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価値観とリスペクト

どうも、じぇいかわさきです。

最近気になっている事について今日は書いて見たいと思います。昨日のnoteで三つ子の魂百までという事をチラッと書きました。

これは、小さな時に育った環境で形成された性格は、大人になってもなかなか変えることができないという話でした。ここで言いたいことは、幼少期の環境で形成された性格、すなわちその時期に形成された価値観は大人になっても変わらないだろうと言うことなんです。


価値観は十人十色

まず、価値観についてのお話ですが、価値感と言うのは人それぞれであり、自分が価値を認めているものでも、あなたにとっては単なるガラクタかもしれません。

マニアと言われる人にとって、収集したコレクションは何にも変えられない大変貴重なものだと思います。これは物理的な物に関する価値観ですが、同じように精神的にも価値が有るないと言うことがありますね。

この仕事は、後々自分のためになり大きな価値をもたらしてくれると思ったら、価値がある仕事だろうし、こんなくだらない仕事は時間の無駄で、会社のためにも自分のためにもならないと思えば、価値のない仕事だと判断できるでしょう。

しかし、この価値と言うのは一人ひとり全く違うものであり、全く同じ事はないと思います。極めて価値の本質が近い場合は、価値を共有するということも可能でしょうが、一般的に個人個人で価値の置き場所は違うと思います。

従って、価値観というものは十人十色であり、違っていて当たり前だと思います。だから、よく価値観の違いから意見がぶつかったり、利害関係でもめたりするんですよね。


リスペクトという言葉

近年になり、このリスペクトという言葉をよく聞くようになりました。そうですね、5年位前からよく言われだしているような感じがするんです。

リスペクトとは、英語の意味と同じように「尊敬する」「敬意を表す」といった意味で使われています。尊敬する対象が人の場合もあれば、作品や発言、行動などの場合もあり、追従したい、というニュアンスもあるよですね。

まあ一般的には、尊敬するとか言う意味として使っている部分が多いように思います。そもそも、日本人なのだから尊敬すると言えばいいと思うのですが、カタカナ横文字に弱い日本人が感化されて使うようになったんでしょうね。

ここで問題です。リスペクトと価値観は関係が有るでしょうか?

ナゼこんな事を言うのかと言いますと、よくリスペクトが足りないとか、なんでリスペクトできないのか?とか言われるんですよ。自分の意見なのですが、価値観もリスペクトも人に押し付けるものでは無いという事なんです。

別に自分が尊敬するに値しないと思ったら、リスペクトしなくてもいいと思うのに、なんでリスペクトしないのかと言われる人は、それはあなたの横暴だと自分は思ってるんです。

リスペクトなんて心のそこから自然に思うこと。おっ、この人凄いよな。どうしてそんな事ができるんだろうって、無意識の内に思っているような人については、リスペクトという横文字より尊敬するという日本語に値するかなと思うんですよ。

追従するという意味として捉えても、心から思えるもの、感じるものがあれば自然と追従すると思うんですよ。

だから、リスペクトも押し付けられて強要されるものではないと思います。


価値観とリスペクト

今日の話をまとめると、自分としては価値観もリスペクトも人に強要されるものではなく、自分から思うことであるということ。

従って、なんでリスペクトできないかなと言われたら、共感できないから尊敬できないと答えるようにしている。ここで、もしリスペクトできると言ってしまえば、その場は丸く収まるかもしれないが、それは自分に嘘をついたことになってしまう。

三つ子の魂百までではないが、自分が育った環境で正確は全く違うものに出来上がっているので、あなたがリスペクトすることだから自分にリスペクトを求めるのは間違っているという事。

誤解してほしくないのは、リスペクトはしないのではなく、自分の本心から共感したものに対してはリスペクトするという事で、価値観が見られないものにリスペクトすることは無いという事です。

むしろ、価値観の違いからそうなんだと感じることをリスペクトするのが本当のリスペクトの意味ではないだろうか。

リーマンが会社でなんでリスペクトできないのか?そんなのお前と価値観が違うんだよと言ってあげたい。

今日も読んでいただき、ありがとうございます。


じぇいかわさきです。生産技術者として35年、今まで培った経験とスキルを元に、ものづくりに関わる世の出来事に対して思ったことをホンネで書いてます。ノウハウやアイデアもありますよ。 また写真も全力で撮っています、気に入った写真があればサポートや感想をぜひお寄せください。