歴史を知らないと意識されません。今が不満足な人であっても、いま自分があること(生きていること)に感謝できません。直接には両親でしょうが、元を辿れば幾万の先人、祖先が奇蹟の連続で紡いで遺してくれた命です。例えば我が国の近代以降だけでも三度の存亡危機がありました。1回目は植民地政策を推し進めていた欧州の外圧が迫っていた幕末維新の時代(ペリー提督のアメリカは当時はまだ小国)、次は第二次世界大戦(大東亜戦争)の敗戦、そして3つ目は3.11~現在のコロナショックに至る連続の危機です。国のレベルではこうですが、個々の家系でいったらもっとも色んな存亡危機があったことは想像に難くありません。先人と同じように私たちもまた子供たちの世代、孫たちの世代を創る存在ということですね。因みに「明るく豊かな時代を引き継ぐ」とは具体的に言えば「明るく=希望が持てる精神的な幸福」「豊かな=経済面の幸福」を指しています。幸福かどうかはその当事者が決めることですが、絶対条件は物心両面の幸福です。貧すれば鈍するのですから。

因みに有名な歴史学者アーノルド・J・トインビーは長い民族の存亡史を総観し次のように語っています。これはそのまま企業にも当てはまる至言です。

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【2】次の世代のリーダーを育てることに関心のある人
次のマトリクスをご覧ください。

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現実は厳しいものがあります。特に余剰人員がいない中小企業さんは管理職以上はほぼすべてプレイングマネジャーです。場合によっては社長もそうです。こうした組織では仕事の大変が日々①に費やされます。①に情熱を燃やし実践することは目の前のお客さまから利益を頂く事ですので絶対に企業には必要な活動です。しかし、みんなで①だけ、という会社は未来がありません。人と仕事の未来投資を行っていないからです。やがて同質化した組織に陥り、変化を起こすどころか適応も困難になっていきます。目先の利益のためだけに働いている人が多い会社さんも、この①にみんなが執心しています。酷いケースでは②を怠り、人間を数字で見たり、ロボットのように扱うようになるのです。当事者にそんなつもりはなくても…実態はそのようになっているケースが少なくありません。また中小企業のみならず、大企業の子会社もこのような状況はよくあります。親会社から降りてくる数値目標がそうさせますが、残念ながらリーダーが欠乏していれば自ずと数字マシーンに皆なっていきます。
一方で、次の世代を育てることに関心がある人は先ず日々の人間関係、信頼関係構築に余念がありません。なぜならばマトリクス上の②をしていなければ、④の次世代を担うリーダーは発見できません(そうでない場合は役員が目を付けた社員を秘密裏に抜擢など属人的な幹部育成に終始している場合も結構あります)。または②を通じて①から③の知の探索業務(目の前の業務から離れた新しい取り組み、イノベーティブでチャレンジングな取り組み)に情熱を傾けられる人財を発掘ないしは育てるのです。そうしなければ組織の未来に人と仕事は残らないのです。次の世代を育てるとは次世代の価値を生み出す人材を輩出し続けることとほぼ同義です。③に情熱がない人は次世代を担えないのですから。そしてリーダーは促成栽培できません。種を蒔いても育つとは限りません。中長期の視点で戦略的、計画的に行うべきことです。優秀なプレイヤー(①で実績をあげている人)を10人選抜しても真に新たな価値と人を育てる人財になるのは恐らく1~2人ではないでしょうか。先ずは目の前の人を大切にすることから始めましょう。誰もが未来へのかけがえのない価値を生み出す原石なのですから。諦めてはいけません。人間は誰もが弱い、故に助けが必要です。引き上げる人が必要です。私はそうした性弱説を自身の人間観として人を観ています。ドラッカー先生も「人間は弱い。悲しいほど弱い」と述べています。何があったの、ドラッカー先生⁉と初めて読んだとき、頗るその言に共感したものです。
ドラッカー先生の至言は下記の通り。『マネジメント』より引用します。

「人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
 しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。
 「人こそ最大の資産である」という。
 マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されず、その潜在能力も開発されていないことを知っている。だが現実には、人のマネジメントに関する従来のアプローチのほとんどが、人を資源としてではなく、問題、雑事、費用として扱っている。」            (典拠:P.Fドラッカー『マネジメント(エッセンシャル版)』)

【3】面従腹背ではなく、ついてきてくれるメンバーがいること
この要件も実はドラッカー先生に拠るものを採用しています。

リーダーたる第三の要件は、信頼が得られることである。信頼が得られないかぎり、従う者はいない。そもそもリーダーに関する唯一の定義は、つき従う者がいるということである。(『プロフェッショナルの条件』より)

このように信頼が絶対の前提となります。日々の言動に一貫性が必要です。そして思想の基本原理に、明治近代化のリーダーたちがほぼ思想の軸としていた陽明学の言葉で「知行合一(ちこうごういつ)」があります。つまり付き従ってくれるメンバーがいることとは、言ったことはやる、という実践を通じて信を得、知ったことはやる(素直に学び成果を上げる)という実績を通じてのみ頼られ、その蓄積により信頼を生みます。故に、何を言ったか、よりも「誰が言ったか」が大切になります。坂本龍馬にこの実践が無ければ、ただの土佐脱藩野郎が何を言っていやがる!と薩長に足蹴にされて終わっていたでしょう。西郷どんから「おはんの言うこつは頼りになりもはん」(言葉遣い間違っていたら薩摩の方ごめんなさい。。。)とか言われたりして。会社ではそんなにはっきりは言ってくれません。面従腹背はよくあることです。官僚組織では座右の銘にしている人もいたくらいです(官僚トップでそれはどうかと思いますが)。
また、プレイヤーとしての実績があっても必ずしも信頼を得るとは限りません。コミュニケーションの問題です。例えば新年度の経営方針や中長期のビジョンをリーダーが語るとき、「そういうことなら付いて行きたい!」と思わせることが出来る人もいれば「うちのリーダー大丈夫かな?」と思われることもあります。言っている内容や目指すべき方向性が同じであってもこの差が生じます。日本のリーダーはセンスメイキングが苦手とされます。センスメイキングとは人文科学に根差した実践的な知の技法です。組織心理学者のカール・ワイクが拡げた理論ですが、日本語に訳すと「意味付け・腹落ち」といった感じです。実際にこのハラオチが弱いままビジョン、戦略が走っているケースが多々あります。センスメーキングは本格的に説明しようとするのが難解です(私の能力では)。実は本を読むともっと深遠で複雑なのですが、文化人類学や歴史、哲学を深く教養として持ち合わせた上で、それらをいま現実で起きている出来事に総合的に結合、首尾一貫させながら回顧的に意味付けをするようなものだと勝手に解釈しています(これでもわかりにくいですね…(汗)。必ずしも正確なデータに頼らずとも確実性を帯びた説得力のある意味や意義を語れる?的な人がいます。こういう人はセンスメイクが上手いと言われます。興味のある方はワイクの原著に当たることをお奨めいたします)。デザイン思考のような顧客の観察、文化・習慣への深い共感といったアプローチも含まれます。最近PDCAサイクルに代わって紹介されていたOODAサイクルにも似ています。なかなか簡素に表現するのが難しいですが、究極シンプルに私は正解のない事を考え抜いて自らの正解を導き出す知性と言っています(専門化の方には異論があるかもしれません)。イメージとしては下図を参考にして頂ければと思います。

知性

仕事という営みに「なぜこの仕事は存在するのか?」「なぜ働くのか?」といった根源的な動機を問う力とも私は考えています。実はセンスメーキングのルーツはアリストテレスの実践知とも本には書いてありましたが、こっちの方が分かりやすいかもしれません。我々コンサルタントは世の中や経営の原理原則を重んじますが、その原理原則の知識に留まらず経験を加えた実践知がプロフェッショナルには備わっているということです。知識は実践を通じて磨かれ、既に考え抜かれた原理原則という知識と経験の間に目に見えない実践知が生まれるということです。例えばトップセールスの営業トークを何度もロープレをさせて身につけたところでトップセールスにはかないません。これは営業トークという知識だけではなくトップセールスには理論では語られない実践知が備わっているからで、それは容易に説明することは難しいのです。そこで新人の営業パーソンがトップセールスに張り付いて同行し、その営業トークをしている様を実際に観て「何か」を感じるかどうか。その「何か」は理論化できないから最強の差別化に繋がっているわけです。「何か」を感じ取れたらその営業は「いいセンス」を持っていることになるのでしょう。センスメイキングはそうした「何か」を感じ取る力が母体となっているのではないでしょうか。
アリストテレスでついでに、といっては失礼ですが、メンバーの信頼を引き出すコミュニケーションについて参考になるのが『弁論術』です。実践知の話をするとどうしても浅薄に「慣れですよね」となってしまいがちですが、それに対応するように誰にでも説得の実践方法があることを明らかにしようとしたのがこの弁論術です。技術を磨くことで仕事に意味を与え、付いていきたいと腹落ちしてもらうための「技術」があるということです。ならば磨くべし、ですね。ミッション・ビジョン・バリューなどの価値体系は何のために働くのかという人々の動機づけの根源的な問いであって、ここで意味付けができないと(説得できないと)、理念など画餅に帰します。

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慣れを頼りに行なっている人も、成行き委せの人も、共にうまく目的を果たしているのは何故であるか、その根拠を考察することは可能であるし、その ような考察が技術の仕事であることは誰もが躊躇なく同意するところであろ うから。    
        戸塚七郎訳 アリストテレス『弁論術 』(岩波文庫)より

しかし、メンバーにビジョンを示し、本当について来て欲しいのなら人間とはどのようなものか、を深く理解する必要があります。コミュニケーションの最終目的は「相手に(意図する方向に)動いてもらうこと」です。コミュニケーションに於いては「感情」と「論理」が不可欠です。脳科学でもこのことは明らかですね。ここで注意したいのがコミュニケーションの本質はノンバーバル(非言語)にあるということです。これは何を言ったかよりも、その姿勢、態度、情熱の向き方(声色)の方が大事だということです。PM理論と言うのがありますが、パフォーマンス重視の人と人間性重視の人がいます。前者Pのタイプの人はプレイヤー実績はあり、こうすればいいのだ、と方法論に偏りがちです。経営方針の発表の際にもこのタイプのリーダーは論理に訴えます。話も鮮やか、理路整然、弁もたつのですが、どこか信頼できない。この場合、感情が足りないんですね。人に動いてもらうためには人間性重視の後者Mタイプの要素を併せ持つ必要があります。何を言うか、よりも相手の感情をくみ取り、また自身の感情も表に出して感情の調和をはかりながら心に響くコミュニケーションをしなければなりません。また何を言ったかよりも誰が言ったかの方が重要視されるのは上記のことと似ています。誰が言ったかが重要視されるかは、その人のパフォーマンスよりも、私体にどのようにかかわってくれるのか、人に対して愛情があるのか、私たちを大切にしてくれるのかどうか、といった人間性を観ているからです。だから信頼を得るようなそれまでの言行一致、人間としての一貫性(例えば相手によって態度を変えない、とか)の蓄積(信用という信頼の土台)がみられるのです。【2】で申し上げたマトリクスの②において日々のメンバーとのかかわり方がものを言うのです。

【4】組織全ての成果に自身が最高の責任を負う覚悟があること
4つ目です。まず、成果に責任をおうと書きましたが、「成果」とは何でしょうか。私自身、これまで6社で勤めてきました。業界業種もそれぞれですが、実は上げるべき成果の領域は共通します。ここでもドラッカー先生を参考にしますが、ドラッカーは『経営者の条件』の中で次のように述べています。

「なすべき貢献には、いくつかの種類がある。あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。すなわち、直接の成果、価値への取り組み、人材の育成である。 これらすべてにおいて成果をあげなければ、組織は腐りやがて死ぬ。したがって、この三つの領域における貢献をあらゆる仕事に組み込んでおかなければならない。もちろんそれぞれの重要度は組織によって、さらには一人ひとりの人によって大きく異なる。」
                典拠: P.F.ドラッカー『経営者の条件』

直接の成果、価値への取り組み、人材の育成、この3つの領域がリーダーが最高の責任を負うべき成果です。私の頭の中には常に【2】でお示ししたマトリクスがあります。この3つの成果はマトリクスで言うところの①直接の成果であり、③価値への取り組み(①の深化にも貢献)であり、②④人材の育成となります。私自身もそうでしたが、現在のリーダーは殆どが個人でコミットする目標数字を持っていたりします。プレイングマネジャーと言われますが、これまでの4つの要件に自らを満たし、世の中にプレイングリーダーが増えることを望みます。そうすれば自ずと人と仕事が育ち、リーダーはより一層中長期に取り組むべき戦略課題に注力できるようになると思っています。成果を自らが生み出すものではなく、「誰かがやってくれる」とか「今回の目標未達は自分のせいではない(会社・上司・外部環境のせい、など)」と思いたくなる人もおられるでしょう。気持ちは分かります。でもそれでは何も成し得ません。他者に依存して生きることは、自分で自分の人生を決めていない、常に何かの影響に右往左往して生きることと同じです。それでは「この山の頂にみんなで登ろう」といっても、メンバーを山の頂に引き登らすことは出来ません。成果への責任を最大限に引き受ける。これが4つ目の要件なのは、リーダーは常に羅針盤を持っていなければならないからです。
また、リーダーを志している方に申し上げたいのは、【2】のマトリクスで示した目の前の①の仕事だけが成果ではないということを意識して頂きたいということです。今の仕事を深化させながら、未来を創る仕事を忘れない。それがリーダーの使命なのです。これは言うは易し、です。実際は大変です。泥にまみれることもあるでしょう。あることないことも言われます。しかし、みんな弱い、人間は悲しほど弱い。だからこそ誰もやらないことをやってくれる、明るい未来を示してくれる人が必要なのです。Amazonのように全社員がリーダー、というのは本当に理想的ですが、やる気のない社員が70%、周囲に不満をまき散らしている社員が24%、仕事に情熱をもって取り組んでいる人が6%というギャップ者の調査が2017年に紹介されました。これは結構実態に近いと感じています。誰かが火種をもって仕事に、未来に情熱を注がないと、ドラッカーの言う通り「組織は腐り、やがて死ぬ」のです。そんな組織や社会を次世代に聴き継がないために。いまリーダーを志すあなたに出来ることは何か、磨くべき能力は何か、いま一度、リーダーに求められるマインドセットを見つめなおすきっかけになれば望外の喜びです。

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