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次世代リーダー育成塾 第6講 情熱の用い方

沢山モノを書いておきながらしばらく公開せずにおりました。大反省です。本シリーズは自らの経験や学びを公開することで「世の為人の為」に仕事をする方々の一助とするためです。初志貫徹で再始動です。

今回、第6講では前講までに述べた「志」を情熱にかえ、具体的にリーダーとして何を次世代に遺すのか、その使命、課題設定のあり方について語りたいと思います。先ずリーダーとは、役職でも権力でもなく、「使命感」や「志」によって自らを導くものがあるのが決定的に重要だと考えています。これは碩学や偉人の到達した考え方にも窺うことが出来ることも先に原文を引用しながら触れてきました。その志、使命感があれば「こういう未来のために尽くしたい」など、未来の”ありたい姿”や本来の”あるべき姿”に向けて人に言われずとも努力します。成り行きに任せて、或いは誰でも出来ることではないから努力します。しかし、新たな挑戦をしてきた経験がある方ならお分かりの通り、厳然たる真実が一つ。「ひとりでは到底成し遂げることのできない」この一点の問題があります。そもそも前回述べた通り、一人で出来ることは志とは言えません。無論、平安時代に天台宗の開祖となった最澄の「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」という言葉の通り、一人ひとりに出来ることはあるし、その一人の志と実践からすべては始まるのですが、その「一隅を照らす」一灯を増やす事なくては大事は成りません。その熱源が「情熱」と言えるでしょう。

情熱はある、ではその情熱、どう使うか?

情熱、それは尊い。ないよりは良い。無ければ生きていながらにして魂が抜かれ、生きながら死ぬことに繋がってしまう、と私は考えています。それはさておき、情熱。このエネルギーは現状を打ち破る武器になる。しかし、単なるアニマルスピリッツ(非合理的だが経済を動かす原理となる”血気”や”野心”)だけではなく、そこには正しい考え方に基づく「思想」が加わらねばならないと考えます。何故ならば、そのエネルギーが最近よく言う「マウント」や一神教信者が他者を悪魔扱いすることが無いよう、つまり他者を傷つけることにならぬように「思想」が求められます。情熱を辞書で引けば、「ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと。また、その気持ち。熱情。」とあります。また似たような言葉で大切な「熱意」について、「目的をなしとげようとするはげしい意気込みをもつこと。」とあります。まあ、普段はそんなに言葉の意味を厳密に分けなくとも、と思うところもありますが、しかしリーダーの使う言葉は影響力がある故に、その言葉が意図することと違わぬ動きを生まないようにしっかり定義を説明する必要があります。この辞書に拠れば、正しく情熱を使うとは、

①目的を明らかにし、意志(どうなるかではなくどうするか)を立て、

②目的のためにそのエネルギーを注ぎ込むこと

こう読めます。つまり、情熱を正しく熱意として変換していく。その間に決定的に必要なのは、「目的」ということ。そこに前回までにお伝えした「志」の基本的な考え方である「私利私欲ではなく世の為人の為」を加えるならば「利他」という一言で説明できるものと考えます。要するに情熱の正しい用い方とは、「目的」と「利他」、このために用いることであります。

時間が迫りました故、第6講、内村鑑三の至言を引用して、また次回。

「後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世の ために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義俠心を実行してみた、後世の ために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。この心掛け をもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯はけっして五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺りに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。」          【出典】内村 鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』 (岩波文庫)

次回、第7講では「情熱」を用いて、「志が集まるビジョン」「戦略の立て方」について述べたいと思います。具体的には目的を定め、「ありたい姿」(未来創造図)と「あるべき姿」(立ち返るべき原点、取り戻すべきZEROポイント)について、どうリーダーは描くか、について語ります。ここまでお読み頂き、有難うございます。また次回。



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