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子育て、今思えば……。「無茶ぶり」も成長には必要かもしれない。

この4月から大学生になった息子が授業の予習らしき勉強をしているので聞いてみると、「先生が無茶ぶりするんだよ」という答えが返ってきました。

なんでも、毎回教室の前のほうに座っていたら、先生から講義中に「君はどう?」とか「○○は知ってる?」とか声をかけられるようになったそうです。それが最近はさらに一段階進み、「○○の理論を使って、ちょっとこれを説明してみて」などと言われるらしい。

ですが、聞いてみるとそれは息子にとって相当な難題。その○○理論とやらは「一年生でまだ何も勉強していのにわかるはずない」とのこと。ちなみにその授業は入門編などでなく学年に関係なく受けられる授業だそうです。
だったら「わかりませんって正直に言えばいいのでは?」と言ったら、「いや、みんなそう答えるから、とりあえず何か言ってみてる」というではありませんか! 

どんなことにも「積極的」という言葉からは程遠い息子。すごい! いつからそんなことできるようになった?

と驚いたのですが、そこではたと「私は息子にそういう機会を与えてこなかっただけかも」と気づきました。というか、むしろそういう機会を与えないようにしていたかも。

「成長が遅くても気にしないで。時期がくればできるようになります」
「できないことに目を向けず、できることをいっぱい褒めてあげて」
子育て中ずっと、そういう言葉に助けられてきました。だからこそ、「できないこと」を責めたり、怒ったりせずにいられたことも多かった。
でもその分、いつも「できそうなこと」ばかりを差し出してきた気もします。

やる気をなくしたら困るから、自己肯定感が下がったら大変だから、「全然できてないじゃん!」とか言えなかった。わかるはずもない問題を「まずやってみな」とか「わかるまで考えてごらんよ」とか言えなかった。
「無茶ぶり」なんてしちゃいけない、と思ってました。

でも今思えば、少しはそういう機会があってもよかったのかも。「え~、そんなの無理だよ!」って思いつつ、ああでもないこうでもないとやってみて、できたりできなかったり、という経験が。

大学の先生、貴重な機会をありがとうございます。これからもどんどん無茶ぶりしてやってください。
そして、「無茶ぶりの質問なんだから、間違っても気にしないで答える」という息子よ、そう思えることはすばらしいと母さんは思います。


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